「韓国らしさ」とは何だったのか?──韓国コンテンツツーリズムから考える
韓流ブームが生じて20年と少し、韓国は「近いけれど、よく知らない国」から、週末を利用し「ぶらっと一人旅できる場所」へと変化していた。
#K-POP #観光 #地方
culture
2021/10/16
執筆者 |
林玲穂
(はやし・あきほ)

1993年生まれ。神戸大学人文学研究科博士後期課程に在籍中。専門は観光を美的行為として捉える観光美学。最近は得意な韓国語を活かして韓国メディアコンテンツも研究中。BTSオルペン。共著書=『他者をめぐる人文学──グローバル世界における翻訳・媒介・伝達』(神戸大学出版、2021)など。

以前、私の友人が「週末にちょっと韓国に行ってくる」と言ったのを聞いて驚いたことがある。飛行機代は片道1万円、宿泊するホテルは現地で予約するとのことだった。

韓流ブームが生じて20年と少し、韓国は「近いけれど、よく知らない国」から、週末を利用し「ぶらっと一人旅できる場所」へと変化していた。

韓流ブーム20年がつくりだしたもの

韓国を訪れる人たちが、韓国ドラマや映画の世界観、K-POPアーティストたちの姿を思い浮かべて観光するように、韓国コンテンツが「韓国」という国のもつイメージをかたちづくっている。私たちも、日々さまざまな韓国コンテンツに触れることで、隣国について知り、時に理解し、「実際に訪れてみたい」と感じている。韓国は、こうしたコンテンツを用いた観光産業に注力してきた。

ドラマの撮影地となることで、作品の世界観を場所に投影することもそのひとつだ。

例えば、韓国のラッパーPSYの『江南スタイル』(2013)で知られる「江南区(ソウル市)」は、都市自治体がドラマ作品のスポンサーとなり、コンテンツを用いて発展してきた場所でもある。江南区における都市開発は、韓流ブームをきっかけに「国際消費のための大衆文化による都市イメージ形成」を積極的に行ってきたようだ★1。

漢江の南側に位置していた農村地は、現在、高級ブティックや商業施設、高層ビルやアパート群が建ち並ぶ洗練された都市へと変貌しており、必然的に、韓国ドラマを視聴した外国人にとって、作品のなかの「江南区」が「韓国」を思い浮かべる際の具体的なイメージとなっている。


韓流ブームとは、単に韓国のドラマや映画、音楽を世界中に普及させた現象であるだけでなく、結果として韓国のイメージ(「韓国らしさ」)を形成してきた現象であるといえるだろう。

 

「韓国らしさ」とは何だったのか

ところで、韓国コンテンツ振興院(Korea Creative Content Agency)の政策開発チーム長であるユン・ホジン氏は、「韓国」のイメージを具現化したコンテンツ作品の性質を「ハイブリッドカルチャー」と称しながら、次のように分析している。

 

1960年代と1970年代を生きながら経験してきた米国の商業主義文化商品たちや、アジアを代表する日本の大衆文化、香港ノワールをはじめとする中華圏の文化、そして無意識的に私たちの身体や精神に貫通している韓国の伝統文化がともに混ざり合いながら「ハイブリッドカルチャー」という洗礼を受け、必然的な結果として創作の土台をかたちづくった。★2

1988年、それまでの軍事政権とは距離を置いた盧泰愚(ノ・テウ)大統領が就任したことで本格的な民主化が始まった韓国では、同年にソウルオリンピックが開催された。オリンピックをきっかけに、海外旅行の自由化と諸外国との積極的な相互交流が徐々に可能となっていったのである。

国際化及びグローバル化が始まった当時の韓国では、外国の文化を吸収するだけに留まらず、国際化そのものが現在の「韓国らしさ」の基盤をかたちづくってきたようだ。ユン氏は、そうした「韓国らしさ」を「ハイブリッドカルチャー」と称しているのだろう。

つまり、韓国のコンテンツ作品は、「混ざり合いながら……必然的な結果として」かたちづくられてきたのであり、むしろ、そうした必然性がコンテンツのもつ「韓国らしさ」となっている。ドラマのなかの韓国の後を追うように「韓国」がもつ場所のアイデンティティが構成されてきたのである。

 

しかし、作品の世界観が実際の場所に重なることで、ある意味でオリジナリティを担保できるものの、「江南区」という典型的な都市空間、つまり、どこにでもあるような普遍的な場所が「韓国」の独自の空間となってしまっていることで、本来の「韓国らしさ」を問う動きが加速している。

前回の記事「カセットテープから韓国カルチャーの「今」がみえる 」でも紹介したように、グローバル化の反動として、復古風、ニュートロブームのような「韓国らしさ」とは何だったのかを再検討する動きが生じているとも考えられる。

 

マクチャンドラマから「地方都市」へ

同様に、ドラマ作品においても「韓国」という場所のイメージを再発見しようとする傾向がみられる。それまで、ソウル(江南区)を中心につくられてきた典型的な都市像から、「地方(지방)」が登場するようになったのである。

その背景には、訪韓外国人のうち、およそ8割★3の訪問先がソウルに限定されてしまっていることで、インバウンド観光による経済効果が、地方経済への好循環に十分に繋がっていないという現状がある。外国人観光客にとって、江南区をはじめとしたソウルが「韓国」となっていることも要因のひとつであろう。

そのためか、近年では「地方(지방)」を取り上げた観光PR動画を積極的に制作し、訪韓外国人の移動先の多様化に力を入れているようだ。

上:「韓国のリズムを感じながら巡る旅~慶州&安東編~」
下:「韓国のリズムを感じながら巡る旅~大邱編~」
その他の「Feel the Rhythm of KOREA」シリーズもチェックしてみてほしい。

なにより、昨今のドラマにおける「地方」の描かれ方に大きな変化がみられる。

初期の韓流ブームを先導した、財閥二世との叶わない恋や復讐劇、生き別れの親兄弟、交通事故や記憶喪失など刺激的なテーマを扱うドラマ(「マクチャンドラマ(막장드라마)★4」と呼ばれる)の舞台となる都市空間が「韓国らしさ」であったならば、マクチャンドラマのなかで描かれてきた大部分の地方は、都市空間で挫折を味わった登場人物たちが避難する場所として描かれてきた。

ほかにも、ドラマの1話で主人公たちが幼少期を過ごす場所という印象を持っている人もいるかもしれない。いつの間にか大人に成長した彼らの背景にはソウルの街並みが映し出され、ここから物語は本格的に動きだしていく、というのが王道的なストーリー展開だ。

 

ところが、主人公や悪役(敵役)に限らず、登場人物たちの「逃避先」として、あるいは本来の生活に戻るための休息地であった「地方」が、昨今のドラマでは物語の中心的な舞台となっている。本国で高視聴率を記録した『椿の花咲く頃(原題:동백꽃 필 무렵)』(2019)や現在放送中の『海街チャチャチャ(原題:갯마을 차차차)』(2021)がまさにそうだ。

동백꽃 필 무렵 - 나무위키 (namu.wiki)

갯마을 차차차 | 대표 이미지 > 티저 포스터 (tving.com)

両作品に登場するのは、実在する都市ではなく架空の田舎町であり、「人情味」や「スローライフ」、「自然の豊かさ」といった、ステレオタイプ的な「地方都市」の良さが頻繁に描写されている。『椿の花咲く頃』の舞台「オンサン」は慶尚北道(朝鮮半島の南東部に位置する)、『海街チャチャチャ』の舞台「コンジン港」は、江原道(北東部)という設定なのだそうだ。

都市生活を余儀なくされた女性が主人公であり、逃避先として地方都市が描かれていることに変わりはないが、彼女たちにとって地方都市は「一時的な休息地」ではなくなっている。反対に「新しい人生のスタート地」といった新たな価値観に出会える場所として描かれているのである。

 

洗練された都市空間にそぐわない貧しい女の子と、悠々自適に都市の中を闊歩する財閥二世が身分違いの恋に落ちるといった従来の「韓国らしさ」は、よりローカル性をもった「地方都市」の登場によって新たな局面に差し掛かっている。

『椿の花咲く頃』の主人公、ドンベグ(「ドンベグ(동백)」は「椿」という意味)は、昔の恋人から「俺が会った中で一番ダサい」と言われてしまうだけでなく、自らがなんの取柄もないと卑下するようなキャラクターとして登場する。しかし、物語が進むにつれ、ドンベグは困難を乗り越えながら、同時に「自分らしさ」を開花させていくストーリーになっているのだ。

 

「韓国らしさ」のこれから

遠くない未来、ドラマで取り上げられた地方都市が新たな観光スポットとなることは容易に想像できるが、はたしてそれらがつくりだすイメージが、ドラマの世界観のように「らしさ(=韓国らしさ)」の再発見に寄与するのか、はたまたソウルをはじめとした首都圏を中心に一貫してつくられてきた価値観(ソウルに暮らすことがステータスであるといったような)を解体し、別の「らしさ」を生みだすのか、結論づけるのは難しい。

 

しかし、どちらにせよ、韓流ブーム以降を生きる韓国国内の若い世代にとって、ソウルがもたらす重圧と成功に対する価値や意識は変化していくはずである。ソウルに馴染めたことに対する安堵と、馴染んでしまった自分へのよそよそしさが歌われたBTSのリーダーRMの『’seoul』(2018)★5では、都市空間が生み出した絶対的な価値観に翻弄される彼らの戸惑いを垣間見ることができる。

今後、若い世代が先導する「韓国らしさ」がどのように展開されていくのか、可能性は未知数だ。

以下、歌詞を一部拙訳したもの)

「・・・

무엇이 날 이토록 (何が 僕をこんなに)

너의 곁에 잡아두었나 (君の傍を離れがたくするのか)

네게 난 추억조차 없는데(君にとって 僕は思い出すら無いのに)

난 이제 니가 너무 지겨워(僕は もう君が本当にうんざり)

너의 맨날 똑같은 잿빛 표정(君の 毎日 同じ灰色の表情)

아니 아니 나는 내가 두려워(いいや いいや 僕は僕がこわい)

이미 너의 일부가 돼버렸거든(もうすでに 君の一部になってしまったんだ)

 

사랑과 미움이 같은 말이면, I love you Seoul(愛と憎しみや同じ言葉なら、I love you Seoul)

사랑과 미움이 같은 말이면, I hate you Seoul(愛と憎しみや同じ言葉なら、I hate you Seoul)

・・・」

★1──Youjeong Oh, POP CITY Koren popular culture and the selling of place, ‘Gangnam’s Global Promotion Strategies’, Cornell University Press,(2018).

★2──윤호진 『한류20년, 대학민국 빅 콘텐츠』、커뮤니케이션북스(2016)、p.xx.(ユン・ホジン『韓流20年、大韓民国ビッグコンテンツ』、コミュニケーションブックス、2016年)拙訳

★3──전국경제인연합회『한일관광의 성과 비교와 한국관광에 주는 시사점』 제228호(2016)(全国経済人連合会、『韓日観光の成果比較と韓国観光に与える示唆点』第228号、2016年)

★4──ファンタジー要素が加わったり、財閥役の性別が逆転したりと、設定に違いはあるものの「マクチャンドラマ」のテーマは現在も一定の人気を占めている

★5──イギリスの電子音楽デュオHONNEとコラボレーションした作品

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2021/10/16
執筆者 |
林玲穂
(はやし・あきほ)

1993年生まれ。神戸大学人文学研究科博士後期課程に在籍中。専門は観光を美的行為として捉える観光美学。最近は得意な韓国語を活かして韓国メディアコンテンツも研究中。BTSオルペン。共著書=『他者をめぐる人文学──グローバル世界における翻訳・媒介・伝達』(神戸大学出版、2021)など。

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