億万長者ピーター・ティールがかきたてる期待と疑い──競争のない世界へ
日本社会の受験、就職活動を経験するなかで、他人と競争することにうんざりする人は少なくないだろう。競争、競争と責め立てられる緊張感が嫌だということもあるだろうが、競争相手への嫉妬や自己嫌悪といった感情的葛藤への疲弊、
#リバタリアン #ルネ・ジラール #『Zero to One』
politics
2021/05/14
執筆者 |
柳澤田実
(やなぎさわ・たみ)

1973年ニューヨーク生まれ。専門は哲学・キリスト教思想。関西学院大学神学部准教授。東京大学21世紀COE研究員、南山大学人文学部准教授を経て、現職。編著書に『ディスポジション──哲学、倫理、生態心理学からアート、建築まで、領域横断的に世界を捉える方法の創出に向けて』(現代企画室、2008)、2017年にThe New School for Social Researchの心理学研究室に留学し、以降Moral Foundation Theoryに基づく質問紙調査を日米で行いながら、宗教などの文化的背景とマインドセットとの関係について、道徳的判断やリスク志向に注目し研究している。

競争するな、独占しろ


現代の日本社会の受験や就職活動を経験するなかで、他人と競争することにうんざりする人は少なくないだろう。競争、競争と責め立てられる緊張感が嫌だという人もいるだろうが、競争相手への嫉妬や自己嫌悪といった感情的葛藤に疲弊すること、あるいは、いつの間にか目的そっちのけで競争のために競争をしていることの不毛さに気づいて、無力感を感じる人も多いのではないだろうか。言うまでもなく、競争原理とは資本主義の根本原理である。したがって市場経済に覆われた近代以降の社会がこの原理から逃れることは容易ではない。より長いスパンで見れば共産主義社会が成功しなかったこと、日本という狭い範囲で見れば2000年以降のゆとり教育が大局的には不成功だったことは、脱競争の困難さを示すエビデンスだと言えるだろう。進化論的な見方に立ち、生存もまた競争だと言うのならば、一層競争を完全に免れて生きることは困難だと思われる。

競争という根本的な条件を前提としつつ、競争から脱する方法。この方法を時代に即した仕方で示し、大きなインパクトを与えたのが、2014年に刊行されたピーター・ティールの『Zero to One』(Random House)だった。ティールの主張は至ってシンプルで「競争するな、独占しろ」である。幼少期にドイツからアメリカに移住したティールは、中学時代から数学の能力に秀で、高校時代には総代になったほどの秀才だった。スタンフォード大学で哲学の学士号、法科大学院で法務博士号を修めた。その後、法律事務所で研修をした後に、アメリカ合衆国最高裁判所の法務事務官の試験を受けるが、面接で不合格となる。その挫折の経験から、彼は自分がエリートになるためにかけてきた広範囲に渡る教育投資とその報われなさ、またその原因となっている不毛な競争に気づいたとティールは回想する。その後、法曹としての競争においてトップの地位である最高裁の事務官の試験に落ち、8カ月NYで弁護士の仕事をした後、ティールは、シリコンバレーにビジネスチャンスを見出す。そして、よく知られているように、彼はPayPalを起業し、大成功を収めた。

Peter Thiel, Zero to One: Notes on Start Ups, or How to Build the Future

最高裁判所の法務事務官を目指していた頃の友人に「事務官にならなくてよかったな」と言われたティールは断言する。「競争」は現代社会のイデオロギーだ。私たちはこの「競争」というイデオロギーに支配されて、本質を見失ってはならない。大事なのは自分が独占できることを的確に見定め、エネルギーを投入すること。起業(スタートアップ)に際しても先行起業が競争している領域は避けるべきで、地味であっても、ニッチなユーザーを完全に独占できる事業に着手しろと。

ルネ・ジラールの模倣理論


ティールの上述の独占(Monopoly)思想は、スタンフォード大学哲学科時代の指導教員であるフランス人人類学者、ルネ・ジラールの模倣理論に基づいている。ティールとジラールの関係に触れた記事では、Esoteric(秘教的な、難解な)という形容詞がジラールの哲学を修飾しているが、ジラールの主張それ自体はティールと同じくらい、シンプルで明快だ。古代の神話から近代文学に至る膨大なテキストを、人類学的視点で分析してきたジラールの結論は、人間は他者を自らの分身として模倣する傾向を持ち、さまざまな暴力はこの模倣欲求から生じるというものだった。つまり、模倣欲求は、一方で、模倣する相手への嫉妬心を生み、模倣対象を破壊させようとする。また他方で、模倣欲求からは競争や闘争が生じ、そのストレスを解消するために、共同体で弱いものが「犠牲」として集団的な暴力の被害者になるという悲劇的な事態が生じる。ジラールは、後者を「基礎作りの暴力」と呼んでおり、例えばローマ帝国の建国神話の双子、レムスがロムルスに殺されるといった事例を挙げている。暴力に基礎づけられた共同体は、競争と犠牲という形で、暴力を行使し続ける共同体になる。事実、私たちの社会の至る所で模倣の暴力が駆動しており、集団間同士の戦争も一向になくならない。加えて、20世紀以降の核兵器に代表されるように、私たち人間は平和な状態さえ、暴力による抑止力によって、つまり暴力を前提に実現しようとしてきた★1。このように一貫して暴力を共同性の前提にしている状況は、もはや限界に来ていると、ジラールは、晩年の著作、ティール自身も最重要著作としている『世の初めから隠されていること』(小池健男訳、法政大学出版局、2015/原著=1978)で述べている。その限界は自然環境破壊として現れており、こうして人類は自らの生きる条件さえ模倣欲求に基づく暴力で破壊し、環境はもうその負荷に耐えられなくなってきているのだとジラールは述べている★2。

ルネ・ジラール『世の初めから隠されていること』

 

ジラールは、この模倣の暴力から脱するためには、徹底した非暴力、要するに「愛」しかない、と主張した。しかし、暴力を基盤とする人間の共同体では、非暴力を実践する者は必然的に暴力の餌食になる。なぜならば、模倣という暴力の原理と非暴力の原理とは、まったく相入れないものだからだ。先の核兵器や日本のアメリカ軍基地問題の例のように、私たちの社会では、自分が直接の暴力を被らないために、他者に対するそこそこの暴力は許容するという妥協が横行している★3。しかし、非暴力とは暴力の放棄そのものなので、暴力とのいかなる妥協も不可能なのである。そしてそれゆえに、暴力を維持したい側としては、非暴力を実践する人を抹消せざるをえなくなる。ジラールは、キリスト教の新約聖書の福音書とは、まさに非暴力=愛の実践者が暴力の国のなかでどうなるかをありのままに示したものだと述べた★4。そして自らの模倣理論の論理的帰結として、ジラールは、イエスの十字架上の死を全人類の罪を救済するための供儀(=贖い)とする伝統的なキリスト教会の解釈は、非暴力の実践を、暴力の論理のなかに位置付けているという意味で、大きな誤り、誤読だとしている★5。


クリスチャン、リバタリアン、共和党支持


ティールはジラールに心酔し、両者には良好な師弟、友情関係があったようだ。ジラールは、自身の模倣理論を追究するなかで、キリスト教を真理だと確信するに至ったと述べているカトリック教徒であるティール自身は、聖書に書かれていることを文字通りに信じるキリスト教保守・福音派の家庭で育ったが、現在は「何らかの非正統的なsomewhat heterodox」信仰を持っていると述べており、伝統的な贖罪論とは異なる立場を取るジラールの思想を示唆している。さまざまなインタビューのなかで、ティールはキリスト教について言及する時に慎重だが、それは彼が生きてきた業界において、キリスト教を信仰することがマイナーだからである。言うまでもなく建国以来キリスト教が国家の中心にあるアメリカ合衆国自体は、2019年に「無宗教no religion」と答えた人口が全国民の23%に増加しただけで大騒ぎという、世俗化が進む西洋諸国において稀有なキリスト教国である。しかし、ティールが勝負をしてきた、テック系の企業がひしめくシリコンバレーやスタンフォード大学は、米国で最もリベラルな人口が集中している場所であり、そのなかにあってティールは間違いなく少数派だったはずだ。要するに「宗教を信じているなんてバカ」で、「頭の良い人は神なんて信じない」というモダンな考え方は、アメリカではよくも悪くもメジャーではないのだが、ティールが生きてきた地域に限ってはマジョリティを占めていたことが予想されるのである。秀才でありながらも思想信条的に少数派であった若かりしティールが、非合理としてではなく、あくまでも明快な論理的帰結としてキリスト教信仰の信憑性を示しているジラールに大きなインパクトを受けたことは想像に難くない。

 

事実、ジラールの模倣理論は、近年実証的データが積み重ねられている進化心理学から見ても、まったく不合理な議論ではない。例えば『文化がヒトを進化させた──人類の繁栄と〈文化─遺伝子革命〉』(今西康子訳、白揚社、2019/原著=2016)を著したジョセフ・ヘンリックは、人間が文化によって進化する存在である以上、模倣は根本的な習性であり、人間が生存するために、誰を模倣すべきかの見分けがきわめてクリティカルであることを豊富な事例によって示している★6。

ジョセフ・ヘンリック『文化がヒトを進化させた──人類の繁栄と〈文化─遺伝子革命〉』

 

ティールはクリスチャンであると同時に共和党を支持するリバタリアン保守である。彼は、現在も続くスタンフォード大学の保守系学生新聞「The Stanford Review」を創始したことでも知られている。現在も続くこの学生新聞のウェブサイトに、自分たちの目的は「Alternative views」を見せることだとあるように、教条主義的リベラルが多いスタンフォード大学にあって、ティールが意図的に保守というオルタナティブを体現していたという点は、彼を理解するうえで重要である。要するにティールの思想は、明らかに、現在のアメリカ合衆国のエリートの多数派であるリベラル/プログレッシヴに対する不満から生まれているということだ。

 

ティールは一貫して、全人類にとっての豊かな未来、そのための実質のあるイノベーション、そのための技術革新、そして、そのための才能ある者の無制限の自由を求める。彼は、左派リベラルが、多様性や民主主義の実現のために、多くの人の意見を聞こうとするあまりに思想的に曖昧になり、目的を見失い、結果、社会を大きく動かせず、地盤沈下のように貧しくなっていく状況を嫌う。2016年の共和党党大会の演説では「民主党は(LGBTQ擁護のために)トイレの表示を男性にするか女性にするか両方にするかなどどうでもよい事柄に議論の時間を割いているが、これは本質から逸れている(distracted)」と喝破した。彼自身がゲイでありながら同性婚に反対する共和党を支持していることは明らに矛盾しているのだが、ティールとしては、そんなことよりもっと大事な問題があるということになるのだろう。多様性に開くほうにばかり意識を取られて、人類の進歩や革新が足止めされるくらいなら、能力ある者による独占や独裁のほうがマシだとティールは考える。結果2016年の大統領選で、ティールは、あえて政治家ではない、つまり政治的なしがらみのないトランプに賭け、支持を表明した

トランプ支持がもたらした波紋


トランプの当選後のティールの動きを見ると、おそらく成田悠輔氏の言い方では「人間爆弾」としてのトランプを、とりあえず硬直化した政府に放り込んで、優秀な自分たちで動かしていく、少なくとも自分たちのリアルポリティクスへの影響力を増し、独占や技術革新のために有益な環境を作ろうとしていたのではないかと推測できる。一部は実現したという論説もあるが、大局的にはトランプはティールが望むような働きをしなかった。特にコロナ・ウィルスへの対策はティールを失望させたと言われており、事実、2020年の大統領選挙では共和党の議員には寄付をしたが、トランプ自身には寄付をせず、また支持を表明することもなかった。直近のインタビューでも、トランプへの言及には慎重で、しかし、Facebookがトランプを追放したことは行き過ぎであったと述べている

 

トランプが敗北したことで、2020年の大統領選以降、ティールがなぜトランプを支持したのかに関する検証やその責任を問う記事が増えてきている。2020年9月11日の「BuzzFeed」の記事では、ティールがトランプへの支持を表明する前に極右団体のアルトライトの幹部と会食をしていたことが暴露されている。またティール自身がシリコンバレーでの影響力を失い転居したことなどが報告されており、こうした記事がBuzzFeedに掲載されることも含め、ティールの政治的に保守的立場が白人至上主義に結びつけられ、その風当たりも強くなっているように見える。

 

最も新しい動きとしては、オハイオ州で上院選に立候補が予定されており、共和党員でティールの元部下でもあるJ・D・ヴァンスへの1,000万ドル(10億9,000万円)という巨額の寄付が報じられており、このニュースは日本語にも翻訳されていた。ヴァンスはNetflix制作の映画にもなった『ヒルビリー・エレジー』(ロン・ハワード監督)の原作者であり、いわゆるプアホワイト出身でありながらスタンフォード大学に行った秀才で、自らの自伝でラストベルトの貧困層の白人たちの惨状を世に訴え、注目された。『ヒルビリー・エレジー』は2017年に公刊され、2016年になぜトランプが大統領選で勝利したのかを説明してくれる良書として、リベラル寄りのメディア「New York Times」でもベストセリングブックとなった。ヴァンスは上司であったティールに影響され、自らジラールの思想に傾倒したことを表明しており、それが高じて2019年にカトリックの洗礼を受けている。ヴァンスは何の希望も持てない貧困層の子どもたちのために政治家を志しているという。と同時に、ティールのヴァンスへの寄付に関する記事には、ヴァンスに巨額の寄付をした人物として、かつて極右のスティーブ・バノンと連携していたヘッジ・ファンドの大物、ロバート・マーサーの家族が挙げられていることからも、こうした動きのなかにも白人至上主義を嗅ぎ付けているプログレッシブはいるようだ


力のない社会への近道はどれか?


私のティールへの関心は、彼が億万長者であることよりむしろ、ジラールの理論を土台とした思想的一貫性を持つ起業家である点に向けられている。特にリベラリズムに対する批判を前提にジラールの模倣理論に立脚したという、いささかねじれた論理の飛躍が興味深い。また、多様性を尊重するあまり膠着している、あるいは細部に神経症的にこだわるがゆえに本筋を見失っているというティールのリベラリズム批判は一方で正しいと認めざるをえないとも思っている。と同時に、やはり、彼自身が、傾倒するジラールの本筋から明らかに逸れていることも指摘せざるを得ない。要するに、彼のモノポリー(独占)理論は、ジラールの非暴力論とは明らかに矛盾しているということである。ヴァンスはカトリックの洗礼を受けたことに関連するインタビューで、ティールを代弁するような形でこのように述べている。

 

大多数の自称クリスチャンが、トランプに接近したことを、たくさんの人たちが批判していることは知っています。私にとって、根本的に多くのクリスチャンが直面している問題は、この二つの政党のうち、どちらが自分の信仰を最も傷つけないかということなのです。この問題に直面すると、ほとんどの場合、満足のいく答えは得られません。私は、一部の福音派の人たちの大統領への反応には批判的です。しかし、彼らの多くが単にお人好しだからそうしているのではないことも知っています。彼らは、ほかに良い選択肢がないと思っているからこそ、そうしているのです」。

 

ティールもまたヴァンスと同じく、現状に対しておよそ楽観的ではなく、共和党/民主党のいずれの政党、リベラル(プログレッシヴ)/保守のいずれの政治的立場にも完全には賛同していないのかもしれない。しかし、そこで彼らは「信仰を傷つけられない」という理由から、よりマシなほうとして、弱者への暴力(ヘイトクライムなども含む)を辞さない現在の共和党を選ぶ。暴力と非暴力はトレードオフの関係にはなく、完全な非暴力しか解決はないとするジラールの論理から、彼らがすでに外れているのは言うまでもないだろう。それでもなおティールの発言や実践に注目せざるを得ないのは、彼が、徹底した非暴力というジラールのテーゼを、この「暴力の国」で現実化するための方法を編み出そうとしているのではないかという思いがよぎるからだ。

 

一見暴力的に見える独占によって非暴力に到達するのか、多様性の擁護によって一つひとつの非暴力を積み上げて完全な非暴力に到達するのか。ティールが私たちに突きつけ、その生涯を通じて追求しているのは、億万長者になる方法ではなく、またスタートアップを成功させる方法でもなく、完全な非暴力に到達するための方法であることを、筆者は、巨大な疑念を携えつつ、期待している。


★1──ルネ・ジラール『世の初めから隠されていること』(小池健男訳、法政大学出版局、2015)413頁
★2──ルネ・ジラール『世の初めから隠されていること』416〜418頁
★3──このジラールの問題系は、「犠牲のシステム」と言う概念的一般化を介し、高橋哲哉によって日本の靖国問題、基地問題、原発問題などと結びつけられ論じられている。高橋哲哉『靖国問題』(ちくま新書、2005)、『犠牲のシステム福島・沖縄』(集英社新書、2012)など。
★4──ルネ・ジラール『世の初めから隠されていること』344頁
★5──つまりイエスの死は、非暴力の実践者は暴力によって抹消されるということを示しているのであって、誰かを助けるために捧げられた供儀ではないということである。そしてまさに非暴力とはそのような仕方でしか、現象しえない。ルネ・ジラール『世の初めから隠されていること』343頁
★6──『文化がヒトを進化させた──人類の繁栄と〈文化─遺伝子革命〉』特に第4章。

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2021/05/14
執筆者 |
柳澤田実
(やなぎさわ・たみ)

1973年ニューヨーク生まれ。専門は哲学・キリスト教思想。関西学院大学神学部准教授。東京大学21世紀COE研究員、南山大学人文学部准教授を経て、現職。編著書に『ディスポジション──哲学、倫理、生態心理学からアート、建築まで、領域横断的に世界を捉える方法の創出に向けて』(現代企画室、2008)、2017年にThe New School for Social Researchの心理学研究室に留学し、以降Moral Foundation Theoryに基づく質問紙調査を日米で行いながら、宗教などの文化的背景とマインドセットとの関係について、道徳的判断やリスク志向に注目し研究している。

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