インタビュー|「消費されない」Z世代の価値観(前篇)
竹田ダニエルさん、今日はよろしくお願いします。今回、竹田さんにインタビューを依頼したのは、竹田さんご自身もZ世代であること、また私たちのウェブサイト「elabo」は、竹田さんがウェブサイト「TOKION」の連載「『Z世代的価値観』とは何か?」で書いていらっしゃった「多様性と変化を積極的に受け入れたい
#ビリー・アイリッシュ #メンタルヘルス #ブリトニー・スピアーズ
culture
2021/05/14
インタビュイー |
竹田ダニエル
(たけだ・だにえる)

カリフォルニア出身、現在米国在住のZ世代。大手レーベルのビジネスコンサルタントやテック系スタートアップを経てフリーランス音楽エージェントとして活動し、アーティストのPRやマネジメントを行う。ライターとしては「カルチャー×アイデンティティ×社会」をテーマに執筆、『現代ビジネス』『Forbes』『Newsweek』『日経新聞』『Rolling Stone』等掲載。『群像』『日経xwoman』『DIGLE』『日経COMEMO』『wezzy』で連載中。

Z世代という自覚をもったきっかけ

眞鍋ヨセフ

竹田ダニエルさん、今日はよろしくお願いします。今回、竹田さんにインタビューを依頼したのは、竹田さんご自身もZ世代であること、また私たちのウェブサイト「elabo」は、竹田さんがウェブサイト「TOKION」での連載「『Z世代的価値観』とは何か?」で書いていらっしゃった「多様性と変化を積極的に受け入れたいという価値観を選択した者」がZ世代であるという定義に大いに刺激を受けて発足した、という経緯があります。しかし残念ながら、日本において「Z世代」という言葉は、単なる世代の名称、あるいはマーケティング上の消費者グループとして扱われてしまっているように感じます。そこで今日は、Z世代という自意識を持つことの重要性について、お話をうかがいたいと思います。

竹田さんは、フリーランスのコンサルタントや音楽エージェントといった活動に加え、最近では雑誌『群像』での連載「世界と私のA to Z」をはじめさまざまな媒体でライターとしても活躍されています。またSNSを通じて、海外のZ世代の情報やZ世代向けのコンテンツの発信もされています。竹田さんが発信する情報はどれも目新しく、まさにZ世代である僕はいつも大きな刺激を受けています。そこで伺いたいのですが、竹田さんご自身はそもそもどのようにZ世代としての自覚を持つようになられたのでしょうか? きっかけとなった具体的な出来事や影響を受けた思想を教えてください。


竹田ダニエル

よろしくお願いします。昨年(2020年)5月頃に、ウェブマガジン「現代ビジネス」(講談社)の編集者から、Z世代と音楽とメンタルヘルスについて執筆依頼をいただきました(「コロナパンデミックで最も大きな影響を受けた「Z世代」の絶望と希望──最重要課題はメンタルヘルス」)。そこで私はまず、Z世代とはどのような世代で、具体的にどんな特徴や問題を有しているのかをリサーチすることから始めました。

もちろん「Z世代」という言葉は知っていたし、自分もその世代に含まれるということは認識していました。また、調べていくなかで、眞鍋さんもおっしゃっていたように、マーケティングのターゲット層を指す言葉として多用されているという印象も受けました。そこで、私はさらに掘り下げて、何か変化を起こすときのZ世代の当事者間の連帯とはどのようになっているのか、という点を重点的にリサーチしました。その時イメージとして掲げたのが、皆さんもご存知のように「Z世代の代弁者」と言われているアメリカのシンガーソングライター、ビリー・アイリッシュ(2001年生まれ)です。なぜ彼女の音楽がZ世代に響いているのかを、メンタルヘルスやZ世代が通ってきた社会問題を通して論じました。

執筆時は私が今暮らしているカリフォルニアもまさにコロナ禍という状況下で、その最も大きな影響を受けたのは、若くて未来のある人たちだと思います。しかし、当時はまだ新型コロナウイルスは話題になりはじめたばかりであり、リモートワークへの切り替えなど、経済を回すための議論はあったものの、未来やこれからの可能性を奪われてしまった若者たちが、いま何を、どのように考えているのかということは、アメリカでも日本でもあまり話題にされていませんでした。そこで、私がこうした記事を書くことで、大人たちや当事者たちに、若者がどういう状況に置かれているのかを伝えたかった。また、絶望感を抱いている同世代の若者たちに、音楽を作っている人や届ける人たちが今どんなことを発信していて、そこから若者はどんなふうに自身の存在意義を感じ取ることができるのかを伝えたかったんです。彼らの勇気づけになればいいなと思ってリサーチを始めたのが、私がZ世代という存在を強く意識したきっかけでした。


Z世代間の連帯はどのように育まれているのか?

眞鍋

竹田さんご自身も、学びながらZ世代という自覚を徐々に持つようになったんですね。

コロナ禍で最も大きく影響を受けたのは、まさにZ世代の若者たちだということですが、竹田さんの周囲の方々の様子はいかがでしたか? 竹田さんの上の記事でも紹介されていましたが、ビリー・アイリッシュのアルバム「When We All Fall Asleep, Where Do We Go?」(2019)はまさに鬱病や自殺願望などのメンタルヘルス、気候変動などをテーマにしています。特に2020年のような特殊な状況のなかで、Z世代の若者たちも同じような感情を抱いていたように感じましたか?


竹田

これはZ世代の特徴だと思うのですが、Z世代は、身近な人同士ではネガティブなメッセージをシェアしない傾向があるように思います。クラスメイトや高校・大学の同窓生などのリアルな友達が、Instagramに「先週はすごく落ちこんでいたけど、今週は少し頑張ってみようと思う」といったポジティブな内容を投稿することはあっても、実際に一対一でそういう話をすることは少ない印象です。それよりも、例えばTikTokでまったく知らない人が「人生最悪だし、オンライン授業とか超疲れるし、ずっと寝てるし、こんなパンデミックもうイヤ!」と叫んでいるのを見ると、すごく共感できることがある。SNSを通じて知らない人同士がメンタルなつながりを持つというのは、Z世代に顕著なことだと思います。おそらく、発信している彼らもリアルな友人とはそんなことを頻繁には言い合わない。しかしインターネット上ではそういうことを吐露できるし、自分と同じ感情の人がこれだけいるんだと感じることができます。

また、セレブのあり方も変わってきています。例えば、TikTokで最もフォロワーが多いことで知られるダミリオ姉妹は、ただ美人でダンスがうまいというだけでティーンたちに人気を得ているわけではありません。例えば姉のディキシー(Dixie D'Amelio)は歌手活動も初めていて、鬱について歌うということが彼女にとって一種のブランディングでもあります。かつてのセレブといえば、白人のイケイケな感じの子たちの華やかな暮らしぶりばかりが思い出されますが、今は違います。彼女たちは、「SNSはフェイクな場所だし、完璧な人間なんていないよ」と、メイクもせず、目の下のくまをあらわにしてリアルな心情を話すこともある。一般人もセレブも同じSNS上で発信をするなかで、私たちの世代ってこうだよね、という共通意識が生まれているのだと思います。



眞鍋

SNSがフェイクな場所であると理解したうえでなお、Z世代はそこで価値観を見出し、さらにそこにみんなが集まって連帯感が生まれているというご指摘は、とても興味深く感じます。もちろんリアルを軽視しているわけではないけれど、どちらかと言えば、インターネット空間のほうに意識の重きを置いている、僕にもそういう感覚があるように思います。

加えて、セレブのあり方についても言及がありました。日本では、そのような方法で発信をしている有名人はそこまで多くないと思います。しかし、海外のセレブたちは、SNS上で理想像を演じるのではなく、飾らないありのままをさらけ出すようになっているというのは、彼ら、彼女らもまた同様の悩みを抱えていて、自分たちの境遇への共感を求めているのでしょうか。


竹田

はい、そうだと思います。社会学などでは、私たちの世代は子どもの頃から携帯電話を持っていて、対面で人と触れ合う時間が極端に減ったぶん、インターネットのなかの人物に対して共感やある種の依存を抱くようになったという説明がよくなされます。同時に、インターネットの発達とともにセレブたちの発言の影響力や社会的責任が問われるようになり、自分がどのような人に憧れ、フォローし応援しているのかをクリティカルに考えている若い人もかなり増えています。それは、インターネットやSNSが架空の空間であり、そこでのセレブという存在は偶像なんだという認識が、やっと広範にそしてしっかりと認識されてきたためでしょう。私がもう少し若かった頃は、セレブの写真がじつはフォトショップで体を細く、肌の色を加工し、傷を隠していたなんて話はあまり出てきませんでした。しかし今になって、例えばブリトニー・スピアーズが、人気絶頂期にじつはさまざまな辛い経験をしていたという話も出てきました。華やかな世界にいる彼女も私たちと変わらない思いを抱えているし、同じ苦しみや悩みを持っているということがSNSによって視覚化し、幻想が消えた。完璧な人なんていないよね、と。自分がフォローしている人たちやその投稿内容は、やはり自分の自己肯定感やメンタルヘルスに影響を大きく与えます。だからこそ、その管理にも敏感になっているのだと思います。


Z世代という自覚をもち、行動を起こすには

眞鍋

SNSはフェイクであるとしても、リアルを映す鏡という側面が浮上しているということですね。僕が海外のZ世代に対してすごいなと感じるのは、SNS上での精神的な連帯を超えて、会ったこともない人たちが集まり、実際に社会運動というアクションにまでつなげていることです。

一般的に、日本には社会変革の事例が少ないと言われています。近年では、若者が政治的な発言をし、社会運動を推進した例にSEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)がありましたが、一過性のものでした。また日本では少子高齢化が進んでいるため、僕たちの世代は人口的にマイノリティであるうえに、価値観すら十分に共有されていないと感じています。日本のそのような状況下において、「Z世代という価値観があり、その自由な価値観のなかで僕たちは変化を起こすことができるんだ」と提示するだけでは、残念ながら社会を動かし変革を起こすだけの力になりにくいように思います。ある意味で上の世代とは線引きをし、自分たちはZ世代だという認識をしっかり共有する作業が必要ではないでしょうか。

そうした認識のもとでお聞きしたいのですが、もし竹田さんが「なぜZ世代という自覚を持つ必要があるのか?」と、それを持っていない同世代の人から尋ねられたらどのように応答しますか。どう答え、伝えるのがよいか、何かアイデアがあれば教えてください。


竹田

まずアメリカの話をすると、じつはアメリカでも、Z世代の世代論はようやく出てきたばかりです。Z世代より以前のベビーブーマー、X世代、ミレニアルという3つの世代論が熱く語られていて、いまだに「ミレニアルは若くてだめな子たち」というような認識がされている。つまり、若い人=ミレニアル世代という思い込みがいまだにあるのです。そのため、Z世代というコンセプトは、アメリカではまだ定着していません。個人的な所感では、去年ぐらいからようやく認識されはじめたように思います。おそらく、Z世代と呼ばれる人たちが、大学を卒業して社会に出はじめたためでしょう。

最近ヒートアップしているのが「ミレニアル世代 vs. Z世代」の争いです。内容は省きますが、ミレニアルとZ世代の境目はどこにあるとは言い難く、具体的な線引きとなるような年や出来事もありません。そのため、私を含めさまざまな人が書いている通り、Z世代とは、もはや年齢ではなく価値観だと言われているのです。「テックによって大きく変わった社会における価値観」と定義づける考え方もあります。そういう意味で、年齢での連帯とはまた別に、気候変動への強い関心や反資本主義のようなプログレッシブな思考を持った人を「Z世代的な人だ」といったほうがよいのではないか、と考えているのです。

一方日本では、このZ世代的な価値観という見方を当てはめづらい。たしかに、先ほど眞鍋さんも言及されたように、日本では少子化で子どもが大切にされていると言われながらも、やはり少数であることから、若者たちの政治的・社会的・経済的な影響力は小さいと思います。

しかし日本でZ世代が浮上しにくい最も大きな原因は、若者の保守化がアメリカ以上に顕著なことだと思います。70年代の映画などで描かれるように、欧米のティーンエイジャーは典型的な反抗期を経験します。アメリカのZ世代が持っている大人への反発心はまさにその血を引いているし、そこに社会的な革命意識が織り込まれたような価値観だと思います。けれども、日本では年功序列の文化が根づいている以上、いつの時代も上の世代にとって都合のよい若者像が求められる。経済の悪化や将来への不安で、反乱を起こすのではなく、いったん年上の人たちに従おうとか、古い価値観に染まったほうが楽だとか、とにかく自分が助かればOKだという思想になってしまうのは、こうした状況では仕方がないことかもしれません。私も彼らを批判しているわけではありません。

ただし、同じ日本でも団塊の世代より下のいわゆるX世代には、当事者意識が生まれつつあるようにも感じています。彼らは、いま子どもが中学生くらいになって、自分たちや少し下の世代が受けてきたアンフェアな就職やさまざまな冷遇、機会損失を、子どもたちの世代には残せないと真剣に考えています。

だから個人的には、「〇〇世代 vs. Z世代」といった世代論ではなく、ある意味全員が非合理的な政策や少子化の犠牲者であると連帯すべきだと思います。そこでさらにZ世代的な価値観を持って社会の問題を浮き彫りにし、みんなで学ぶことで全員が生きやすくなっていければいいのではないか、ということを伝えたいと思います。


眞鍋

なるほど、少子化やその社会の影響は、Z世代だけじゃなく上の世代も被っている視点をあまり気にかけた事はありませんでした。大人たちのせいでツケを払わさているかのような絶望やダルさばかりを感じていて、僕自身も、知らないうちに世代論的なものにとらわれていたのだなと気づかされます。また、世代を分けるのではなく、Z世代という価値観をみんなで共有するという視点はやはりとても新鮮ですね。Z世代が自覚を持つことに加えて、もっと上の世代や隙間の世代にも問い続ける必要があるように感じました。

ひとつ、アメリカと日本で大きく違うと思ったのが、竹田さんが挙げてくださった「反発心」です。大きな壁にぶつかって反発心を抱くことは、なにもティーンエイジャーや反抗期に限られたことではありません。これから僕たちが経験する就職活動でも、社会に出てからも、何か自分を保てないような壁にぶち当たることが、これから先も何度もあると思います。日本でも、もっとネガティブな社会潮流に対して抵抗することが必要になっていくでしょう。

保守化する若者が多い日本で、価値観の共有や、その後の行動を起こすうえで、学び参考にすべきものはなんでしょうか? アメリカではSNSが十分その役割を担ったのだと思いますが、日本人はとにかく社会運動を起こそうと声を上げるような経験が乏しく、反発心を表現するに至らない。それがとてももどかしく感じるのです。

竹田

少し話がそれるかもしれませんが、以前、ニューヨーク在住の文筆家・佐久間裕美子さんとZ世代について話したことがあります。彼女は、ちょうど就職氷河期に日本の大学を卒業したのですが、現在のパンデミックで仕事がないアメリカのZ世代と状況が似ているので、メンタリティを共有できる部分があるとおっしゃっていました。大学までは守られた環境にいたから気づかなかったけれど、社会に出てその不条理を身をもって知る、あるいは、親になってから子どもの環境を通して気づくこともあります。絶望を感じたとき、変われる人と変われない人がいますが、そこに年齢や学歴は関係ありません。新しく学ぶことができたり、自分が変化を起こせる可能性があるとか、誰かに良い影響を及ぼせるかもしれないというポテンシャルを信じられる人に、変われる人が多いように思います。

また、教育の研究に携わっている視点から見ると、日本の教育は改善点が非常に多いと感じますが、それはつまり、変われる可能性が非常に高いものだともいえます。日本人は自分の意見を持つように教えられていない、とよく言われますが、今はインターネットもあるし、英語が少しでもわかれば、世界の様子を知ることができます。ほかの国が置かれている状況に共感することもできるし、自分の国を客観的に見ることもできると思います。

一方、私にはよくわからないのが、日本のZ世代の子たちは、悩みがないから主張しないのか、あるいは悩みがあるけど言えないのか、ということです。そこがあまり見えてこない。もちろん、悩みがある人にはあるし、ない人にはないわけですが。しかし、そういうところで、悩みを感じていない人たちにも社会的弱者や抑圧されている人々に寄り添ってもらうためには、どのように連帯を呼びかけたらいいのか、これが最大の課題だと感じています。「Z世代的な価値観」がかっこいいものであるという統一的な意識を誰もが持ったほうがいいというスタンスを周知させていくのか、それとも社会的責任などの地に足のついた議論を展開していくべきなのか、、という点で迷っているアクティビストも多いと思います。もちろん、アメリカでも全員がZ世代的な意識を持っているわけではありません。保守的な人もいるし、保守的であることを良く思わないリベラルな人たちもたくさんいます。

つまり、「問題にさえ気づいていない人」「問題に気づいて変わる必要を感じている人」「問題に気づいたうえで変わろうとしている人」という3種類の人たちがいて、気づいていない人たちにどう気づかせるのか、という議論と、気づいてしまったけどアクションが起こせない人たちにどうアプローチをかけるか、というのは別の話だと思うし、手段が異なるように思います。


眞鍋

僕の感覚では、いま私たち「elabo」がやるべきことは、「問題にさえ気づいていない人」に気づいてもらうための発信だと思います。もちろん、問題に気づいている人にアクションを促していきたいという想いもありますが、まず日本では気づいていない人が大多数だと思うんです。もちろん、保守の子もいればリベラルな子もいて、それは日本も同じ状況です。そこに向かって同じ価値観を持とうと呼びかけるのは、たしかにラディカルかもしれません。さらに、竹田さんが最初に紹介されたように、実生活の友達には言わなくても、ネット上で考えを共感できる人たちと出会い発信しあえる環境がアメリカにはあるけれど、日本ではネットのなかにすらそれがないように思います。そこに大きな壁があるように感じます。


竹田

私も最近同様のことを考えていますが、まったく問題を感じていないし困っていない人たちに対して「いま環境問題をきちんと考えないと、将来あなたたちが困ることになるんだよ」と言っても、「うるせーよ」とか「いま大丈夫なんだからそんなこと言われたくない」と答える人たちはやはり多いんですよね。だから、与党の邪魔をするな、なんて保守的な思想に行き着いてしまう。マイノリティの権限を守るためにその人たちに変わってもらうことが難しいというより、彼らがずっと変わらないからマイノリティが抑圧され続けていると言ったほうが正確かもしれません。

例えば、白人男性に「Black Lives Matter(ブラック・ライブズ・マター)」と言わせるには、彼らによほどの罪悪感を抱かせないと難しいのかもしれない、ということです。

日本とアジアの連帯

眞鍋

竹田さんの今のお話は、アジア人の間での連帯の問題にもつながっているように思います。私は、日本がかつてなく貧しくなっている今こそが、逆にアジア人と連帯する好機だと考えています。これまで日本は戦後のいろいろな条件が重なって、アジア圏では抜きん出て経済的に豊かでした。そのため、団塊ジュニア世代くらいまでは、自分たちは名誉白人であるかのような大きな勘違いをしていて、アジア諸国と連帯することができなかった。しかし、いま日本にも本当に困っている人たちがたくさんいるように思います。そういった人たちが国境をまたいでつながっていける可能性があるのではないか、と思うのです。

そのためにも、昨今のアジアンヘイトだけに限定されることではありませんが、自分たちも当事者であるはずの事象に日本人が関心を抱くようになるにはどうすればいいのか、考えていく必要があるように感じます。


次回「後篇」では、ここまでの世代間の連帯に加え、アジア圏での連帯についても考えたいと思います。



[2021年4月26日、Zoomにて]

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2021/05/14
インタビュイー |
竹田ダニエル
(たけだ・だにえる)

カリフォルニア出身、現在米国在住のZ世代。大手レーベルのビジネスコンサルタントやテック系スタートアップを経てフリーランス音楽エージェントとして活動し、アーティストのPRやマネジメントを行う。ライターとしては「カルチャー×アイデンティティ×社会」をテーマに執筆、『現代ビジネス』『Forbes』『Newsweek』『日経新聞』『Rolling Stone』等掲載。『群像』『日経xwoman』『DIGLE』『日経COMEMO』『wezzy』で連載中。

聞き手 | 眞鍋ヨセフ/写真 | 森岡忠哉
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