20歳、大学3年生。滋賀県出身の台湾好きなフェミニスト。
東海オンエア、コムドット、EvisJap……、近年男性グループYouTuberがさらに人気を伸ばしている。彼らはYouTube界屈指の登録者数を持ち、東海オンエアに至っては589万人もの登録者を誇る(2021年6月9日現在)。Z世代に絶大な人気を誇る彼らに共通しているのはいわゆる“ホモソ(ホモソーシャル)”が生み出す「男性の友情」「身内ネタ」「ホモフォビア」のエンタメだろうか。
SDGsが普及し、ジェンダー平等が謳われるこの2021年。女性だけではなく、男性社会における平等も重要視されるなかでホモソーシャルを体現したグループが生み出すエンタメがここまで若者のなかで人気を博すのはなぜだろう? 東海オンエア、コムドット、EvisJapのコンテンツから見られるホモソーシャル文化からその理由を紐解いていく。
東海オンエアはメンバーの地元である愛知県・岡崎市を拠点に活動しており、高い企画力が持ち味だ。トップYouTuberになった今でも岡崎で活動する彼らからは強い地元愛を感じることができる。彼らのメインチャンネルやサブチャンネル(サブチャン)には地元である岡崎市のネタに加え、リーダーであるてつやと、メンバーのしばゆー、りょう、としみつ、ゆめまる(彼のみ安城市出身)が出会った城西高校のネタが多く用いられる(メンバーの虫眼鏡のみ、てつやと大学のバイト時代に出会い、のちに東海オンエアのメンバーとなっている。彼らのバイト先である「ガスト」はたびたび動画に登場する)。
若手YouTuberとして瞬く間に人気と登録者数を伸ばし続けるコムドットは「地元ノリを全国に」というモットーを掲げ、地元の仲間の集まりに視聴者である私たちも参加しているようなアットホームさと賑やかさが魅力的だ。
EvisJapのメンバーは、地元は異なるものの、大学時代からの親友であり、現在はメンバーで全員と大学時代の友人でシェアハウスを行っている。彼らが繰り広げるフリートークには大学時代の話や元カノの話など、彼らの共通認識から話が展開されることが多い。
これら3グループのなかで多く取り扱われているのはいわゆる「内輪ネタ」である。彼らは共通項である「内輪ネタ」を共有し、楽しみ、YouTubeという媒体を通して「男同士の絆」を同世代に発信している。この「絆」を伴ったコンテンツには「彼女」の話題や、「女遊び」「裸の付き合い」などがよく用いられる。
彼らのチャンネルから生み出されるエンタメの根底には、女性好き、お酒好きなど「男性はこういうものだ!」といった価値観が大きく反映されているように思う。例えば、東海オンエアはしばゆー以外のメンバーが岡崎で外車を持って生活している。
彼らの生み出す“男のかっこよさ”や“男のロマン”は多くのZ世代視聴者に影響を与え、憧れる若者も多いだろう。ホモソーシャルの側面を持つ彼らのエンタメは、今までの価値観を踏襲し、現代の若者に響く発信することで、かっこよさや憧れといった感情から視聴者の支持を集めているのではないだろうか。
テレビがエンタメのトップだった時代はいつだろうか。少なくとも私たちが視聴者になった時には“面白くない”と言われる番組が多くなってしまっていた。スポンサーへの配慮、炎上防止、タレントのイメージを悪くしないための保身……さまざまな理由がテレビの冒険的な番組制作を難しくさせているのだろう。
そのなかでも、近年嫌厭されているのが「下ネタ」である。家族と見ると気まずかった際どい深夜番組はいつの間にか姿を消し、地上波ではお目にかからなくなってしまった。その隙を突いたのがYouTubeである。少し前の世代まではYouTubeに“案件”などはなく、著作権に関してもまだまだ取り締まりが強化されていなかった。そのなかで、ベテランYouTuberたちは自分のコンテンツに視聴者が渇望していた「下ネタ」の要素を取り入れ、再生回数や登録者数を伸ばした。そして現在でも「下ネタ」は多くのYouTubeチャンネルで目にすることができる。
「下ネタ」が排除されたなかで育った私たちZ世代は、テレビにではなくYouTubeに面白いエンタメや、不足している刺激を求めるようになった。そして、自分たちと同じようにきわどい「下ネタ」を楽しむYouTuberの姿を見て、テレビで見る芸能人以上に親近感を覚える。しかし、改めて考えて見ると、これらのYouTubeで取り扱われる「下ネタ」は異性愛のみを前提としており、一部では女性蔑視的な表現を伴うこともある。もちろんエンタメとして、ということが大前提ではあるものの、学生の登録者が多い3グループの発信が、思春期まっただなかの世代に、小さくない影響を与えていることを思うと、一視聴者として複雑な気持ちになる。
私たちZ世代には、心の底から「親友」ないしは「友達」と言える人がいるのだろうか。
好きな時に、条件の合う人を選択し、関係を持つという、効率的な関係構築が可能なネット社会。所謂「デジタルネイティブ」である私たちは、物心ついた時にはパソコン、スマートフォンなどで、世界中といつでもどこでも繋がれる方法を獲得し、さまざまな恩恵を受けてきた。しかし、一見恵まれたこの環境は、私たちがリアルでの人間関係を構築することに大きな影を落としていると考えられる。
私たちは今日に至るまで、ネット社会で人間関係を構築してきた経験のほうがリアルでの関係構築に比べ大きい。しかし、一方的に、好きな話だけをしていられるネット上での関係は、リアルでの人間関係では通用しない。食事中の気遣いや、相手の空気感や心情を察知する方法を、日に日に短く省略されていく文字たちが打ち込まれた文面と無機質な通知音は教えてくれない。
恋人ができない、友人がいない、親友がいない、作り方がわからないといった「リアル」にアプローチすることに困難を覚える視聴者は、「リアル」のなかで一生モノの仲間と出会い、互いの人生を賭けてコンテンツを作り出している上記3グループのような男性グループYouTuberに強い憧れを抱いているように思う。
ここまでなぜ男性グループYouTuberが人気なのか、ということに焦点を当ててきたが、ここ1〜2年で今度は「ぼっち系YouTuber」が人気を博している。彼らは自らを「ぼっち系」と名乗り、社会生活において孤立している現状や1人で旅行に向かう様子などをPOPに投稿している(以下YouTubeは上からパーカー、わたげ、コスメティック田中)。
「ぼっち」とはひとりぼっちからきた言葉で、彼らは、これを笑いや穏やかさを交えながら自虐的に使用している。彼らの台頭には、男性グループYouTuberの人気と異なる背景があると考えられる。それは視聴者が感じる「自分だけじゃないという安心感」ではないだろうか。「自分だけじゃないという安心感」というのは、前述のZ世代が共有する“仲間を作ることが難しい環境現状”から推測される。
ホモソーシャルな関係性が背景にあるYouTuberの人気の背景には、「憧れ」といった感情が大きく影響しているのではないかとここまで考えてきた。私自身もこの3グループのファンであり、投稿を楽しみにしている一視聴者である。
しかし、エンタメとして彼らの動画を楽しむ一方で、ホモソのカルチャーを感じ取りながら笑ってしまうことには恐ろしさを感じる。それは無自覚のうちにホモソ的価値観が自分のなかに組み込まれる感覚を感じているからかもしれない。
仲間や絆をリアルで作ることが難しく、「ぼっち」であることが異常ではなくなってきている時代に、仲間や絆を体現する男性グループYouTuberの存在はまさに“リアル版・男の友情の教科書”のような存在であるように思う。しかし、この教科書が「仲間や絆=ホモソ」といったような友達観の貧しさを作り出している要因になる可能性は十分に考えられる。私たちは動画内のYouTuberはあくまで“演者”であり、動画はあくまで“エンタメ”であるということをさらに自覚して視聴者になるべきなのかもしれない……。
20歳、大学3年生。滋賀県出身の台湾好きなフェミニスト。