コロナ禍の終戦記念と『この世界の片隅に』に寄せて──死のない生活
単純な動物から始めることだ。彼らは少数の情動しかもっておらず、私たちの世界にも、別の世界にも存在していない。彼らは自分が裁断し、切り抜き、縫合する術を知っている連合した世界とともに存在しているのだ。
生かし生かされるものたちの世界、「女子供」の世界のリアリティ
culture
2021/08/13
執筆者 |
柳澤田実
(やなぎさわ・たみ)

1973年ニューヨーク生まれ。専門は哲学・キリスト教思想。関西学院大学神学部准教授。東京大学21世紀COE研究員、南山大学人文学部准教授を経て、現職。編著書に『ディスポジション──哲学、倫理、生態心理学からアート、建築まで、領域横断的に世界を捉える方法の創出に向けて』(現代企画室、2008)、2017年にThe New School for Social Researchの心理学研究室に留学し、以降Moral Foundation Theoryに基づく質問紙調査を日米で行いながら、宗教などの文化的背景とマインドセットとの関係について、道徳的判断やリスク志向に注目し研究している。

Twitter @tami_yanagisawa

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顔を合わせると何かと「しあわせだよ」と言う叔母がいる。実家に帰って会う度に「帰れる実家があってしあわせだよ」、「お父さんお母さんがいてしあわせだよ」、「健康でいれてありがたいよ」、「何よりの親孝行だよ」といった具合に。何事に対しても少々懐疑的な態度を持ちがち私も、なぜかこの叔母の「しあわせだよ」は大好きで、その発言に対して疑いを抱くことは不思議なくらいない。叔母の言葉をそのまま肯定しているわけでもないのだけれど、どうしてそんなに自然に「しあわせだよ」と断定できるのだろう、と軽い憧れの気持ちさえ抱いている。

 「しあわせだよ」という断定は、必ずしも、いつ誰に言われても受け入れられる言葉ではないと思う。職場であろうが家庭であろうが、人間関係だろうが、健康上の問題だろうが、人は何かしら不具合を抱えているものだし、もしその不具合に幾分でも苦しんでいる時に誰か身近な人に「(それでもあなたは)しあわせだよ」と断言されでもしたら、「なぜそんなことが言えるの?」と反発を覚えてしまうこともあるだろう。

 私は「しあわせ」という表現を自然に使うことはできない。けれど、「よかったね」「いいね」「すごいね」と言いたくなる相手はいる。その多くは私よりも年少のものたちであって、とりわけ幼い子供に対してだ。この「よかったね」には、多分に励ましの意味が含まれている。叔母の「しあわせだよ」にももしかしたら、姪である私に対して、励ましの意味もこめられているのかもしれない。ただこの「よかったね」が含意する内容は、養育する相手に対して自己肯定感を与える「励まし」などという意味よりも、もっともっと広いもののようにも感じる。それは泣いている赤ちゃんを抱き上げて「大丈夫、大丈夫」と繰り返すことと同様で、こうした英語のalrightのような表現には、相手を安心させるだけではなく、自分自身に対する鼓舞や励ましも含まれ、さらには自分たちが置かれている状況全般に対しての全面的な肯定が含まれているように思う。なぜこんなにも肯定する必要があるのかと言えば、生かし生かされる関係のなかに巻き込まれているからだ。新生児を育てたことがある人は、いきなり自分の力では生きられない者との関係に投げ込まれ、あまりにも無力で不確かな生き物を抱きながら、「どうしよう」と呆然とした経験があるのではないかと思う。この「どうしよう」が続くなかで次第に、生かすべき相手に「大丈夫」と言うだけではなく、養育者である自分もろとも励ますことが習慣になっていくように思う。このように言うと、こうした肯定的な価値に満ちた空間は、育児に特化した現象のようにも見えるけれど、決してそうではなくて、生かし生かされる関係に巻き込まれている限り、この「よかったね」「大丈夫」は生活の基調となるのではないだろうか。たとえばそれは介護の場などでもそうだろうし、保育や教育の場でもそうだろうし、家族であるかどうかにかかわらず、衣食住を共にする者同士もまた、大なり小なりこうした生かし生かされる関係に投げ入れられて生きている。「よかったね」には、相手を生かすという重責を担う場を支える、根本的な態度表明が、凝集しているように私には思われる。

 ずいぶん当たり前のことを言っているような気もする。「考えること」が習慣になってしまっている私にとって、メタレベルの思考や批評が排除された生活空間がことさらに興味深いだけなのだろうか。実際そうかもしれない。私は、この「良い」という価値に彩られた、生かし生かされる連関としてある生活世界に魅了されている。この生活世界で語られる「良い」という肯定は、いろいろ悪い点もあるけれど全体として「良い」というような形而上学的な概念ではなく、またそれだけ見ると悪いけれど別の何かのために役立つという意味で「良い」に止揚されるものでもない。たとえば私がケーキを焼いて、スポンジの部分が上手にふくらまなかったとしても、それは食べられる「より良い」ものとして、たとえば既製品より添加物が少なく、また作りたてであるがゆえに風味が「より良い」ものとして食されるだろう。誰かを生かすために設えられる生活世界では、この手の比較に基づく「良い」が語られることは多く、究極的には万事が「命を取られるよりはまし」に行き着き、全てのことが肯定される。それは常に何かよりは「より良い」という意味での「良い」なのだ。プラトンならば何かと比較して「より良い」とか「より悪い」の次元から「良さそのもの」を求めるようになれ、とでも言いそうだけれども、生活というものはむしろこの「より良さ」の追求に明け暮れることなのだと思う★1。

 

1. 可能性の探索としての家事

 

 家事は、しばしばエントロピー(=乱雑さ)の制御として説明される。けれども、元に戻すという要素がありつつも、これぞ「完璧な元どおり」という「イデア(観念)」があるわけではない。たとえば掃除にしても、ものがいっぱい散らかっていて息苦しいから、動きにくいから、よりすがすがしく、動きやすい、「より良い」状態にするという営為に過ぎないのだから。要するに、基本的にちょっと前の状態よりも、「より良い」状態を目指すのが家事である。家事には「完璧」も「完成」もない。同時に、だからこそ、いくらでも追求のしがいがあるものでもあって、だからこそ、家事の従事者が複数いたりすると、ほかの人の「より良い」よりもっと「より良い」があると言って揉めたりもするのだろう。水仕事や掃除などに顕著なことだけれど、ここまでやったら「より良くなりました」の区切りは、人それぞれ違う。

 もちろん、家事に限らず、そもそも良い悪いという価値自体、絶対的なものではなく、あくまでも文脈や目的に依存しているということはよく言われることである。また「悪い」とはあくまでも「良い」の欠如状態でしかなくその意味で消極的な概念だということも、キリスト教神学を筆頭に、ずいぶん古くから言われてきた★2。要するに、「より良い」しかないという空間は、他者を生かす生活空間に特有のものではないと言えなくもないのだけれど、しかし、私が感じる生活空間の「良さ」一元論的な感覚(「いいね」「すごいね」「しあわせだね」)は、身体的行為が基盤になるからこその、とても具体的な行為に基づいた倫理/態度(エートス)であるように思われる。

 J・J・ギブソンの生態心理学にアフォーダンスという概念がある。アフォーダンスとは、生き物がなんらかの行為を行う際に環境から採掘し、利用する価値を意味する。例えば地面は「立つこと」をアフォードする、空気は「呼吸すること」をアフォードするといった具合に。アフォーダンスは行為の可能性と言い換えられることもある。家事とは、空間を共有する者たちが、より行為しやすい環境、つまり豊かなアフォーダンスが顕在化しやすい環境を整備することであり、そのために、環境の価値を利用しながら、さまざまなものを切ったり、移動させたり、こすったりすることだ、と言ってみたい。こうした環境の価値に触発され、それらを利用している時、環境はまさに「…できる可能性」というアフォーダンスの宝庫として体験されるわけで、そこに「…できない可能性」は存在しないわけではないが、実際には、ほとんど問題にならないと私は思う。

 アフォーダンスのなかには、害をおよぼすマイナスのアフォーダンスがあることが認められている★3。「マイナスのアフォーダンス」という言い方が成り立つとしても、目的遂行のためには、それらは技術によって抑制されたり「プラスのアフォーダンス」に転換されたりすることが多いだろうし、とりわけ家事にあっては、「マイナスのアフォーダンス」は「プラスのアフォーダンス」の影に隠れて、知覚こそされども、行為を行うための選択肢にならない以上、ほとんど問題にならないように思う。たとえば手が腱鞘炎になってかぼちゃを切ることが困難な場合がある。私は今手が痛いからかぼちゃを切ることはできないが、かぼちゃの「包丁で切ることができる」というアフォーダンスがなくなるわけではない。だから私は別の家族にかぼちゃを切ってもらうこともできるし、今の手の状態で切ることができる野菜を冷蔵庫から取り出すこともできる。つまり家事というものは、「より良い」状態を再配置するという目的を達成するために、鋭敏にセンサーを張り巡らして「プラスのアフォーダンス」を探索し、触発され、利用することなのであり、そのためのプロセスや手段を選ばない行為なのではないだろうか。このように考えてみると、「害」や「悪」という価値は、こうしたベタな生活世界ではほとんど問題とされることはなく、制度や規範などのメタレベルが成立する際に初めてはっきりと顕在化してくるのではないかという仮説が浮かんでくる。

 家事について論じてみているけれど、要するに私は、可能性の探索としての家事というものが好きなのだ。けれど「負のアフォーダンス」や「悪」という価値が顕在化しにくいからといって、そこに「悪」と呼ぶべき現象が一切ないということにはならない。たとえば衣食を共にする共同体が複数名によって構成されている以上、それぞれの習慣の正しさを掲げる意地悪や圧力は確かに存在するだろう。より良い可能性の追求はあくまでもグラデーションのなかにあって、完成は存在しないため、どこを終わりとするか、何を完璧とするかには個人差が現れる。結果、皿の並べ方一つ、味噌汁の濃さ一つとっても気に入らないなどという、かつての橋田壽賀子のドラマにでも出てきそうな状況は現代の日本の家庭にも、まだ存在するのかもしれない。けれども、それはまさに単なる「より良さ」を目指す「習慣」にすぎないものを「正しい」という規範に仕立て上げることにほかならず、ある意味とんちんかんな不合理であるのはあまりにも明白なのだった。本来家事とは誰かを生かすために「より良い」環境を目指すことだとするならば、相当「なんでもあり」なはずである。たとえば日本だけではなくさまざまな国に見られる、戦時中の代用食というものがある。米の代わりに芋を食べたり、すいとんを食べたり、アプリコットの代わりに別の材料でタルトを作ったりするわけだが、こうした代用食はまさに少ない物資のなかで「より良い」食卓を目指して作られ、多少わびしい気持ちのなかでも大切に、まさに「より良い(まし?)」なものとして食べられたものであるのに違いない。

 

2. 「女子供」の世界

 

 こうした生かし生かされる関係を中心とした生活世界の成り立ちに気づかされたのは、こうの史代の『この世界の片隅に』★4を読んだことによる。絵が得意な少女、浦野すずがこの作品の主人公である。彼女は、広島市江波で、3人兄弟の真ん中の子供として育ち、1944年、19歳の時に、知り合いでさえなかった北條周作のところに嫁ぐことになる。周作の家族は、両親と未亡人となった姉とその娘の5人家族である。この家族の一員となって、すずは嫁として暮らしを切り盛りする。物語は、1945年8月に原爆がすずの実家がある広島に投下され、日本が敗戦を迎え、彼女が広島に行って戦災孤児を引き取るところで終わる。この漫画や映画化された作品についてしばしば指摘されるのは、戦時中であるにも拘らず、戦争がほとんど描かれていないこと、戦闘の非現実性についてであり、それに対して懇切丁寧に描かれる戦時下での人々の暮らしについて、とりわけ乏しい物資のなかで「より良い」環境を作って家族を生かそうと奮闘するすずの姿についてである。楠木正成が食べたという、米を膨張させてふかした楠公飯を再現し、アメリカ軍が落とした伝単をトイレの「落し紙」(落し蓋の機能を持つ)にするすずは、映画版では「なんとか暮らしていくことが私らの戦いじゃけえ」と夫の周作に語る。足の悪い姑を抱えた北條家の嫁であるすずは、祖母に「そんなことじゃお嫁に行けない」と言われ続けた(他人事とは思えない)不器用さんであるため、いつでも大忙しで、この戦いに勤しんでいる。

 こうした現実的な日常と「非現実な」戦闘という対照的な表現について、インターネット上の批評で見受けられたのは「乖離/解離」という概念であった★5。「乖離」とは文字通り「離れること」であり、精神病理学的には「解離」は目の前で起こっている現実を自分の経験として統合できないことを言う。映画版の空爆シーンでは、爆撃によって立ち上る噴煙は、あえて色とりどりの絵の具のドリッピングとして描かれ、原作にはない「今、絵の具があったらと思ってしまう」と戦闘の鮮やかさを描きたいと思っているすずの独白がヴォイスオーバーで被せられていた。こうした表現はまさに、現実の凄まじい「暴力」に対して解離しているすずの心理状態を表現していると解釈することができると私も思う。しかし、原作の表現を中心に、先に述べたような現実と非現実の対比について考えてみるならば、戦時中においても、のんびり能天気に見えるすずは、常に他者を生かすことのほうに没頭しており、そのための家事に邁進しており、だからこそ「…できる可能性」や「より良い」価値しか現実的に見えていないのだと解釈することもできるように思う。こうした状態を「解離」と呼ぶのならばそうかもしれないが、今も昔も「女子供」世界の現実とはまさにこうしたものなのでないかと私は感じる。それは規範的に「善い・悪い」という問題以前の、つまり、すずが人格的に偉大だとか、反対に家父長制に対して従順すぎるとかそういう問題以前の、生かし生かされるものたちの世界、「女子供」の世界のリアリティなのだと。

 この日常生活の基調となっていた「良さ」は、すずが、幼い姪と自らの右手を時限爆弾によって失うことで一旦は破られることになる。右手を失うことにより、すずは、北條家の嫁として家事に従事する能力と、自らがささやかに誇っていた絵を描く能力をいっぺんに失うことになる。行為の可能性を失われた時に、すずには、初めて世界に対する根本的な懐疑が生じる。床に臥せっている彼女の脳裏には、「良かった 熱が下がって ほれおかゆさん食べ」という姑の姿、「しかし治りが案外早うてよかった」という医者の姿、「あんたが生きとって よかった」という周作の姿、(火事を)「消し止められて よかった」という「小林さん」の姿が浮かぶ。すずは思う。「良かった 良かった 良かった 言われるが」「どこがどう 良かったんか うちにはさっぱり 判らん」。そして「歪(いが)んどる」という強烈な批判が、彼女の内面的な独白として語られるのだ。この2カ月後に敗戦を迎えることを知っている読者にとって、この「歪んどる」は、すずがそれまで疑義を挟まなかった、負け戦に邁進する日本の状況に対して向けられているようにも読める。けれども、すずはこのメタレベルの懐疑に長く留まることはない。後に詳述するが、再び他者を生かし、生かされる関わりのなかで、彼女は、再び「良さ」と行為の「可能性」が前景化した生活世界のほうに回帰してくる。

 すずが生きる「良さ」や行為の「可能性」が支配的な生活世界にあっては、死もまた存在しない。『この世界の片隅に』を初めて読んだ時に、大変に印象的だったのは(被爆者の生を描いた『夕凪の街 桜の国』も同様なのであるが)、すずは「自分が死ぬかもしれない」という可能性を微塵も考えておらず、彼女が生きる生活世界には、死の臭いが一切しないということであった。

1943年の年末に始まるこの物語にあって、1945年の夏が近づけば近づくほど、身の回りで亡くなる者が増えていく。すずたちが住む呉には連日激しい空爆があり、実家のある広島には原爆が投下される。しかし、食卓に死の恐怖が満ちることはない。「懸命に生きている」などというのともまた異なる雰囲気で、淡々と温かく食卓は設えられ、囲まれるのである。時に(戦死や出兵により)人数が減り、時に(親戚が避難してくるなどの理由で)人数が増えるなどして。この状況をまた解離と呼ぶこともできるのだろうし、あるいは、震災時の心理としてしばしば言われる「誰も自分だけは死なないと思っている」という心境だと解釈することもできるだろうが、私にはどうにもそのような個体の自己保存に根ざしたエゴイズムには思えなかった。

 この物語の終章、被爆した広島で、すずと周作夫婦は一人の戦災孤児を引き取ることにする。この少女がどこから来たのかについては、セリフのない2ページ弱のコマで説明されている。少女の家は、父親に戦死された母一人子一人の母子家庭だったようだ。食卓の場面から始まり、少女の母親が海苔をごはんの上にのせる場面が続き、最後の一コマが海苔で一面黒く塗りつぶされると、次のページでは被爆によって右手を失い半身を血まみれにした母親が、少女の手を引きながら戦火のなかを朦朧と歩いている場面が続く。瓦礫に座りこんだ母親と少女、少女は母親に身を寄せるが、母親に徐々に蝿がたかっていく。最初は懸命に蝿を追い払っていた少女は、完全に崩れ落ちた母親のもとを、どうしようもなく後にする。一人ぼっちになった少女は広島市内を徘徊するなかで、呉に帰るために駅の近くで、海苔巻きのような何かを食べながら談笑するすずと周作に出会う。転がってきた海苔巻きに飛びついた少女。目を上げると、母親と同じように右手を失ったすずの姿が目に入る。袖のへこみからわかる切断された手から母親を想起したのだろうか、少女は、食べようとしていた海苔巻きを無言ですずに返す。すずが笑顔で「ええよ、食べんさい」と言って周作と話を続けると、少女は、すずの右腕に寄り添いながら海苔巻きを食べ、食べ終わった後も、その腕にそっとしがみつく。

 すずの切断された右手は、少女にとって、寄り添うことができる温かいくぼみとして、しがみつくことのできる柔らかい腕として、見出される。寄り添う少女と寄り添われる腕の接触のなかで(私はこの体温まで感じさせるような、触覚的な表現がほんとうに見事だと思うのだけれども)、すずは、この少女を呉に連れ帰ることを即座に、もはや決断とも呼べない、反射的な応答として決心する。こうの史代は、この場面で、枠外に右手を描き、あたかも不在だった右手が、すずの元に帰ってくるかのような表現をしている。終戦後、すずが戦災孤児の少女と広島で出会う前に、失われた右手は、終戦を告げる玉音放送を聞き、慟哭するすずのところに一旦帰ってきて彼女の頭をなでるように描かれている。このすずの右手が、幼い少女によって、自らを生かしてくれる可能性として見出され、完全にすずのもとに帰ってくる。こうの自身が解説しているように、すずは右手を失って世界を「歪んどる」と認識するわけだが、この場面以降の全ての背景は実際にこうの自身の左手によって歪んで描かれていた。ところが、この右手がすずの元に帰ってきた瞬間から、世界の歪みはなくなり、再び正確なパースで描かれた背景は、文字どおり美しい色彩を帯びることとなるのだ。

 すずの右手をめぐってはさまざまな方向からの解釈ができると思う★6。今回、この原稿の趣旨に沿って読み解くならば、この姪っ子の命もろとも失われた手は、再び誰かを生かす行為の可能性を獲得し、生活世界のなかで生き返ったように私には見えた。右手は、餓えた幼い少女にとって一貫して、自分を生かしてくれる者の手であり、自分が触れることのできる手であり、そのことは、原爆で亡くなった母親とすずが、この少女にそっと寄り添われる手を通じて重ね合わされる作画によって示されている。生かし生かされるという「生」によって結ばれた関係は、こうして直接的に、とても即物的に、触覚的に連鎖していく。ある意味では驚くべきほどあっけなく断たれ、また繋がれる生の関係。それは残酷でも打算でもなんでもなく、まさにそうした価値判断の手前、あるいは別の次元にある世界であると私は思う。原爆で死んだ母は、少女の手を引いている間、娘を生かすことだけを考え、自分が死ぬ可能性に思いを致さなかっただろう。そしてそれはすずも同様だろう。「生きたい」と思う者以上に、「誰かを生かそう」と思う者たちの世界には死の可能性がないと言うのは、こうしたわけなのである。生かす者であった少女の母は、少女がすずの右手を見つけ、彼女のもとで生かされることを、ただただ喜ぶだろう。というよりもむしろ、その「しあはせ」は断絶することなく、母親からすずに引き継がれていくのだ。

 このことは、この戦災孤児の少女を巡る一連のシーンに付随した「しあはせの手紙」という、こうの史代が添えた詩にも表れている。蝿のたかった母親から少女が離れる場面で「ごめんなさい、今此れを読んだ貴方は死にます」と手紙は語る。「ものすごい速さで 次々に記憶となって ゆくきらめく日々を 貴方は どうする事も出来ないで 少しずつ小さくなり だんだんぶ動かなくなり 歯は欠け 目はうすく 耳は遠く なのに其れをしあはせだと微笑まれる乍ら 皆が云うのだから さうなのかもしれない」。この言葉に続いて、少女がすずの海苔巻きを拾う場面が続く。そして、すずが、そっとしがみついた少女の手を取り、先にも述べたように、彼女を呉に連れて行く決心をする場面では「どこにでも宿る愛」と「しあはせの手紙」は詠う。この言葉は、少女が生前の母と食卓を囲んでいた場面に添えられた言葉の繰り返しでもある。誰かを生かす者の生は、こうして「どこにでも宿る愛」として続いていく。そこに終わりという意味での死はない。厳密に言うならばここで死は「始まりでも終わりでもな」く、「その反対にそれは自分の生を他の誰かに移す」とさえ言えるのかもしれない★7。それは死ぬという事実の隠蔽でも、死という現実からの解離でもないと私は思う。

 

3. 死と「動物」

 

 

 死のない生活世界、「良さ」しかない「女子供」の世界。たとえば以下のリルケの詩を読むならば、それは「動物」の世界のようにも思えてくる。

 

あらゆる眼で生きものは見ている
開かれた世界を。ただ 私たちの眼だけが
まるで逆さまのようだ そしてまったく生きもののまわりに
彼等の自由な外出を囲んで 罠として置かれている
外にあるものを 私たちはただ動物の顔から
知るだけだ なぜなら既に幼な児を
私たちは振り向かせ 無理に背後に向って
物の姿を見させているからだ それは動物の眼のなかで
あんなに深い 死から解放されている 開かれた世界ではない
死を見ているのは私たちだけだ 自由な動物は
その没落をいつも背後にして
まえには神をのぞみ見ている そして彼等が歩むときは
永遠の中へ歩んでゆくのだ ちょうど泉がそうであるように。
私たちはいちどもただの一日(ひとひ)たりとも
花がそのなかへ無限に立ちのぼって開く
純粋な空間をまえにしたことはない あるのはいつも世界
そしていちども否定のない「何処でもないところ(ニルゲンツ)」であることはない

──ライナー・マリア・リルケ「ドゥイノの悲歌 第八の悲歌」★8

 

「人間だけが自分が死ぬことを知っている」という有名なテーゼを唱えたマルティン・ハイデガーは、この詩から「開かれ」という概念を援用したことで知られる。ハイデガーは、しかし、動物にのみ世界が開かれていると詠ったリルケの詩を、人間に対してのみ世界は開かれていると述べて、その文脈を転倒させた★9。人間は、自分が何であるかを、そして自分が死ぬことを知っている存在者であり、そのような自分自身の存在のしかたを「了解する」ことによって、他の存在者一般と異なっているとハイデガーは言う。つまり人間は、自分の意志とは無関係に世界に放り込まれた存在者であるだけではなく、自分のいる世界を言葉によって認識し再構成することができる。世界の全体性を認識する能力を持った人間にとって、世界は開かれているし、再構成という意味から言えば人間は「世界を作る」超越的な存在者だとされている。こうした人間の存在様態をハイデガーは「現存在」と名付ける。

 こうした「世界を作る」人間とは異なり、無機物の「石には世界がない」。言い換えれば、世界は完全に閉ざされている。なぜなら無機物は、世界のなかの何かに反応して自らの本能的な傾向性を実現することもなければ、世界のなかにある自己自身を捉える認識能力も持たないから。動物はこうした石と人間の中間にあり、世界のなかの何かに反応して自らの本能的な傾向性を実現するけれど★10、自分が何に反応するか、あるいは反応しているかを認識し、選択することはできない。つまり自らの本能的な傾向性を触発するものしか、動物には開かれていないのだとハイデガーは言う。例えばミツバチは、太陽の方角との関係で巣箱へと帰ることができる。けれども、この時ミツバチは「太陽」を太陽「として」「巣箱」を巣箱「として」知覚し、認識しているわけではなく、ただそれらの関係性に捕われているだけなのだとハイデガーは説明する。このように「捕われた」状態にある動物にとって、世界は開かれても閉じられてもいないのであって、こうしたあり方についてハイデガーは「動物は世界に窮乏している」と語った★11。

 こんな風にハイデガーの議論には「死を知る」「世界を作る」人間と「死を知らない」「世界が貧しい」動物の対比がある。ハイデガーによる、言葉による認識能力をもつ人間を特権化した議論は、ハイデガーと同様に生物学者ユクスキュルのダニの例を参照しているドゥルーズの議論と対照をなしている★12。ユクスキュルが「生態学」で描いたダニは3つの触発(情動)によって規定される。第1に光に反応する情動(木の枝の先端までよじのぼる)、第2に嗅覚的な情動(哺乳動物が枝の下を通る時にその上に落下する)、第3に熱に反応する情動(毛がなく、熱の高い部位を探す)。この3つの情動のみで成り立つのがダニの世界であり、これ以外のことに一切触発されないダニは、18年間眠って哺乳動物がやってくるのを待ち続けることもできるのだという。ハイデガーはこの3つしかない世界との関わりの「貧しさ」を指摘し、ドゥルーズもまたこのダニのあり方を「貧しさ」という言葉で呼ぶのだけれど、同時にこの貧しさを、強く、賞賛に値するものとし、人間が模倣すべき大いなる可能性として提示する。

 

 単純な動物から始めることだ。彼らは少数の情動しかもっておらず、私たちの世界にも、別の世界にも存在していない。彼らは自分が裁断し、切り抜き、縫合する術を知っている連合した世界とともに存在しているのだ。たとえば、蜘蛛と蜘蛛の巣、シラミと頭、ダニと哺乳動物の皮膚の隅といったように★13。

 

 今パソコンに向かっている私の横では、カーペットの上に乾いた洗濯物が積み上がっていて、これから私はそれを正座してせっせと畳んだら、速やかに夕食で使った食器を洗うだろう。それ「として」認識しないほどに習慣化された行為の連なり。汚れた食器や洗濯物の山に触発されたこれらの行為は、決められた空間と表裏一体をなしていて、まさに連合しあっている。育児はどうだろう。だっこやおんぶによって養育する他者と密接に連合した乳幼児の育児などにおいては、赤ちゃんはまさに触発してくる存在にほかならず、対面的な他者として認識する対象とは言い難いものである。触発、そしてほとんど意識化されない反射的、あるいは習慣的行為によってできあがっているこのような生活世界は、確かに認識においては貧しく、ハイデガーやドゥルーズが論じる「動物」の世界として捉えることも可能だろう。ハイデガーは連合した世界にとらわれた動物を「放心」していると言ったが★14、家事や育児に勤しみくたくたになっている時、人は文字通り「放心」していることを、私は、自分自身のこととして笑いながら肯定できる気さえする。けれども同時に、この原稿の始めのほうで生態心理学を参照しながら確認したように、認識においても、行為のパターンとしても多様とは言い難い家事にあって、知覚経験は決して貧しいものではなく、豊かな意味に触発され、発掘し、充足していくプロセスであることは先に述べたとおりである。ドゥルーズの言葉では「術を知っている」と言われる身体的な技能があってこそ、生活世界はより多くの可能性で溢れる。

 ダニは満腹になるとまもなく死ぬのだそうだ。おそらくこのダニのイメージとは無関係ではない仕方で、ドゥルーズは「死を賭した生成変化」★15と言い、ハイデガーと正反対の仕方で「動物こそ死を知っている」とさえ書き記した★16。しかし、ダニはおそらく『この世界の片隅に』のすずと同じように、死を知り、自らの死を予感していたとしても、死に対して無関心だろう。先の引用の前でドゥルーズは、スピノザの議論を前提に、権力者や精神主義者が、死をちらつかせて私たちの情動を悲しみに導き、力を弱らせると述べている★17。このドゥルーズの文脈に即して言うのならば、権力を持つもの、精神を称揚するもの(私はこれらの表現にハイデガーや『この世界の片隅に』で戦争に邁進する者たちの面影を見る)が死を意識化し、また死を他者に意識化させるのに対して、「女子供」はまさにダニのように、世界とあまりにも緊密に連合し、ただただ行為の可能性を遂行しながら、死のない世界を生きている。それは認識という観点から捉えれば意味に窮乏しているのかもしれないけれど、直接的な知覚経験において、そして情動においては、途方もなく強度のある世界である。『この世界の片隅に』が描いてくれたように、こうした生へと開かれた「しあはせ」な世界は、確かにある。すずが姪と右手を失った時に世界に対する根本的な懐疑を抱いたように、私たちは世界との緊密さの喪失やそのことによる自意識の発生を経験し、ハイデガーが論じたように、世界を自らの前に再構成(=再現)せざるをえないような状況に置かれることもある★18。コロナ禍という非常事態のなかで、あらわになったさまざまな問題に対峙している私たちは、まさにそのような時を生きていると言えるだろう。けれども、いかに自意識が肥大化して、私たちの世界をすっかり「不安」★19な気分で染め上げてしまおうと、「しあはせ」な生活世界を生きる可能性は、「片隅」という言葉が示すように、あまりにも慎ましく目立たない仕方で、しかし、いつでもここにあるのだと私は思う。

初出=『文鯨』第2号「特集=叫びを翻訳すること」(2017)

★1──プラトンのイデア論を巡る議論は、基本的に相対的な善ではない善のあり方を探究している。

★2──アウグスティヌス『告白』(山田晶訳、中央公論新社、2014)

★3──私はこの「マイナスのアフォーダンス」という言い方に違和感を感じるのだが、ギブソン自身もこうした用語法の曖昧さを基本的には認めている。J・J・ギブソン『生態学的視覚論』(古崎敬訳、サイエンス社、1979)149頁。柏端達也「アフォーダンスから制度的価値まで──人間的な環境の存在論」(『倫理──人類のアフォーダンス』河野哲也編、東京大学出版会、2013、183〜208頁)

★4──こうの史代『この世界の片隅に』上・中・下(双葉社、2008〜2009)

★5──たとえば批評家の東浩紀は以下のように述べている。「アニメーションの本質はなにか。それはすべて嘘だということである。すべて現実ではないということである。だからそれは解離の表現に向いている。「この世界の片隅に」は解離の作品である。すずは戦争から解離している。だがその解離こそが現実であり生なのだというのが本作の主題である。」(2016年11月20日のtweet)。また、海外の批評家によるコメントでも、市民の日常の戦争からのdisjoint(分離/乖離)という表現が用いられている

★6──当然のことではあるが、多くの批評がこのすずの右手に言及している。代表的なものとして以下を参照のこと。土居伸彰「私たちの右手の行方」(『ユリイカ  特集=こうの史代』2016年11月号、青土社,96〜103頁)。また斎藤環はすずの右手を「想像力」と捉え、その右手の喪失を本稿と同様に自意識の芽生えと解釈し以下のように述べている。「すずさんは右手=想像力で自分を守っていたわけですが、それを失って自意識が覚醒します。「歪んどる」とはそういうことです。玉音放送から敗戦の意味を理解し、恐るべき速度で自らの加害性に気づく彼女の明晰さは、あの右手と引き替えに得たというのが僕の仮説です。」(2016年11月28日のtweet)

★7──ジル・ドゥルーズ+クレール・パルネ『対話』(江川隆男+増田靖彦訳、河出書房新社、2008)99頁

★8──ライナー・マリア・リルケ『リルケ全集 第4巻』(富士川英郎訳、彌生書房、1961)42〜43頁

★9──このハイデガーが「形而上学の根本諸概念──世界−有限性−孤独」で行ったリルケの読み替えから、動物と人間との境界を巡る問題を展開し、現代思想における動物論の一翼を担ったのは、いうまでもなくジョルジョ・アガンベンである。ジョルジョ・アガンベン『開かれ──人間と動物』(岡田温司+多賀健太郎訳、平凡社、2004、87〜96頁)

★10──私はハイデガーの言う「抑止解除/脱抑止enthemment」を「世界のなかの何かに反応して自らの本能的な傾向性を実現すること」と理解している。

★11──マルティン・ハイデガー『形而上学の根本諸概念──世界−有限性−孤独』(ハイデガー全集第29/30巻、川原栄峰+セヴェリン・ミュラー訳、創文社、1998)。特に第3、4章。

★12──両者の対比については以下の千葉雅也の論稿から多くを教えられた。千葉雅也「死を知る動物──ジル・ドゥルーズの生成変化論における全体性の問題」(『UTCP研究論集』第2号、東京大学21世紀COE「共生のための哲学交流センター」2005年、71〜86頁)、同「トランスアディクション──動物−性の生成変化」(『現代思想  特集=人間/動物の分割線』37(8)、青土社,2009、202〜215頁)

★13──ジル・ドゥルーズ+クレール・パルネ『対話』97頁

★14──以下の邦訳ではBenommenheitは「放心」ではなく「とらわれ」と訳されている。マルティン・ハイデガー『形而上学の根本諸概念──世界・有限性・孤独』391〜392頁。またこの「放心」についてはアガンベンが詳述し、人間の「倦怠」と結果的に近似していることについて、つまり動物と人間との差異はこの情動において限りなく消失することについて論じている。ジョルジョ・アガンベン『開かれ──人間と動物』97〜109頁

★15──ジル・ドゥルーズ『批評と臨床』(守中高明ほか訳、河出書房新社、2002)13頁。この原稿では、主に文学のなかに登場する「動物」について論じたドゥルーズの議論を、現実の「女子供」の世界に接続しているが、それがドゥルーズ自身の思想に忠実かどうかについては検討の余地があると思う。よく知られているように、ドゥルーズは、さまざまな意味や権力機構を逃れていく「逃走線」として「動物」「女」「子供」というモデルを示していたが、それが現実の「動物」「女」「子供」ではないことは『千のプラトー』でもたびたび言われていた。しかしながら、私自身は、すずに代表されるような「女子供」の、情動と直接知覚を主としたコミュニケーションに、一見保守的な「家族」の内部でも、言語の外部を志向する「動物」の「叫び」、つまり内部から穿たれた「逃走線」としての可能性を見出す。今回はその一端を書くことを試みたが、まだ十分に論じ切れているとは言い難いので、引き続き考察を続けていきたい。

★16──同書

★17──ジル・ドゥルーズ+クレール・パルネ『対話』96頁

★18──アガンベンは、ハイデガーが「言語を持つ動物」として人間を規定することに異議を唱えていた点に注目しているが、ここでハイデガーが問いに付している事柄自体は極めて重要である。ハイデガーは「ただ生きているだけ」のもの=「動物」に何かを付け加えることによって人間存在を規定する生物学的な見方ではなく、現存在である人間と動物とでは根本的に存在様態が異なると主張しており、この点には私も同意する。と同時に、自然主義的な観点に立ち、私は、人間とは、その意識の持ち方によって、ハイデガーが言うところの「現存在」的な存在様態と「動物」としての存在様態のいずれにもなりうる存在者、またしばしばその両者を往復する存在者なのではないかと考えている。ジョルジョ・アガンベン『開かれ──人間と動物』75〜77頁。

★19──ここで私が念頭においているのは、ハイデガーが『存在と時間』において根本気分として提示した「不安」である。

culture
2021/08/13
執筆者 |
柳澤田実
(やなぎさわ・たみ)

1973年ニューヨーク生まれ。専門は哲学・キリスト教思想。関西学院大学神学部准教授。東京大学21世紀COE研究員、南山大学人文学部准教授を経て、現職。編著書に『ディスポジション──哲学、倫理、生態心理学からアート、建築まで、領域横断的に世界を捉える方法の創出に向けて』(現代企画室、2008)、2017年にThe New School for Social Researchの心理学研究室に留学し、以降Moral Foundation Theoryに基づく質問紙調査を日米で行いながら、宗教などの文化的背景とマインドセットとの関係について、道徳的判断やリスク志向に注目し研究している。

Twitter @tami_yanagisawa

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