みんな変人(freak)、ヘテロ・シスジェンダーの規範的なライフスタイルを正確に生きている人はいない
私が私であることの大部分は、楽しくて、バカバカしいことだと思っているんです。ある意味、若く、自由な感じがするのは、私にとって不可欠なことです。多くの側面において、私は自由ではありませんが、多くの要素において、私は自由であり、ストレスを感じていないという真実の感覚を表現することができます。
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2022/08/05
インタビュイー |
Enne Goldstein

Enne(they/he)は現在ニューヨークのブルックリンを拠点に活動するトランス・マスキュリン。遊び心のある手書きタイポグラフィーとサイケデリックな背景や彩度の高いパレットを組み合わせ、印刷出版物、デジタルイラストレーション、2Dデジタルアニメーションを制作している。

Instagram @ennegoldstein

twitter @plantboyee


■米国におけるイデオロギーの二極化とZ世代の新たな知見

Erie

私たちは今、人々があまり啓蒙されず、さらに分裂していくような社会に生きています。そして時間が経つにつれて、ますます激化しているように感じます。そのような社会的動きを背景に、Enneさんはオレゴン州からニューヨークへ移られたのだと思いますが、右派と左派間の分裂や、アメリカという自国についてどう思われますか?

 

Enne

間違いなくアメリカではその分裂傾向は文化の一部になっています。州によって、クィアとして、あるいは有色人種として生きることの意味は大きく異なります。そして、誰もが知っている、クィアや有色人種にとってより安全でない州も存在します。オレゴン州はブルー・ステイト(=民主党支持の州)です。左派の州ですが、有色人種やクィアにとって、どこでも安全というわけではありません。中西部の多くの州は、安全でない州として確立されています。また、南部の州も、多くは安全でないとされています。ニューヨークは安全ではないけれど、受け入れられている州だと思います。ですが、当たり前なのですが、残念ながらニューヨークも完全に安全な場所と言い切れません。

 

オレゴンから引っ越したのは、政府関係者が積極的に自分のコミュニティを攻撃しようとしないことが分かっている場所に引っ越したいと思ったんです。育った環境と同じ状態に居続けたくはなかった。オレゴン州にいたくなかったのは、自分の育った町はオレゴン州で3番目に大きな町なのに、私はそこでゲイの人たちを一人も知らなかったからなんです。アメリカでは一般的に都市の方がリベラルでいいんですよ。自分が育った町は都市に隣接している地域でしたが、やはりクィアにとって良くはなかったですね。ニューヨークを選んだのは、クィアや有色人種など、マイノリティの人口が最も多い都市だったからです。だから、より多様で私に合っているんです。

 

Erie

州同士の分断そのものについては、どう思いますか?

 

Enne

そうですね。分断には驚いています。ロー対ウェイド裁判のこととか色々ありますね。最近では、南部の州の多くが中絶反対派です。また、最近では、若者のトランスジェンダーの権利も攻撃しています。

連邦政府の規制は、全体として最高権力と統制力を持つことができません。州ごとにバラバラになってきています。一つのルールが全州に適用されるなら、私たちはここまで分裂しないでしょう。極端な人はどちらの政治的立場にもいますので。

70年代と80年代は、どこの国でもそうですが、明らかに悪いことがたくさん起こっていましたが、お互いが妥協できる中庸がもっとありました。連邦政府としては、国全体が同じようなルールの中で運営されていました。

 

柳澤

あなたの世代、つまりZ世代でも、同じような左右両極同士の分断が見られますか?

 

Enne

複雑な答えになりますね。私は、ある特定の州を治安が悪いと表現しています。つまり、ある地域では、私たちのようなZ世代にも極端な右翼が絶対だと信じている人がいるのです。それは、彼らがその地域から出ることなく、そのような理想を抱いて育てられ、開かれた会話なしに意見されてきたからだと私は思います。だから、アメリカの私の世代にも、非常に極端な右翼がたくさんいるんです。

でも、そうは言っても、全体的に見れば、皆さんが意識している社会正義を求める運動は、私の世代で過去最大のものになっています。分断も存在するものの、昔よりはマイナーになっていると思います。世代全体ではかなり左派、リベラルになってきていると思うし、それ自体がトレンドになっていると見ています。

 

柳澤

私が知る限りでは、特にEnneたちの世代では有色人種の割合が増えていますよね。

 

Enne

そうなんです。多様性を持たせることは、大規模なコミュニティに良い影響を与えます。多くの理由で、より良いものになる。こうした本質的なことが、私たちを前進させると思います。

 

Erie

世代で考えると、確かに良くなってきていますね。では、未来に希望が持てると言えるのでしょうか?

 

Enne

私自身、混乱していますね。毎日、希望を持ったり失ったり、行ったり来たりしています。都会に住んでいて、同じような考えを持つ人たちのコミュニティを持っているときによくあることですが、狭い世界の中にいると、クィアな人たちとしか話をしなくなるんです。私は政治的に私に同意する人としか話しませんが、それがニューヨークであり、少なくとも多くのニューヨーカーたちです。そして、それは私に大きな希望を与えてくれます。ほかにもTikTokで若者たちが話しているのを見ると、「これは私たちの未来だ」と思うんです。私が地元を離れるまで触れなかったような、良いアイデアをたくさん持っているんです。そういうわけで私たちは上昇気流に乗っていますので、希望を持っています。

 

■クィア・ピープルのアイデンティティ・ポリティクス

 

Erie

これまでアメリカの政治的背景について議論してきましたが、話題を「アイデンティティ」 に変えたいと思います。私たちは今、アイデンティティという自己認識を尊重する時代に生きています。ただ私自身は「カミングアウト・ストーリー」というのは、今のところ、なんだか行き過ぎた感じがしています。なぜなら、カミングアウトは、あまり注目されるべきでないし、カミングアウト・ストーリーはもっと冷静に、「ああ、私はゲイなんだ」というだけのものであるべきだと思うんです。だって、性自認は自分の一面でしかないはずだから。例えば、6月はプライド・マンスでしたが、私は今メルボルンに住んでいますが、人々はプライドにアメリカほど夢中ではありません。でも、オーストラリアでは、アメリカよりもLGBTQの人たちの権利は保護されているように感じるのです。

 

Enne

最初に思ったのは プライドについてですが、そのことについては私のクィアのコミュニティでもたくさん語られています。私は、プライド・マンスは非常に企業的で、後期資本主義の結果であり、クィアである人々を祝うことよりも、企業目的が重要になっていると見ています。ブランディングや企業イメージに関して、一般的に、クィアの人たちをサポートし、すべてにおいて多様であることが、大きなトレンドになっているからです。ただし、それは、本当に初歩レベルのインクルージョン(包摂)の形ですよね。だから、私はプライド・マンスに一応応答しているんです。応答してるだけなんですけどね。プライド・マンスが、私たちの権利を祝い、互いに愛し合い、カミングアウトすることだということを私は忘れちゃっていましたよ。

それから、カミングアウトに関しては、私も同意見で、こう言っています。カミングアウトは大げさなものであってはならない。過度に祝うべきでもありません。あなたがおっしゃるように、カミングアウトを大々的に取り上げるのは不適切で有害です。

とはいえ、メディアでは、クィアの人々、特にトランスの人々の表現がほとんどなく、主にセレブリティ文化が表現を提供し、正常化する上で重要な役割を担っています。クィアやトランスのアイデンティティを、若い人たちや国内の人たち、特に普段は目にすることがないような人たちに伝えています。

だから、クィアやトランスのセレブリティがカミングアウトすることには、責任があると思うんです。それが唯一の方法なのです。私はそう考えていますが、イデオロギー的に言えば、カミングアウトという考え方は好きではありません。異性愛者やシスジェンダーの人たちにとって、カミングアウトは決してデフォルトにはなりえないと思うんです。カミングアウトする必要がないのに、クィアやトランスの人たちがカミングアウトしなければならない。それは奇妙なことです。なので、カミングアウトすることに完全に同意することはできませんが、私たちが生きている時代の表現ということで言えば、カミングアウトは私たちを後押しするために不可欠なものだと思うのです。

Photo | Jessica Irani (Unsplash)

 

社会的権力とアイデンティティ

 

Erie

それは面白い視点ですね。日本では、カミングアウトはそもそもとてもしづらいのですが、するとしても公的にカミングアウトすることは滅多にありません。親しい友人や家族にしか言わない。だから、芸能人や地位の高い人は、LGBTQのための公人にはなれない。日本では、公人というのは大多数の人を代表する人であるべきだと思われています。政治家は男性。日本では非常に男性優位なんです。規範と異質なものを認めてもらえない気がします。

 

日本人は欧米社会と比べて、道端で女性やクィアの人々が殴られる可能性は低いでしょう。でも、だからヘイトが少ないと言うのは、それは勘違いです。確かに殴ったりはしない。けれど、女性やクィアが高い地位についたり、権力を手に入れたりすることを嫌っているような気がします。私はアメリカのトランスジェンダー(男性ではなく女性)に話を聞いたことがあります。アメリカよりも日本の方が、身体的な虐待を受ける可能性が低いから安全だと感じると。路上で身体的な暴力を受けたりすることが少ないからです。しかし、彼らの権利を受け入れ、法律的に同等の権利を認めるとなると、話は別です。

 

不思議なもので、自分のアイデンティティの合法性と社会的受容の間に断絶があるのです。アメリカでは法的な権利がたくさんありますが、日本とは逆に社会的な受容が少ないですね。

 

Enne

興味深いですね。おっしゃる通り、日本では女性やクィアにとって安全でない環境を権力者が作り出しているという点に同意しますし、権力者でない人たちは単に気にしないので、日本ではトランスジェンダーの存在がより安全に感じられるのでしょう。そう考えると、とても納得がいきます。

 

日本における権力のトレードオフとマイノリティの安全性

 

柳澤

それは、興味深い議論ですね。私自身は、日本では、トランスジェンダーの方が殴られることはないけれど、受け入れられている気もしないんです。おそらく、まずもって理解されていないのでしょう。でも、少なくとも多くの人々は攻撃はしてきません。それと同時に、Erieが指摘してくださったように、女性やLGBTQの人たちが弱い立場にいる限りは安全なのですが、ひとたび権力や権利を得ようとすると、物理的ではないにせよ、おそらく言葉や精神的に大勢の人たちが殴ってくるようになる、これが私の実感です。

 

Erie

私たちが低い位置にいる限り、人々は気にも留めないということですね。その通りだと思うので、重要なポイントです。日本の女性にフェミニストが少ないのも、それが理由だと思います。日本の女性は、現状のままであることが心地よく、権利を持たないから安全なのです。物理的な暴力や喧嘩を嫌うあまり、権利のために消極的になってしまうんです。それは性別に限ったことではなく、労働者の権利や、あまりお金を稼がない男性の権利についても同様だと思います。自分たちの権利のために戦わず、黙って安全な場所にいる。だから私たちは安全で平和なのですが、長期的に見るととても危険なのです。安全や安心というのは間違った感覚です。それはシス女性や非トランジーの男性の深い信念に根ざしたものです。変な話ですね。自分の権利のために戦わないのは、この間違った安心感のせいなんですよ。恐ろしいことです。

 

ドナルド・トランプの社会的影響

 

柳澤

ドナルド・トランプ元大統領が現実にどのような影響を及ぼし続けているのか気になるところです。私の在米の友人たちはまだトランプを注視しています。同時に、今日の悲劇的な政治的偏向と混乱の原因は彼だけではなさそうですが、Enneはどう思いますか?

 

Enne

アメリカの歴史は、問題のある法案や理想の上に成り立ってきたと思うんです。特にトランプに至るまで、決して良い方向には進んではこなかった。分裂は州の間で静かに起こっていたのですが、トランプが選挙に勝ったのは、むしろ人々がどんな穏健な意見にも同意しなくなったからだと思います。

 

2016年の大統領選挙で、青(=民主党)の候補者を多くの人が嫌ったのは、それが女性であったからだと思います。と同時に、彼女自身(ヒラリー・クリントン)も青の候補者としても良い候補者ではありませんでした。それで、青に投票していたはずの多くの人が、結局、第三党を選んでしまったんです。そして、トランプがほぼ既定路線で勝ちました。そもそも最終決戦の時により穏健な選択肢がなかったからなんです。

 

トランプが当選した影響で、いろいろな進行のキッカケになったと思います。より大きな分断とより多くの暴力。彼は右翼のネオナチのアジェンダを代表しているように見えますが、彼はそのアジェンダの多くを説いていたとは思えません。しかし、彼は、自分の中にあるものに気づいていない、あるいは自分の中の理想に基づいて行動していない多くの人々に、ゴーサインを出したのです。彼はそうした人たちを外に連れ出し、そうしたコミュニティはより顕著に成長することができたのです。彼が分裂や危機の多くを引き起こしたと思いますが、その何年も前から積み重なってきたものなんです。

 

憎しみのような負の感情が爆発したんですね。だから、ええ、ドナルド・トランプだけが理由ではないというのはその通りだと思います。

 

柳澤

その説明には納得しますし、とても理解しやすいですね。同様の問題として、日本には、元首相の安倍晋三がいます。彼の任期中、日本はより保守的になりました。彼自身があまりに多くのことをやったので、私は、彼の社会的影響力のメカニズムについて、まだ詳しくは理解できていません。更に震災や不況や、それ以外の要因もあり、彼だけが日本が内向的かつ右傾化したことの原因ではないとは思います。しかし、彼自身も言葉や様々な方法で、日本人が潜在的に持っている右翼的な傾向を刺激するゴーサインを出したのだと、今のEnneの話を聴いて思いました。

 

Erie

日本人にとって、安倍時代は表面上というか、ドナルド・トランプよりずっとマイルドでしたね。彼は丁寧な言葉を使った。でも、間接的に「女性に権利を与えるべきではない」と言っていました。例えば、結婚は生物学的な女性と生物学的な男性だけのものであるべきで、子供を産むためのものだと間接的に言っているわけです。彼の影響力は必ずしも明白ではありませんでした。日本人の多くは政治が好きではなかったので、何が起こっているのか気づかないまま時が流れた気がします。

 

Enne

トランプに関しては、彼の言葉によって、多くの人が彼の言っている考えのいくつかに挑戦する結果となりました。この恐ろしい人物は、彼らがそれまで考えもしなかったことを言っていたからです。彼は、「女性は特定の環境では働かない」とか、自分の味方や敵のリストがあるとか、人種差別的なことも言ってました。それでも彼らの意見はありましたが、トランプはとても意地悪だった。多くの人は、「こんな意地悪には同意したくない」となって、時にはトランプが言うポジティブなこと、それは自分たちの考えでもあるのですが、そのことにも異議を唱え始めたんです。なので、そうですね。あなたのおっしゃる通り、ある意味では、言語が非常に巧みであることはより有害で、人々が強制されたり洗脳されたりする可能性が高く、正直言って、ある意味では、より危険なことだと思います。

 

みんな変人(freak)

 

Erie

これまで主にアメリカの政治や若者のアイデンティティの話をしてきましたが、ぜひEnneに日本でアイデンティティに悩んでいる若者にメッセージをいただきたいと思います。日本では、自分の存在を受け入れてくれない人が多いので、多くの人が自分のアイデンティティに悩んでいます。そんな中で、自分のことを話したり、セクシュアリティをオープンにしたりすることを躊躇している人がいます。保守的な国に住む同世代の若者たちに何かメッセージはありますか?

 

Enne

言いたいことはたくさんあるんです。自分は、オレゴンの町で、クィアの人たちが存在することを知らずに育ちました。かなり保守的な環境で育ったんです。そこでNYに引っ越しました。それが自分の人生を変え、今日皆さんの前にいるこの素晴らしい人物に変身することになったのです。私がいつも、自分の直感や感情を信頼することが大事だと感じています。また、誰もが奇妙で異なっているということを私は知っています。ヘテロ・シスジェンダーの規範的なライフスタイルを正確に生きている人はいないのです。それは誰にとってもデフォルトなんですね。何らかの理由で、このライフスタイルはほとんどの人にとってぴったりくるものではないのです。だから、私たちは自分が望んでいるものに触れなければならない。自分の人生のどんな側面においても、この自分が望んでいるものが成長して、世界のどんな場所にも導いてくれると信じなければなりません。自分自身に耳を傾けなければなりません。誰もが奇妙な存在です。だから、みんなが変人だという仕方で何かを経験したからといって、あなた自身がおかしいわけではないのです。

 

柳澤

ああ、本当にそうですよね。完全に同意します。

 

Enne

また、インターネットは私の人生を変えました。インターネットは有害であることもあれば、非常に役に立つこともあります。そして、自分にとって本当の居場所になることもある。インターネットがあるからこそ、今私はニューヨークにいて、国の東西をまたいで引っ越すことができたのです。もし自分がインターネットも持たずに日本にいたら、どうにもできなかったと思います。クィア・コミュニティーの中にいると、13歳くらいになるとググるってのがありますよね。「なるほど、そうなんだ」と思う情報に出会うことができて、自分の疑問やその他もろもろを調べたりするんですね。

 

Erie

そうですね。私がミソジニーのようなものを意識するようになったのも、そのくらいの年齢です。14歳、15歳、思春期くらいかな。思春期を終えるような時期には、脳も発達するんですよね。でも、10代前半は、体が先に変化して、脳が後から成熟してくるので、大変な年代でもあるんです。この順番が逆だったら、そこまで自分の体を嫌いにならなくていいし、何が起こっているのか理解できるんですけどね。

 

Enne

私もまったく同感です。それが生物学ですよね。医学的に身体的な移行をするトランスジェンダーの多くは、第二の思春期を経験することになります。思春期を経験することは、自分のジェンダーアイデンティティを確立するという意味で、大きな利点があると思います。年齢が上がり、脳が発達すると、自分の体に起こっていることがすべて理解できるようになります。第二次思春期には、まだ自分の体について不安を感じたり、違和感を感じたりすることがあります。

 

インターネットはいろいろな意味で有害だと思うのですが、インターネットを通じて人と本物のつながりや関係を結ぶことができることは見落とされがちだし、本物の関係を築くのに肉体的な経験は必要ないのではないかと私は思うのです。正直、インターネットは、自分のアイデンティティに悩む人にとって、情報を得ることができ、自分が経験していることがすべて正常であることを知ることができ、答えを与えてくれるものです。また、自分の問題について人と話すことができるのも、私にとってクィアやトランスであることの最も重要な部分のひとつです。私の経験を理解してくれる他の人たちと、常に話し合い、互いに学び合うことができるのです。私の考えでは、それがクィアであることの一部です。他のクィアピープルとつながることは、まさにクィアカルチャーの一部なのです。

 

アーティストであることの意味

 

柳澤

それは本当に素敵な捉え方ですね。そのクィアの実践として、クィアの人専用のtatoo ショップも運営なさっているのかなと思いました。もうひとつ質問してもいいですか?デザインすること、アートすること、アーティストであること、Enneにとってどんな意味があるのでしょうか?

 

Enne

私にとってアーティストであることの意味ですか?ああ、なんだろう。たぶん、それは簡単なことではないですね。私がアーティストである理由は、自分自身ととても感情的に接しているからです。私は多くの精神疾患を抱えていて、人生の大半を精神衛生のための治療で過ごしてきました。そして、私が生き抜くために、アートを通して自分の人生を構築する方法を学ぶために、アートは大きな役割を担っています。私のプロジェクトのすべてにおいて、自分自身について語られているわけでもありません。しかし、私は幸せの核となる部分のひとつである何かに携わることになったのです。あるプロジェクトに関わるということは、それに夢中になって創造しているときと同じで、世の中の他のことはすべて忘れてしまうような感覚になります。私は、全ての人にそれがあればいいなと思います。例えば歯科医師にもそれがあると思います。誰にでもあり得ることだと思うのです。

 

柳澤

おっしゃっていること、とてもよくわかります。Enneの作品では色使いがとても特徴的ですよね。自分自身の色使いについて何か思うことはありますか?

 

Enne

私が私であることの大部分は、楽しくて、バカバカしいことだと思っているんです。ある意味、若く、自由な感じがするのは、私にとって不可欠なことです。多くの側面において、私は自由ではありませんが、多くの要素において、私は自由であり、ストレスを感じていないという真実の感覚を表現することができます。攻撃されないこと、コントロールできること、自由に浮遊していること、そして楽しんでいることは、私にとってとても重要なことなのです。だから、私はとても明るい色を好むような気がします。それは、いつも幸せな気分であるからではなく、私は楽しい気分になれるということを表現したいのです。私は楽しんでいるし、それを自分で選び、自分で作っている。他の人が私に何かを望んでいないにもかかわらず、私は主導権を握っている、という感覚がそこにあるような気がします。

 

Erie

そういうことなんですね。私たちは、あなたの作品の美しい、明るい色が大好きです。どうしたら生きることを楽しめるのかを示す色であると知って、ますます大好きになりました。私たちと一緒に仕事をしてくださって、ありがとうございました!

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Enne Goldstein

Enne(they/he)は現在ニューヨークのブルックリンを拠点に活動するトランス・マスキュリン。遊び心のある手書きタイポグラフィーとサイケデリックな背景や彩度の高いパレットを組み合わせ、印刷出版物、デジタルイラストレーション、2Dデジタルアニメーションを制作している。

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インタビュアー |
Erie Kawai

2001年生まれ。国際バカロレア取得後、モナシュ大学に在籍し、政治とメディア学を同時専攻する。日々海外のメディアや大学の授業を通して、日本と海外の視点の違いに注目しながら社会問題を扱う。

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