同性婚を巡るバイデン大統領の発言から考える──それは「愛 love」の問題です
「愛」を「家族」とは別の、ある意味では「家族」を超える価値として認めているからこそ、それを基準にこの状態が正しいかどうかを判断できている。
「同性婚は愛の問題」が、反対していたオバマに再考を迫った。
identity
2021/05/28
執筆者 |
柳澤田実
(やなぎさわ・たみ)

1973年ニューヨーク生まれ。専門は哲学・キリスト教思想。関西学院大学神学部准教授。東京大学21世紀COE研究員、南山大学人文学部准教授を経て、現職。編著書に『ディスポジション──哲学、倫理、生態心理学からアート、建築まで、領域横断的に世界を捉える方法の創出に向けて』(現代企画室、2008)、2017年にThe New School for Social Researchの心理学研究室に留学し、以降Moral Foundation Theoryに基づく質問紙調査を日米で行いながら、宗教などの文化的背景とマインドセットとの関係について、道徳的判断やリスク志向に注目し研究している。

Twitter @tami_yanagisawa

2020年の大晦日、星野源は紅白歌合戦で、日本国民に向かって「愛が足りない」と歌った。この「うちで踊ろう」という曲に付け加えられた新たな歌詞は、その年に起きた出来事を思い起こさせるものだった。つまり、コロナ禍の最初の外出自粛期間、自宅での生活を余儀なくされている人たちを励ますために発信された星野の楽曲が、政治家によってSNS上でコラボされたことから炎上のきっかけになり、さまざまな批判の言葉が飛び交ったという、あの一連の出来事である。その記憶を呼び起こしたうえで、「変わろう、一緒に」と続けて歌った星野は、2021年5月19日にドラマの筋書き通りの結婚を発表した。が、その翌日には、自民党の複数の政治家が同性婚に対して差別的な発言を行い、社会の変化を期待する私たちは激しく落胆した。


こうして振り返ってみると、やはりどうにも「愛が足りない」日本社会のように見えるけれど、他国はどうなっているのだろうか。本稿では、前・後篇の2回に分けて、アメリカの大統領ジョー・バイデンの発言から、同性婚と「愛」という理念、そこに付与された価値について考えてみたい。それは同時に、「家族」と「愛」について考えることでもある。

とてもシンプルな命題

現在のアメリカ合衆国大統領ジョー・バイデンは、2012年5月6日NBCのトーク番組「Meet the Press」で副大統領としてインタビューを受け、当時アメリカの選挙戦での争点のひとつだった同性婚について尋ねられた。キャスターが「あなたの同性婚に関する考えは進展しましたか」と問いかけると、バイデンはこう語った。「これはとても良いニュースだと思うのですが、多くのアメリカ人は同性婚の問題はとてもシンプルな命題であることを理解しつつありますね。それは、あなたは誰を愛しているか(Who do you love)ということ、あなたは愛する人に忠実でいたいか、ということです」。


このNBCのテレビインタビューでのバイデンの発言は、当時同性婚に賛成していなかったオバマ前大統領に、自らの立場を再考させるきっかけになったと言われている。

初の黒人大統領となったオバマ前大統領は、マイノリティを擁護する人権派のイメージが強いが、2008年の第1期目の大統領選の際には、LGBTの人権擁護を主張しつつも、同性婚には明確に反対の意思を示していた。しかし第2期目の大統領選の年である2012年5月12日には、オバマは歴代のアメリカ大統領として初めて同性婚の支持を表明することになり2015年には、オバマ政権下で全米全ての州で同性婚と同性カップルの養子縁組が合法だと認められることになった。このオバマの決断を後押しした出来事のひとつが、同性婚支持の表明の約1週間前の、上述のバイデンのインタビューでの発言だとされている。そしてじつはほかでもないバイデン自身もこのインタビューが行われた2012年以前は、オバマと同じ立場を取っていたのである。

同インタビューのなかでバイデンは、このインタビューの直前にゲイカップルの家に招かれた時の思い出を語っている。カップルの5歳と7歳の養子たちが、自分に花束を渡してくれたと回想するバイデンはこう続けた。「すべてのアメリカ人が、あの子どもたちの目に映る愛を見ることができたなら、その愛について何の疑いも持たないでしょう」。NBCは、おそらくこの経験が、バイデンの考えを大きく変えたのだと報じている

バイデン夫妻と孫たち
Photo by David Lienemann (Public Domain)


感動だけでは終わらない部分

美しい話である。しかし、感動に呑み込まれてしまう前に、少しだけ注意が必要かもしれない。まず2012年5月は、同年の11月に大統領選の再選を控えた時期であり、このゲイカップルの家への来訪自体、ハリウッドの業界人マイケル・ロンバルドが、オバマ/バイデンへの支持と引き換えに、自分たちLGBTQの権利の拡大をアピールするために催した集会だったということである(いわゆるロビー活動だ)。

加えて、社会経済的な問題も透かし見える。バイデンに感銘を与えるほど見事な家族を築き上げていたこの集会のホスト、ロンバルドとその伴侶ワルドは、エンタメ業界の超有力者であり、なおかつ白人の男性カップルである。先にも述べたように、2015年、オバマ政権下で、最高裁判所によって同性婚と同性カップルの養子縁組が全ての州で認められ、同性愛者の家族は認められることになる。

しかし、今日でもいまだに、養子をとる、あるいは代理母に産んでもらうことで、子どもを養育する家庭をつくることができるのは、社会的に恵まれた立場にいる白人男性カップルが多いと言われている。反対に、白人男性をトップとするアメリカの社会階層において必然的に低い地位にある有色人種のレズビアンは、経済的に恵まれないことが多く、結果、養子をとるなどの条件においても苦しい立場に置かれたままである。現時点での同性婚の合法化の内容は、結局、もともと存在していた社会階層の不平等を強化してしまっていると主張する研究もある

Sandra Patton-Imani,
Queering Family Trees: Race, Reproductive Justice, and Lesbian Motherhood
,
NYU Press, 2020.


「愛」は「家族」を超える

選挙を目前にしたロビー活動のなかで白人セレブリティが演出したドラマである以上、この出来事は、完全にイノセントなものだとは言えないのかもしれないが、そうだったとしても、このゲイカップルによって愛情豊かに育てられた子どもたちとの出会いが、バイデンに同性婚への支持をテレビで明言させるほどのインパクトを与えたのは間違いがない

バイデンは、子どもの瞳のなかにある「愛」に眼差しを向けることによって、同性婚は異性同士の結婚と何ひとつ違うものはないと確信したと言う。「愛」、それはしばしば「家族」と強く結びつけられるが、ここでバイデンが、「家族」を根拠づけるものとして「愛」を提示し、「愛」において変わらないから「家族」としても同じなのだと結論づけている点に注目したい。つまり「愛」を「家族」とは別の、ある意味では「家族」を超える価値として認めているからこそ、それを基準にこの状態が正しいかどうかを判断できているという点である。

Photo by Ian Taylor (Unsplash)


「家族」という概念、そこに付与された価値について、日本の問題も含め、深く考察するのは次回に譲ることとして、今回は、基本的な問題だけ確認しておこう。

婚姻とは言うまでもなく「家族」を成立させるための制度である。そして家族とは基本的には血縁をベースにした古い共同体に根を持ち、それゆえ家族をつくるための制度である婚姻とは根本的には保守的な制度だと言える★1。言うまでもなく、そのような血縁ベースの家族理解、婚姻理解は、時代を経て、個人の合意に基づく共同性として再定義されてきた。しかしそれでもなお、多くの人にとってこの「家族」という古い理念は、伝統的な見方や人々が積み重ねてきた過去の経験となかなか切断できないために、オバマやバイデンのようなリベラルを自称する人であっても、自分が知っている形と異なる家族を果たして「家族」と呼んでよいのかためらうのである★2。

小泉明子『同性婚論争──「家族」をめぐるアメリカの文化戦争』(慶應義塾大学出版会、2020)



西欧社会における同性婚への反対意見の根拠は、しばしばキリスト教に求められるが★3、実際にはキリスト教会のなかでも教派、さらに個々人によってLGBTQや同性婚に対する立場は大きく分かれている。カトリックに関して言えば、その総本山であるバチカンは、先日改めて同性婚を「祝福」しないことを表明したばかりだがカトリック教徒が大半のスペイン(2003)や北アイルランド(2015)も同性婚を合法化しており、じつはバイデン自身も敬虔なカトリックなのである。

こうした状況を鑑みるにつけ、結局のところ、宗教の教えや教義以上に「家族」という概念をどのように位置づけ直せるか、「家族」を絶対視しないための別の価値が確立されているかどうかが、同性婚に関する判断に際し、決め手になっているように思われる★4。

Photo by David Lienemann (Public Domain)


バイデンは「愛」によって同性婚を全肯定し、そのバイデンの態度表明が、オバマの同性婚支持の決断を後押しした。「愛」は、感情を伴う生理的な反応に対して付けられた名前、あるいは概念や理念にすぎないものとも言える。けれども、それが政策決定という、現実を動かす大きな推進力になったのである。自分たちの利権を維持する旧来の家族観を誇示し、差別的な発言を繰り返す政治家に激しく失望させられる日本では、愛を根拠に物事の正しさについて語る政治家が登場することなど、夢のまた夢のようにも思われる。しかし、愛を架空の理想論ではなく、リアルに感じている者たちの社会こそが、愛を語ることのできるリーダの出現を可能にするだろう。

どうにも「愛が足りない」ように見える私たちの社会には、さまざまな文脈や、既存の血縁的家族制度を吹き飛ばすほどの愛(love)が、そして愛への確信が、切実に必要になってきているのではないだろうか。

★1──駒村圭吾「同性婚と家族のこれから──アメリカ最高裁判決に接して」(『世界』第873号、岩波書店、2015、25、26頁)

★2──そして、だからこそ、血縁ベースの家系図的な発想に縛られた家族という概念自体をクィア化するべきだと主張するフェミニストもいる。文中に書影があるサンドラ・パットン・イマニもそのひとりである。

★3──現在のアメリカで同性婚に反対する一大勢力が福音派なのは間違いがないが、本文中にも述べたように北アイルランドもスペインもイタリアも同性婚を合法化しており、またほかでもないバイデン大統領もカトリックである。こうした事実から、問題は宗教の教義以上に、こうした世界宗教以前にある家族という価値に対する理解にあると推察される。

★4──アメリカで同性婚をめぐる議論が「家族という価値 family values」をめぐる、保守とリベラルとの文化戦争であったことについては下記の書籍に詳しい。小泉明子『同性婚論争』(慶応義塾大学出版界、2020)、堀内一史『アメリカと宗教──保守化と政治化のゆくえ』(中公新書、2010)。

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2021/05/28
執筆者 |
柳澤田実
(やなぎさわ・たみ)

1973年ニューヨーク生まれ。専門は哲学・キリスト教思想。関西学院大学神学部准教授。東京大学21世紀COE研究員、南山大学人文学部准教授を経て、現職。編著書に『ディスポジション──哲学、倫理、生態心理学からアート、建築まで、領域横断的に世界を捉える方法の創出に向けて』(現代企画室、2008)、2017年にThe New School for Social Researchの心理学研究室に留学し、以降Moral Foundation Theoryに基づく質問紙調査を日米で行いながら、宗教などの文化的背景とマインドセットとの関係について、道徳的判断やリスク志向に注目し研究している。

Twitter @tami_yanagisawa

写真 | Unsplash
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