自文化が異文化になるとき――なぜ私が「ウチナーンチュ(沖縄人)になれなかったのか」
疎外感を抱くきっかけになった極めつけは、以前は自文化として受け入れられていた沖縄の文化を興味深いと自分が感じたこと、そして沖縄の政治問題を「外」から見るようになったことである。
#沖縄 #アイデンティティ
identity
2021/12/18
執筆者 |
重森ヨシ

関西在住の、地元愛にあふれた20歳。ホラー映画と据え置きゲーム、ノベルゲームが好き。

はじめに

 まず、たいそうな題目をつけてはいるが、ここで述べることはほとんど自分の幼少期の体験談であることを断らせていただく。

 

 私の母は沖縄出身である。このことから、世界中がコロナ禍に陥る昨年までは年に一度は沖縄に帰省していた。最近こそ一年に一度ではあるが、幼少期は1カ月ほど滞在することが年に3度ほどあり、当時はほとんど自分の家と言っても差し支えないほどであった。このため、私は関西の出身で実家もそこにあるが、沖縄にある母の実家も私にとっても第二の実家のように感じていた。しかし、私が成長するとともに学業等の関係で滞在時間が短くなり、少しずつ親族や沖縄という土地に対してずれを感じるようになった。なぜ、このようになってしまったのだろうか。

 本稿では沖縄での生活を振り返りながら、なぜ私が「ウチナーンチュ」★1になれなかったのかを考えていく。

「沖縄の子」だった頃

 私が本当に沖縄に対して違和感を覚えることなく馴染めていたのは、小学4年生の頃までである。ここでは、沖縄を自文化として当たり前に受け入れられていた時の話をしていく。

 前述した通り幼少期は沖縄に滞在する期間が長く、当時の私は沖縄に溶け込んでいた。飛行機から降り、空港を出て、親族と話すときには流暢に方言を操って現地の親族と会話することができた。むしろ、アクセントや話し方、ものの名称等が子どもにとっては印象が強かったのか、関西に戻ってきてからも1カ月はウチナーグチ★2の影響を受けていることが多かった。また、このことが原因で関西弁を話せるようになるのがほかの子どもより遅く、現在も関西在住であるにもかかわらず関西弁を話すことに違和感を覚えており、共通語のほうが話しやすいと感じている。このような理由により、通っていた学校では関西弁を喋る人間の群れのなかにひとり、沖縄方言と共通語の混じった不可解な言葉を話す子どもができあがり、時には意思疎通に苦労したこともあった。

 しかし、この「不便」は当時の私にとって愛すべきものであった。同じ言葉を話せることで親族と同胞のような気がして、嬉しかったのである。また、その頃に祖父から「あんたは内地★3の子じゃないね〜」と言われ、あまり深く意味は考えなかったが私が「沖縄の子」として認められた証のようで誇らしさを感じていた。「そこにいていいよ」と自分を受け入れられたような気になり、また、自分もその言葉を受け入れていることで充足感を得ていたのかもしれない。もちろん言葉だけではなく、私は沖縄の風土・気候や文化のすべてを抵抗なく受け入れていた。

「内地」とは何か


 このようにして自分はナイチャー★4ではなくウチナーンチュであると一片の疑いも抱かずに過ごしてきたが、小学4、5年生を境に疑問を持ち始める。その頃、沖縄を背景に持つ女子が転校生としてやってきた。これが、私の人生における最大の転換点だった。彼女と私は似たような境遇にあることから、徐々に仲を深めていった。しかし、彼女と私では沖縄に対してかなり認知の差があった。彼女は私とは対照的に、沖縄の血こそ引いていないが沖縄で生まれ育ち、生まれてから数年は沖縄に住んでいた。そして、私が知らない沖縄の歌や風習などの一般常識を教えてくれた。実際に一年を通して住んでいたのだから知識の差があって当然なのだが、当時の私は自分がそれほど沖縄に対して愛着を持ってないと言われたようでショックを受けていた。

 この感覚に拍車をかけたのは、地元に住む別の友人との会話であった。会話しているときに、上述した「内地」という子どもにとっては聞き慣れない単語が零れ、彼女がそれを拾い私に質問した。そこで、携帯電話で言葉を検索して画面を見せながら説明しようと思ったが、できなかった。検索結果には私の想定とは異なり

 日本における内地(ないち)とは、大日本帝国憲法下の日本(大日本帝国)において、行政及び法律(共通法第1条)上日本の本土(本国)とされた地域ことである。(後略)

(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)


という旨のことが書かれてあった。何気なく使っている言葉が私の知っているものと違うことに違和感と少しの恐ろしさを覚え、その場では適当に内地が本州を意味すると答えた。しかし、気になって後で調べると、そこで「内地」の背景と沖縄の「内地」による扱いを知った。

 内地ではないということは沖縄は外地、すなわち日本本来の土地ではなかったことを意味する★5。そこで初めてその過去を知った。沖縄は琉球という国だった頃から侵略者である日本に支配され、第二次世界大戦の時にも本土決戦のための時間稼ぎの地として利用され、現在も少なくない侮蔑の目が向けられている地域である。そうして、やっと母が「あなたが沖縄の血を引いていることは信頼できる人以外には言わないで」としきりに言っていた理由を理解した。私が内地で嫌がらせを受けずに過ごせるかが心配だったのだ。後から聞いたが、祖父が業務研修で本州に来たときに内地の人とは少し異なる沖縄の人特有の外見から心ない言葉を浴びせられたこともあり、母は私が学校でいじめられないかどうか不安だったそうだ。

 当初はどうして沖縄がこのような扱いを受けなければいけないのか、その理不尽さに怒って日本という国を憎んだりもしたこともあった。実際に無理やり土地を奪われた人もおり、今なお反対している人も多い。しかし、基地問題は基地をなくせば解決するわけではなく、そこで働いていたり土地収用でむしろ恩恵を受けていたりする人がいることを知り、表立って意見を言うことをためらうようになった。沖縄でも同様の考えを持つ人が多く、家族で基地のことについて話すのはタブーとなっている。

 沖縄という土地の特異性、内地からの扱いを知ったことで、私は自分が間にある非常に危うい存在であると認識した。また、この時から「生まれてから沖縄に住んでいる沖縄の家族ではなく、内地の血を引く私が『内地』という言葉を口から出すことは、沖縄を見下していることになるのではないか」と恐れるようになり、それ以降内地という言葉を意図的に封印した。

 この一件は私が沖縄に溝を感じる大きなきっかけとなった。また、この頃から沖縄に帰省する回数が減ったことで関西弁に慣れて難なく操ることができるようになり、地元の友人と本当の意味で友達になれた気がした。一方で、「内地の子」になってしまうのではないかという焦りも感じ始めていた。それまで当たり前すぎて意識もしていなかった「沖縄の子」とは何か、そうあり続けるためにはどうすればよいのか考え始め、必死に完全なナイチャーにならないようにしていた。そうでなければ沖縄にいる家族を裏切ってしまうと思い込んでいた。

沖縄という空間から離れることで、完全にナイチャーとなった私

 

 このような出来事があっても沖縄は私の第二の故郷であり続けていたが、とうとう明確に自分と沖縄の心理的距離が広がることが起きた。それは高校受験のため、丸2年沖縄に帰省できなかったことである。このことによる空白は私にとって何よりも悲しいことだった。

 2年間の間に沖縄は異国になってしまっていた。まず、親族の話す方言が以前より聞き取りにくくなっていた。そして、私自身も方言をうまく喋ることができなくなっていた。このようになる前から、祖母は私だけでなく現代っ子でウチナーヤマトグチ★6しか話せないほかの孫にもわかるように標準語まじりの柔らかい方言で話してくれていたのだが、当時はそれすらも辛かった。くわえて、気候や風土にも違和感を覚えるようになり、空調が効かない夏に苛立たしさを感じたり、以前はなんとも思っていなかった夏の間に部屋のなかに発生するアリに対して嫌悪感を覚えるようになったりしていた。「草はこんなにむせ返るような匂いだったろうか、太陽はこんなに痛かっただろうか、夜はこんなに騒がしかったか」と、知らない土地に来たようで恐ろしかった。もちろん、沖縄自体は何も変わっていない。変わったのは私自身であり、沖縄が異国になったのではなく私のほうが沖縄にとっての「異邦人」になったのだ。その変化に耐えられそうになく、泣いた記憶がある。ここで、初めて沖縄に帰ることが苦痛になった。自分が異物だと、そう突きつけられているようでたまらなく辛かった。

 

 その後、この変化は元に戻ることはなく、大学受験のためにさらに空いた2年を機に私は完全に「内地」の人となった。方言のきつい伯父の話す言葉が一切聞き取れないようになり、冷房の効かない夏も暖房器具のない冬も苦手になった。親族と会話をしても関西との、「内地」との感覚の差を感じ、しまいには閉口してしまった。海だけは変わらず好きだったので、なんとか沖縄との繋がりを感じることができた。

 

こうした私の変化に気づいたのか、祖父が「『イチャリバチョーデー』★7ってわかるかね、それだけ覚えてれば大丈夫さ」と話しかけてくれた。気遣いが嬉しかったが、寂しさが勝って泣いてしまった。なぜならば、この言葉は普通は他人に対して使われるものだからである。そして、疎外感を抱くきっかけになった極めつけは、以前は自文化として受け入れられていた沖縄の文化を興味深いと自分が感じたこと、そして沖縄の政治問題を「外」から見るようになったことである。大学において学問としての文化人類学や民俗学にわずかではあるが触れた身として、文化に価値や面白さを見出すのは通常「外」の人間が行うことであるということを知っていた。また、沖縄という土地から離れることで土地に住む人々の感覚を共有する機会を失って久しいことも、私が内地に染まることを促した。

 

 沖縄の内部の情報を遮断したような状態で外の情報に触れていると、沖縄の目線からは離れた立場の意見ばかり目にするようになった。これにより良い意味でも悪い意味でも沖縄を客観的に見るようになり、主観的、すなわち「沖縄の子」としての意見を持ちにくくなった。以前、母は「生まれてからずっと沖縄の新聞、メディアだけに触れてきて、そこから発信される情報だけが正しいと思っていた。ところが、内地に出てきて沖縄から離れると沖縄がどういう立場にあって、どんなことを批判されているのかを知ると今までの自分のなかの政治認識が根本からぐらついて、いろんな意味で中立的になった。だけど、やっぱり外には中(沖縄)の人の歴史的な苦しみが全然伝わっていないということが悲しい。彼らが単に騒いでるだけじゃないということも知ってほしい」と語った。まさに、この現象が私にも起こったのである。また、これらの活動を行う人々のなかに沖縄県民ではない人も混じり始めたという疑惑をネットで見かけ、「もしこれが本当だとすると、活動を通して自由な沖縄を取り戻すどころか、むしろ、活動が沖縄の人々のものではなくなってしまったのではないか」と訝しむ気持ちも生まれた。私は依然としてこれらの政治的主張を訴えて運動を行う人々を虐げるような言動には反対し、沖縄をめぐる政治問題にはつねに目を向けている。ただ現状を受容するということはとてもじゃないができそうにない。だが、やはりその土地にまつわる問題の苦しみを真に理解できるのは、いま現在土地に住む人々だけなのである。たまに沖縄の親族とそのことについて話すと、とてつもない温度差を感じる。

 

 文化・言語・政治的態度というのはすべて土地に左右されるものであり、それらから乖離するということは、その土地のものでなくなるということを指すと私は考えている。これで、私は自他ともに完全なナイチャーになったのである。

ダブルルーツを持つ人間としての喪失感

 

 以上が、私がナイチャーになった経緯である。ここで、今までの出来事を振り返り、なぜ私がウチナーンチュになることができなかったのか、どうして沖縄から離れていくことを辛く感じたのかを改めて考えていく。

 

 幼少期の私にとって、「沖縄の子」であることは当たり前のことすぎて意識すらしていなかった。むしろ、心理的距離が離れ始めた時のほうが沖縄との縁にすがろうとしていた。ではなぜ私は沖縄人であることを選択しなかったのだろうか。ここで重要なのは、やはり小学4、5年生の時にあった友人という外からの干渉なのではないかと考えた。外からの観測者の存在により自分を客観視することが可能になり「沖縄の子」である自分に疑問を抱き始めたことで、結果的に自分のなかにあった沖縄というアイデンティティのひとつを「自分ではない」と思うようになり自己から排除した。

 

 また、中学・高校のアイデンティティを確立する時期に沖縄に行けなかったことで友人や考え方などの内地由来の要素が心のなかに占める割合が大きくなり、「自分はウチナーンチュである」という意識を持てなくなったのではないかと思われる。くわえて、現地にいる祖父等の親族から「沖縄の子」として扱われなくなったのも、私の自意識に大きな影響を与えているのではなかろうか。日本で「沖縄の子」ではないことは「内地の子」であることを意味する。そして、言語面・文化面で長く触れており馴染みやすく、居場所を得られそうな関西の人間であることを選んだ。これらが、私がウチナーンチュではなくなった理由だ。

 

 そして、沖縄から離れていくことがひどく悲しかったのは、自分のなかに2つある故郷のうちひとつが失われてしまったような耐え難い喪失感に由来している。それまで2つの地域に由来するアイデンティティで成り立っていた「私」から沖縄が切り離され自分が何者でもなくなることへの不安と、ナイチャーになることで沖縄の「家族」が「親族」というより遠いものになってしまうことへの寂しさを私にもたらした。現在はほかに居場所を見つけたことで足場のないところに立っているような感覚は治まったが、一方でほかに代替できるもののない大事なものを失ったという実感は今も存在する。

 

 沖縄はかつてはたしかに自分を構成する文化のひとつだった。しかし、土地から物理的・心理的に離れたことより自己認識が変化し、親しんでいた沖縄の文化が異文化になってしまったのである。

最後にはなるが、私はウチナーンチュではなくなったが今でも沖縄は私の大事な故郷のひとつであり、誇りに思っていることをここに記す。

 

★1──沖縄の言葉で、「沖縄人」「沖縄の人」を指す語。沖縄は「ウチナー」と呼ばれる。(出典=「ウチナーンチュ」weblio辞書、)https://www.weblio.jp/content/ウチナーンチュ

★2──沖縄語。(出典:「うちなーぐち【沖縄口】」日本方言大辞典、小学館)

★3──北海道や沖縄で本州を指していう。(出典=「ない-ち【内地】」デジタル大辞泉、小学館)

★4──「沖縄以外の都道府県のひと」を意味する(出典=籏智広太「沖縄と内地との間にある「境界線」私たちの責任とは」BuzzFeedNews)https://www.buzzfeed.com/jp/kotahatachi/do-you-know-okinawa

★5──正確には外地は国外の地を指すため県として日本に組み込まれていた沖縄を外地と呼称するのは厳密には誤りかもしれないが、複数の辞書でこの用法を確認できたため本項では北海道と沖縄以外の都府県を「内地」として扱う。

★6──戦後、沖縄で成立した新しい沖縄の「方言(沖縄弁)」である。本来の沖縄方言(沖縄語)の影響を受けたもの。

★7──「出会えば皆兄弟」の意。適当な出典元が見つけることができなかったため、筆者の意訳である。

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関西在住の、地元愛にあふれた20歳。ホラー映画と据え置きゲーム、ノベルゲームが好き。

写真 | Manny Becerra (Unsplash)
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