2021年、私の「選挙」──政治に希望を失う理由はない
僕が選挙権を持てた時から、今まで、僕の一票が政治を変えたことは一回もなかった。これは現行の選挙制度のなかの一票の影響力という問題ではなく、単に自分が20歳を迎えてから、政治がまったく変化していないことを意味する。
#衆議院総選挙 #期日前投票 #ニュータウン
politics
2021/10/26
執筆者 |
眞鍋ヨセフ
(まなべ・よせふ)

24歳。elabo youth編集長、Kendrick Lamarを敬愛するHiphopオタク。映画、アート鑑賞、読書が趣味。

10月24日に僕は期日前投票をした。

 

僕の住む町は、周りに「〜台」や「〜が丘」といった地名が多く見られる、いわゆるニュータウンになる。ニュータウンという言葉には、都会でも田舎でもない印象を受けるが、実際僕が住んでいる場所は、漏れなく田舎に分類されるだろう。

 

長い坂を下ると最寄りの投票所が見えてくる。そこは自治会が運営する小さな会館で、会場のキャパにとうてい見合わないような広大な駐車場を備えている。バスから降りてすぐの会館の階段をうつむきながら登り切った時に、違和感を覚えた。田舎特有の人気のなさに騙されていたが、本当に会館に誰もいなかったのだ。

 

慌てて投票案内はがきを確認すると、期日前投票はここから5kmほど離れたイオンか、10kmも離れた役所でしかできないらしい。よく不注意だと指摘されることが多いので、今回も自分が悪いのだが、はがきの下に小さい小さいフォントで注意書きを印刷する側もどうなんだと悪態をついてしまった。

 

最寄りのバス停まで15分間くらい、10月に入ってなぜか本数の減ったバスで揺られる。バスの中では、相当の高齢の方以外は皆スマホを覗き込んでいるし、さもなければ何も考えず眠ることしかすることがない。平日になると学生たちは増えるが、参考書や英単語帳を目で追っている。

 

ここには政治を考える時間が存在していない。

 

政治と自分たちの生活が密接に関係していないように感じてしまうのは、同年代にとっては自然なことなのかもしれない。自分たちの世代はしばしばジェネレーション・レフトやZ世代と呼ばれ、社会問題や政治に深く関心を持つ世代だと言われるが、至って普通の無関心な学生や若者だって存在している。elaboの仲間の中にさえ投票に行ったことがないメンバーは複数いる。

 

投票所に着いた。誰に、そしてどの政党に投票するのかは、予め決めていた。忘れないようにスマホのメモに残していた最高裁判官国民審査のリストを確認して、期日前投票のブースに入った。時間にして2分ほど、自分の「権利」を行使して、ポケットティッシュをもらい、イオンを後にした。

投票を済ませてしまえば、ほかに寄るところも遊ぶところもない。自分と同世代の人間を投票所で見ることも相当稀である。ニュータウンに近い住宅街と田んぼとイオンしかない町では、どう足掻いたとしても内向的になるだろうし、変化を求める声を上げることも難しい。

 

僕が選挙権を持てた時から、今まで、僕の一票が政治を変えたことは一回もなかった。これは現行の選挙制度のなかの一票の影響力という問題ではなく、単に自分が20歳を迎えてから、政治がまったく変化していないことを意味する。

 

それでもこれは政治に希望を失う理由にはならない。僕が政治に求めるのは、経済政策でも国防でも誇り高い国家の再来といったことでもなく、どれだけ弱者に寄り添ってくれるかである。実感がないだけかもしれないが、僕が政治に興味を持ち、それに歩み寄ったとしても、僕たちに政治が歩み寄ってくれたことはなかった。感情論だけが大事だと感じているわけではない。実際に政治が僕たちに与えてくれたもので豊かなものだってあるかもしれない。でも、これ以上の変化や、今以上の豊かさや平等や思いやりのある社会を求めることはけっして悪いことではないだろう。

 

「投票に行きましょう」という芸能人による自主的な発信や、同年代のSNSやネットでの貴重な声が、例年より多く聞こえてくるように感じる。それに後押しされながらも、投票をしたり、政治に参加することは、やはり自分の問題でしかないという思いもある。責任を負うという行為は、至極個人的なことであり、誰かに影響を受けたとしても選択するのはほかでもない自分だと感じるからだ。

politics
2021/10/26
執筆者 |
眞鍋ヨセフ
(まなべ・よせふ)

24歳。elabo youth編集長、Kendrick Lamarを敬愛するHiphopオタク。映画、アート鑑賞、読書が趣味。

写真 | 森岡忠哉
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