アクティビストはお金持ちになってはいけないの?──社会正義を売り物にしたくない心理について
人類学者のスコット・アトランによれば、人間は、しばしば特定の対象に交換不可能な価値を見出し、そうした自分にとっての「聖なる価値(Sacred Values)」がお金に換算される時に強い怒りを感じるのだと言う。
#METガラ #Noname #Sacred Values
politics
2021/09/26
執筆者 |
柳澤田実
(やなぎさわ・たみ)

1973年ニューヨーク生まれ。専門は哲学・キリスト教思想。関西学院大学神学部准教授。東京大学21世紀COE研究員、南山大学人文学部准教授を経て、現職。編著書に『ディスポジション──哲学、倫理、生態心理学からアート、建築まで、領域横断的に世界を捉える方法の創出に向けて』(現代企画室、2008)、2017年にThe New School for Social Researchの心理学研究室に留学し、以降Moral Foundation Theoryに基づく質問紙調査を日米で行いながら、宗教などの文化的背景とマインドセットとの関係について、道徳的判断やリスク志向に注目し研究している。

AOCのドレスは何が問題なのか?

 

2021年9月13日に開催されたMETガラは、コロナ禍が確実に私たちの価値観を変化させていることを痛感させる出来事だった。METガラとは、ニューヨークのメトロポリタン・ミュージアム付属の服飾研究所が主催する展覧会のオープニングイベントで、ファッション関係者やアーティストを筆頭に、いわゆるセレブリティたちが非現実的なコスチュームをまとって大挙することで知られている。

 

数百万円から数千万円だと推測されるそのチケット代金が研究所への寄付(ドネーション)になるという非常にアメリカらしいこのイベントは、毎年、ファッション誌を中心に中継、速報され、その年に旬だとみなされるセレブたちによるファッションショーとして消費されてきた。2020年はコロナ禍によって中止されため、空白の1年を経て、ワクチン接種を前提に開催されたMETガラは、従来通りとても豪奢だった。それが従来通りであったがゆえに、コロナ禍を経た多くの人たちは、目の前にあるセレブの祭典が、以前ほど心ときめくものではなくなっていることに気づいたのではないだろうか。お金持ちへの嫉妬やルサンチマンということではなく、「もう時代遅れ」だという反応はSNS上でも多く見られた。

 

 

クィア・アクティビストLuna Matatasのトレードマークである「Peg the Patriarchy」を、カーラ・デルヴィーニュが発案者への言及もないまま、自らの家父長制批判コスチュームに取り入れたことへの批判に加え、多くの人がコメントを殺到させたのは下院議員であるアレクサンドリア・オカシオ・コルテス(AOC)のバックに「Tax the Rich(金持ちに課税せよ)」と染め上げられたドレスに対してであった。


 

単純にセンスが良くないだとか、アクティビズムとしてもこうしたあからさまな表現は時代遅れであるとか、これからのアクティビズムやファッションについて考えさせられるさまざまな批評が飛び交った(すでにこのドレスの画像はネット上でミーム化している)。同時に、これらのクリティシズムの大前提として興味深かったのは、貧困層の味方・民主社会主義者のAOCが、METガラに豪華なドレスをまとって登場したこと自体に、相当数の人が反射的に、感情的に反発したという事実である。現実的に考えれば、AOCはすでに有名な政治家なのだから、一般人とは異なるスケールで金銭が動く世界で生きているはずだ。その状況で清貧を装うことこそむしろ欺瞞であるかもしれないにもかかわらず、METガラで嬉々としてポーズを取るAOCの姿に、心がざわついてしまうのはなぜなのだろう。

 

アクティビストたちのリアリティ・ショーへの反発

 

ほぼ時期を同じくして、アクティビズムとお金に関連する、別の論争が起きていた。9月10日にCBSが「The Activist」という新しいコンペティション・シリーズを発表し、SNS上で激しい反発が生じたのだ。CBSが当初発表したのは5週間のリアリティ番組で、6人のアクティビストが健康、教育、環境といったそれぞれの目的のために資金を獲得すべく互いに競い合うというものだった。メルボルンに設立されたNGO「Global Citizen」がプロデュースし、アッシャー、プリヤンカー・チョープラ・ジョナス、ジュリアン・ハフの3人のセレブリティがホストを務めるこのシリーズでは、オンライン・エンゲージメントやホストの意見をもとに、優勝するアクティビストが決定されることになっていた。最終回には、アクティビストたちがイタリアで開催されるG20サミットに参加し、世界のリーダーたちに自分たちの主張を伝えることにもなっていたようだ

 

 

この番組への反発は非常に激しいもので、現役の活動家からテレビ評論家までが懸念を表明した。リソースがただでさえ不足している分野を搾取している、地球規模の変化を求めて活動しているアクティビスト同士の対立を助長させている、エンターテイメントのためにすべてを共同利用して商品化しようとしている、さらには、テレビ番組の制作に費やすお金は実際の活動家に直接提供されるべきだ等、きわめて真っ当な批判が多数寄せられた。これらの批判を受け、番組発表から1週間も経たない9月15日、CBSは、番組の内容を大きく変更することを発表した。番組は競争的要素を取り除き、6人のアクティビストの活動を紹介する1日だけのドキュメンタリーに改変され、それぞれのアクティビストには、現金の助成金が授与されるとのことである。

 

 

番組内容の変更が発表される前に、この番組への出演をすでに辞退していたオーストラリア人のクローバー・ホーガンは「Vulture」のインタビューに答え、この番組製作の発端に関わった一連の経験をふまえたうえで、思慮深い問題提起を行っている。22歳のホーガンは、気候変動への不安を環境保護活動につなげるために、若者をエンパワメントする活動を行っている団体「Force of Nature」の創設者兼エグゼクティブ・ディレクターだ。

 

 

ホーガンが、当番組のためのインタビューのなかで、「話が難解すぎるから、アメリカ人のように話せ」と言われたり、泣き出すまでトラウマ的なことを執拗に想起するように迫られたというエピソードは、あまりにもグロテスクである。聡明なホーガンは、しかし、このようなそれ自体トラウマ的とも言える経験を経て、私たちは単にキャンセルカルチャーに自足すべきではないとして、以下のように語っている。

 

「企業や私的利害が〔アクティビズムを〕商品化〔コモディティ化し〕し、搾取しようとする例は、これからも何度も出てくるでしょう。私たちが反応として熱い感情を抱くことは素晴らしいことですが、この感情を行動に切り替える方法を学ぶ必要があります。このような企業や利害関係者に説明責任を負わせましょう。彼らに呼びかけましょう。会話はこれで始まりますが、それだけで終わるべきではありません。私たちの最終的な目標は、単にテレビ番組を中止することではないのです。エンターテインメント業界の何が正しくないのかについて、より大きなコメントを出すべきです。なぜアクティビズムにはこれほどに人材が不足しているのでしょうか。今回のことが、そのきっかけになればと思います」★1。

 

ホーガンが、ここで何が正しくないのか問うべきだとしている宛先には、エンタメ業界だけではなく、資本主義経済をベースとした社会全体が含まれるはずだ。「社会正義が重要だ」という社会の認識が強まれば強まるほど、社会正義を商売、金儲けの手段にしようとする企業や利益追求者は増える。すると次には、今回の番組「Activist」やAOCの「Tax the Rich」ドレスへの反発のように、社会正義が即座に金儲けに結びついてしまうグロテスクさに対して、バックラッシュが起こる。各国の状況に差はあるものの、アメリカを筆頭に、先進国はそのようなプロセスに入っているように見える。遅れているとされる日本でもSDGsのビジネス化には目覚ましいものがある。

 

Noname Book Club

 

AOCのドレスについては、SNS上でさまざまな批判が寄せられていたが、そのひとつにLGBTQ当事者であり、セックス・エデュケーターのEricka Hartのものがあった。Hartは、AOCが「Tax the Rich」と胸に描かれたトレーナーを自身の政治活動のためのWebサイトで販売していることを挙げ「AOCはMETガラで新しいマーチ〔グッズ〕の発売について会話をしていた?」とtweetし、続くスレッドでAOCがMETガラの外で行われていたデモで逮捕者が出たことに対してまったく関与しなかったことを批判している。そして、このHartのtweetを引用RTした者のなかに、シカゴ出身の女性ラッパーNonameがいた。

 

 

「すべての政治家が資本主義を維持するためだけに権力を握っている国家の代理人であることを忘れなければ、このようなことに驚くことはないだろう。AOCは商品を売るために過激な言葉で自分をブランド化している政治的セレブリティ。政治家ではなく、革命家を育てよう。」

 

Nonameは、ここまで述べてきたアクティビズムと資本主義の問題に関して、最もラディカルな立場を表明しているアーティストだ。白人至上主義、有色人種の人々へのシステマティックな差別や暴力、特に多くの黒人収監者を苦しめている産業と一体化した監獄システムの廃絶を目指す、いわゆるプログレッシヴ(先進的)な思想を持った彼女は、民主党を支持しないし、民主党内で最も左寄りの社会保障を重視するバーニー・サンダースやAOCさえも支持しない。さらにJay Zやビヨンセやリアーナに代表されるような、実業に乗り出した黒人アーティストが実現した「Black Capitalism」についても、結局白人至上主義の片棒を担ぐだけで、黒人のためにならないという主張を一貫して繰り返している。

 

白人至上主義、植民地主義と切り離すことができない資本主義というシステム自体を問題視する彼女は、自分自身がそのシステムの一部にならないために、最大限の努力をしているように見える。デビュー前にチャンス・ザ・ラッパーのフューチャリングで登場しただけで、多くの音楽好きを魅了したNonameは、音楽事務所に属さないインディペンデントのアーティストであり、自らの名前を「Noname(名無し)」とし、ブランドのついた服を着ることもない。専ら白人リスナーのためにライヴをすることを避け(それがヒップホップ・アーティストの現実である)、現在はパブリックな音楽活動はほぼ休止し、有色人種の人々を政治的に教育するためのブッククラブの運営に尽力している。約8,000人のパトロンによって支えられるこのブッククラブは、会員に月2冊の本を提供し、対面やオンラインの読書会を催すほか、刑務所に収監された人々に本を送り、「homie(仲間)」やコミュニティの啓蒙に努めている。

 

すべての人が経済的に安定することができれば、誰も経済的成功者をセレブリティにする必要がないと考える彼女は、自分自身が「セレブ」にならないように強く意識すると同時に、「成功(success)」という事柄の捉え方自体を変えるべきだと考えている。

 

 

2020年にブラック・ライヴズ・マター(BLM)が起きた際には、Nonameは沈黙するヒップホップ・アーティストたちを批判した。そして、この批判に応えるかたちでJ. Coleが「Snow on the Bluff」のなかで彼女を批判したという前提で「Song 33」をリリースしたことは大きな話題になった

 

https://www.youtube.com/watch?v=NFp1eW2bihg

 

今年になってNonameは、『The Rolling Stones』でのインタビューで、この時のビーフまがいの騒動についても、皆が考えるべき問題そのものではなく、セレブ同士の関係のほうに多くの人の関心が向けられてしまったことが問題だったと回顧し、やはりセレブリティ・カルチャーには問題があると述べている

 

ブラックパンサー党のフレッド・ハンプトン暗殺を描いた映画『ユダ&ブラックメシア』(2021)のサウンドトラックへの参加さえ、「反国家的な要素がないから」と断ったNonameは、同じ黒人のコミュニティ内でも偏狭で非現実的だと言われることもある。また彼女の忌憚のないセレブ批判により、セレブリティになることで黒人の権利を訴えてきたビヨンセのような黒人アーティストのファンは、しばしばNonameに怒りの矛先を向けているようだ。たしかにTwitter上のNoname は、毒舌な女性アクティビストに見えなくもない。けれども、インタビューを読めばわかるように、30歳になったばかりの彼女自身は、自分が時折間違うこと、まだ学んでいる最中にあることを大らかに認める、素直で懐の深い人物でもある。

 

私はいつも優しさと内省を求め、彼女の音楽を聴く。この世界のなかでしばしば見失われてしまう、傷つきやすく、小さいものへの親密な共感を語る彼女の音楽には、静かな怒りや悲しみとともに、子どもの笑い声のような(実際しばしばサンプリングされている)きらめきと不思議な安らぎが満ちているからだ。最も新しい曲「Rainforest」でNonameは、巨大なTech企業によって不動産化されるアマゾンの熱帯雨林の悲しみを歌い、「Song 33」では、殺害された黒人のトランス女性の死を悼んでいる。また、最初のミックステープ「Telefone」のなかでNoname自身の一番のお気に入りだという「Bye Bye Baby」は、堕胎される赤ちゃんと中絶をせざるをえない母親のラブソングという無二の楽曲になっている。


 

 

お金には変えられないSacred Values

 

「私が目指したのは、彼らのためのラブソングです。中絶について語られるときはいつも、中絶がけっして愛のある行為ではないかのように、憎しみや自暴自棄から行われるものであるかのように、愛を排除して語られるような気がします。私はそのような経験をした女性を知っています。しかし、彼女たちのための歌や、音楽のなかでのカタルシスや癒しの瞬間はありませんでした」★2。

 

このように語るNonameの音楽は、社会正義の根っこにある、最も弱い者への親密な共感や優しさに触れさせてくれる。だからこそ、私を含め、Nonameのフォロワーやリスナーの多くは、彼女がある時はマルクスに心酔し、共産主義と言ってみたり、また別の時には社会主義と言ってみたり、ラディカリズムと言ってみたりしても、その都度の彼女の信条を絶対視せずに、ただ彼女の旅(Journey)、精神の遍歴そのものを信じているのだと思う。

 

おそらく私たちはNonameが表現するような共感や優しさ、少し大袈裟な言い方をすれば愛の存在をどこかで信じているからこそ、社会正義がお金儲けに結びつけられる時に、自分でも予想できないほどの嫌悪感や怒りに襲われるのだ。社会心理学者のフィリップ・テトロック、人類学者のスコット・アトランによれば、人間は、しばしば特定の対象に交換不可能な価値を見出し、そうした自分にとっての「聖なる価値(Sacred Values)」がお金に換算される時に強い怒りを感じるのだと言う★3。「聖なる価値」は国や宗教のような大きなものに見出されることもあれば、たとえば親友からもらった大事な手紙のようなものにも付与されると考えられている。このことを前提に俳優でありプロデューサーのラファエル・カサルが、大炎上したCBSの「Activist」に対して寄せた言葉を見る時、そこにはアクティビストの動機(インセンティブ)に「聖なる価値」を見出しているかのようなニュアンスを見出される。

 

「自分の人生を捧げ、必要な犠牲を払って自らをアクティビストと称する人たちがいるが、資本主義の利益を求めるアーティストはそのなかにはいない」。

 

 

アトランは、2000年以降にテロを頻発させるようになったイスラム原理主義の若者たちの心理を研究するなかで「聖なる価値」のセオリーを見出した。ありとあらゆる事柄が金銭に交換可能になっている時代に、一部の若者がかけがえのない「聖なる価値」に熱狂するという、時代に逆行するかのようなこの現象は、現在の先進国における社会正義を掲げたアクティビズムの興隆やアクティビズムがビジネスになることへの激しい反発とも重なって見える。昨今のアクティビズムを表す際に反資本主義、反新自由主義と言う言い方もよく聞かれるようになった。しかし、はたして現在私たちの目の前で進行している事柄がこうした旧来の思想にぴったりと該当するのかどうかについては、より丁寧な検証が必要だろう。むしろこれらのアクティビズムの先鋭化と、アクティビズムがけっして商売の道具にならないことを願う人々の心理のなかに、「すべてがお金に還元される世界に生きていたくはない」というもはや悲鳴のような願望が見出されるように私は思う。

★1──There are going to be examples, time and time again, of corporations or private interests trying to commodify, trying to exploit. It’s great that we experience those heated feelings in response, but we need to learn how to channel them into action. Hold these companies and interests accountable. Call them out. The conversation starts with this, but it shouldn’t end with it. Our final goal shouldn’t just be to cancel a TV show. It should be much bigger commentary around what’s not right with the entertainment industry. Why activism is sounder-resourced. I’d love for this to be that catalyst.
★2──What I tried to do is make a love song for them. I feel like whenever I hear people talking about abortion, they typically take the love out of it, as if it can never be a loving act — as if it’s only done out of hate or desperation. I know women who have gone through that experience. And there hasn’t been like, a song for them, or a moment of catharsis and healing for them in music.
★3──http://www.tomstafford.staff.shef.ac.uk/docs/tetlock03.pdf

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2021/09/26
執筆者 |
柳澤田実
(やなぎさわ・たみ)

1973年ニューヨーク生まれ。専門は哲学・キリスト教思想。関西学院大学神学部准教授。東京大学21世紀COE研究員、南山大学人文学部准教授を経て、現職。編著書に『ディスポジション──哲学、倫理、生態心理学からアート、建築まで、領域横断的に世界を捉える方法の創出に向けて』(現代企画室、2008)、2017年にThe New School for Social Researchの心理学研究室に留学し、以降Moral Foundation Theoryに基づく質問紙調査を日米で行いながら、宗教などの文化的背景とマインドセットとの関係について、道徳的判断やリスク志向に注目し研究している。

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