なぜ日本人は環境・エネルギー問題に関心が低いのか──エネルギーアナリスト大場紀章さんに聞く
今のカーボンニュートラルや脱炭素の話って、基本的にヨーロッパから来ている話が多いじゃないですか。日本は日本の特性を活かした環境問題への貢献を、国の特性を知ったうえで対応すべきだと思うのですが、そういうふうに考えられる人が残念ながらほとんどいないのが現状です。
#自然 #アジア人 #COP26
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2021/10/27
インタビュイー |
大場紀章
(おおば・のりあき)

1979年生まれ。エネルギーアナリスト/ポスト石油戦略研究所代表。京都大学理学研究科修士課程修了。同博士課程退学。民間シンクタンク勤務を経て現職。株式会社JDSCフェロー。専門は、化石燃料供給、エネルギー安全保障、次世代自動車技術、物性物理学。

日本で気候問題・エネルギー問題への関心が高まらない理由

Erie Kawai

今回はお時間をいただきありがとうございます。今日は、ポスト石油戦略研究所のエネルギーアナリスト、大場紀章さんにお話を伺いたいと思います。

 

大場紀章

今日はよろしくお願いします。

 

Kawai

最初に、日本のエネルギー問題の関心の低さについてお聞きしたいです。日本のエネルギー問題の関心は、先進国のなかでも比較的低いと思っています。東日本大震災の原子力発電所の事故を経ても、国民の多くは一向にエネルギー問題に意識を向けようとしていないように見える一方で、人権やジェンダーなどに関してはSNSだけでなくテレビなどの媒体でも盛んに話されています。こういった内政的な問題には焦点が集まりやすい日本において、グローバルな問題である環境問題、エネルギー問題に注目してもらうにはどうしたらいいでしょうか。

 

大場

私自身が、エネルギーや環境問題に関心を持ったのは小学校3、4年生の頃でしたが、周りを見回してもそんなことに興味がある人は殆どいませんでした。私が大学に入ったのは1998年ですが、そのときに環境問題に関心のある人が周りにちらほらいたなというくらいです。今よりさらにマイナーなテーマだったと思いますし、そもそも知る手段がなかったんですね。学校の授業で触れることも少ないし、テレビで取り上げられていても、切実に興味を引かれるものでもなかった。

 

じつは先日9月29日の自民党総裁選では、TBSがYouTubeで「総裁選の争点」は何かというアンケートをとったのですが、環境・エネルギー政策は最下位の3%だったんです。私はそのとき環境エネルギー政策について解説してくださいと、いくつかのメディアからオファーをいただいたんですけど、最も関心が低いテーマを解説するってすごい虚しいですよね(笑)。関心が低い争点で候補者を選ぶことは、ある意味民意に反しているともいえますから。

 

一般的に消費者は、電気のことについて考える時間が1年間のうち平均して10分くらいしかないと言われています。電気代高騰の話が出たときには、多少「あ、そうなの」と意識を傾けますが、電気料金を自動引き落としにしてしまえば、もうほとんど電気について考えることはなくなりますよね。日本のインフラは非常に優秀で、日常で停電もなく光熱費もそこまで困っていない人が多く、電気について考えなくても生活できてしまう。ある意味では平和で良い社会かもしれません。対して、これは必ずしも相関性が示されているわけではないですが、インドやナイジェリアなど、頻繁に停電するような国の国民は、電気に対して非常に関心が高い。

電気の話は最も身近なエネルギーの話題の一つですが、エネルギー問題は本当はもっとグローバルな視点で考えたほうがいいと思いますし、現状そうなってないのはどうしてなんだろう?とか、どうすればいいんだろう?というのは私もつねづね考えているところです。停電になる、ならないといったこととは次元の違う問題がある気がしています。

 

最近思うのは、欧米人とアジア人では、「自然」や「生命」に対する根本的な考え方が違うのではないかということです。日本人・アジア人は、人間も自然の一部として捉えているみたいなところがあるのではないか。気候変動問題を人類の責任問題として考える欧米人の考え方では、自然とは人間が管理すべき対象なんです。それに対して、日本人からすると、台風や地震など天変地異は常に起こるもので、「そこに対処しながら寄り添って生きていくんでしょ」みたいな感覚があり、気候変動に対してもそういうリアクションをされる方が結構多いなと思います。私自身もそうかもしれないなって思う時があります。そういう自然に対する考え方の違いにより、ヨーロッパから発信される気候変動問題のメッセージに、日本人はいまいちピンと来ていないのではないか。日本人があまり気候変動問題やエネルギー問題を重要視しないことの背景にはこうした問題があるような気がします。

大場紀章氏

 

Kawai

はい、やはり日本人は「お天道様」とも言うように、自然とは、人間がどうにかできるものではないと考えている気がします。むしろ自然という圧倒的な脅威に対して、被害者目線のような受動的な受け止め方をしているのではないでしょうか。

 

大場

はい、そうです。例えば、もしヨーロッパ人が日本に住んでいたら、台風を止める研究とかを必死でやってたんじゃないか。それくらい自然に対する考え方が違うのかもしれないなと思うんです。同じ話題をドイツ人と日本人が話していて、実際すごくリアクションが違います。特に気候変動問題に関してはそう思います。

 

Kawai

たしかに日本では、気候変動というよりは、地震など、人類が環境を汚染し始める前から天災がよくあったので、ある意味慣れてしまって危機感が持ちにくいのではないかと思いますね。

 

大場

はい、大雨で土砂崩れが起きると言われても、津波もあるし地震もあるし。そしてなぜかわれわれ日本人は、世界みんな同じような感覚だと思ってしまう傾向がある。「なんでみんな災害を受け入れないのだ」とまでなってしまう。いうなれば、東京が沈めば埼玉に住めばいいじゃないかという感覚だと思います。これが向こう10年で起きると大変だけれど、100年かけて起きるのだったら対応できるでしょうと。これが気候変動問題に対するリアクションの違い、ある意味で哲学的な捉え方の違いなんじゃないかって思っています。

 

もうひとつ、日本人がエネルギー問題に関心が低い理由として私が思っているのは、真の意味でのエネルギー会社が日本に存在していないことだと思います。「真の意味というのは、エクソンモービルなどの国際石油メジャーのことを指しています。石油メジャーが国内にあると、そこに紐づく専門家がいて、専門家がその産業を解説をする、ということができるのです。私は「エネルギーアナリスト」と名乗っていますが、海外ではこの肩書きは石油ビジネスの専門家のことなのです。しかし日本は、非常にざっくり言ってしまえば、資源を買ってきて使っているだけの国になっているんですね。そうすると、エネルギーの供給がどう行われているか、現場を知っている人が社会のなかにいないことになってしまう。つまり、エネルギーの生産から利益を得ている労働者が日本にいないために、エネルギーの専門家が育たないんです。私も一応エネルギーの専門家ですが、エネルギーのことを解説する人って日本のエネルギー業界ではあまりニーズがないんですよ。解説できる人もそれを聞きたい人もいないので当然議論が起きないし、メディアも扱わない。先進国でそういう国ってすごく少ないんですけど。つまり、考えなくても生きていけるようになっているというのが日本の現状です。

 

環境問題やエネルギー問題は日本でもビジネスになるのか?

 

Kawai

なるほど、日本での環境問題やエネルギー問題への関心の低さは、価値観や産業構造にも起因するのですね。次に、エネルギー改革や環境保護と経済活動の両立についてお尋ねしたいと思います。欧米のメディアを通じて気づくのは、若い世代を中心に、環境にいいことをすることは格好いいんだ!という価値観ベースで経済が回っているように見えるということです。またソーシャルメディアでも、欧米では環境問題やエネルギー問題に関わることが個人や組織の売名につながっている感じがあるんですけれども、日本では、古着ビジネスなどはなくはないのですが、やっぱり欧米の盛り上がりと比べると一部に留まっているような印象があります。また、環境保護をビジネスにするっていうこと自体ちょっとどうなのって思っている人たちもいるような気もします。欧米とはまったく違う文化風土を持つ日本で、環境問題とかそのエネルギー問題と経済をどちらも加速するには、どうしたらいいと思いますか?

 

大場

私は経済学者ではないので、正確なところはわからないのですが、経済的な付加価値って一体何かって言うと、それは根源的には消費者が何かを期待して、その期待に応えると、その期待に応えた分の価値が金銭として支払われるものだと思います。必需品が不足していた時代というのは、モノを作ってそれを加工して売るというのが、わかりやすい付加価値だったんですけど、例えばデジタルのものは、1回作ってしまえばその後何の苦労もなく無限にコピーできる、つまり限界費用がゼロなので、モノ作りのビジネスモデルとデジタル・エコノミーというのはまったく違うものになります。

 

さらに、例えばある企業が環境にいい事業をやっているとすると、その企業がより成長してほしいというふうに人々が期待するわけです。多くの人が、そう期待して株を買うことによって、その会社の株式が上がり、その株を保有している人の期待をさらに満たす。そうやって、株式によっても人々の期待に答えるという形で付加価値を生んでいるといえます。したがって、今言った、ものづくりの付加価値とデジタルでの付加価値、株式の付加価値というのは、一見別のことに見えるんですけど、人間の期待を満たすことでお金を得るという意味では全部同じことだと思っています。要するに、多くの日本人が環境問題の解決に価値を感じないと、その活動ではなかなか稼げない、ビジネスとして展開しないことになります。その意味で、人々の認識が本質的です。

 

再生可能エネルギーは経済的にもプラスなのか

 

Kawai

先日送っていただいたドイツの動画(ドイツの国際放送局「ドイチェヴェレ」が製作した「Flipping the Script: A different kind of climate debate」という気候変動問題をめぐる若者の対話を行った番組)を見ました。そのなかで、環境アクティビストのポーリーン・ブルンガーが言う「経済活動と、エネルギーの再生可能エネルギー(再エネ)化の両立は可能」という言葉が印象的でした。その一方で、石炭事業者で勤務するセバスチャン・ラフマンという男性は、「いや、石炭系で働いてる人たちの仕事がなくなってしまう」と反論していました。実際、現時点で再生可能エネルギーにすることは、本当に経済的にはプラスなのでしょうか?

 

大場

例えば、同じ電気でも、地中から石炭を掘ってそれを発電所で燃やして電気にする方法と、地中からシリコンを掘ってパネルを製造し設置して太陽光発電をする方法があります。それらを評価するときに、発電のために社会が投入したエネルギーと発電で社会が得られるエネルギーを比べるエネルギー収支(EROI)という指標があるのですが、石炭火力発電は採掘から発電までを考慮して20程度、太陽光発電は20年間稼働させたとして10前後なので、残念ながら石炭のほうがエネルギー収支が高いんですね。もちろん他にも考慮しなければならない要素はたくさんあります。例えば、電力量あたりに従事している人の数が太陽光の方が多いのですが、これらの数字はそうした労働者が消費しているエネルギーの違いは加味されていません。私の推定では、石炭から太陽光への転換は、社会システムとしてマイナスになっていると思います。

 

Kawai

動画のなかでポーリンは太陽光発電で雇用が増えると言ってましたよね。

 

大場

ですが、じつはエネルギー産業で雇用を増やしてもあまり意味がないんです。エネルギーというのは、ある意味あらゆるものの原料のようなものなので、経済価値とはそのエネルギーを使っていかに価値あることをするかで決まります。例えば、コンバインなどの農機具がなくなれば、お米の生産効率が極端に下がり、多くの人がコメ農家にならなければ生産を維持できなくなりますが、みかけの雇用は増えます。しかし、その分これまで行われてきたエネルギーを消費する経済活動は失われます。太陽光で雇用が増えるというのはその話に近いです。要するに結論としては、社会のエネルギーシステムとして効率が落ちるため、経済活動は低下する可能性が高いでしょう。

 

日本が環境問題・エネルギー問題の解決のために国際的に果たす役割

 

Kawai

なるほど。次の質問に進ませていただきます。私はエネルギー問題は特に外交も強く関わってくる政治の問題だと思っています。それぞれの国がそれぞれの特性や背景を持って議論することが重要だという前提で、日本が日本の特性を踏まえたうえで、そのように動いていくべきかお伺いしたいです。

Erie Kawai氏

 

大場

本来であれば、日本人が自分でちゃんと考えればいいんですけど、今のカーボンニュートラルや脱炭素の話って、基本的にヨーロッパから来ている話が多いじゃないですか。そこで打ち出された話をまるでお手本のようにして、そのまま実行しようとしていることに疑問を覚えます。おっしゃるとおり、それぞれの国には特性がある。例えば日本は国土が狭いところにたくさんの人が住んでいるので、再エネだけでエネルギーを賄うことは向いていません。したがって、「広い土地がある国での再エネを支援します」というほうが本来合理的な判断だと思うんです。しかし、現状では、一人当たりの太陽光発電導入量で比較して、「あの国より少ないからもっと増やそう」というようなヨーロッパ側のモノサシで非合理な対応してしまっているんです。日本は日本の特性を活かした環境問題への貢献を、国の特性を知ったうえで対応すべきだと思うのですが、そういうふうに考えられる人が残念ながらほとんどいないのが現状です。

 

その理由は、国民がサラリーマン根性になっているというか、「自分が生きている間はきっと大丈夫だ」、という甘えもありますし、欧米がいってきていることを忠実に遂行することが評価されるという仕組みになってしまっていることも問題なんだと思います。結果、単に日本は経済的に損失を負うだけで、合理的な仕方で環境問題の解決に貢献できない。他にも、海外の再エネ開発を支援するだけではなく、例えば、海外で直接再エネ開発するというのも、ひとつの貢献方法だと思います。

 

日本は、これだけの経済規模を持ちながら、天然ガスのパイプラインが通っていませんし、石炭など殆どすべての資源を輸入に頼っている。でも、マレーシア・ベトナム・韓国など、似たような状況に置かれている国はあって、そういう国に対して、解決策を提供することこそ、本来これから日本がやらなければいけない仕事だと思います。ですが、一部の動きはあるんですけども、そういう意識を持ってくれる人がまだ少ないなと思っています(インタビュー後、COP26にて岸田首相が「アジア・エネルギー・トランジション・イニシアティブ」を提唱した)。

 

Kawai

日本って結構そのアジアのなかで漠然と「1位」と思っている人が多いにもかかわらず、何て言うんでしょう、それにしてはリーダー的なアクションを取っていないような感じはありますね。

 

大場

そうですね。その点で日本はもっと貢献すべきかなと思いますね。

 

脱炭素社会の重要性を若い世代に浸透させるにはどうしたらいいのか

 

Kawai

脱炭素社会を目指すことの、一番大きな課題というのは何だとお考えでしょうか。とても大きい質問になってしまっているのですが、やはり日本ではこの環境・エネルギー問題に対しての意識がとても低いので、そもそも世界的な問題として理解している人が少ない。「脱炭素2050」という単語すらも知らないのが、私たちの世代だと思っています。「炭素って何?」みたいなところから始まっている人ももちろんいるかもしれません。

 

大場

たしかにそうですね。

 

Kawai

はい、ですので、なぜこれが今議論されていて、何が一番の課題なのか、解説いただけますとありがたいです。どうしてもそのエネルギー問題の関心の低さというのは、問題が複雑だからというのもあるとは思うんですけど、こういった大きな質問から得られた回答こそが、若い世代に伝わっていくんじゃないかなと思っています。

 

大場

そうですね、そう思います。非常に正しいですし、私もいろんな世代の方とお話しますけど、正直、若い世代に限らず、どの世代の人も、「脱炭素問題を知っている」っていう人も含めて、ほぼ何もわかってないといってもいいと思います。わかっていると言っている人の多くは、仕事で関わらなければならない人ですね。そういう人の多くは経営者で、「うちの会社も脱炭素対応しろ」と自分の部下に言わないといけないので、わかったふりをしないといけないんですね。なので、脱炭素に限らず、聞いたことがあることは全部わかったことにせざるを得ない。しかし、「なぜやらなければいけないか」となると、誰も答えられない。だから、「脱炭素問題」の本質、これは知っているふりをしている大人と、単語すら知らない若い人であまり大差ないんじゃないかとさえ思います。Kawaiさんに先に話したドイツの動画を送ったのは、ああいう会話を日本で聞く機会が本当にないという前提で、参考にしてほしくてそうしたのです。

 

Kawai

たしかに、先程のドイツの動画を見て思ったのは、一般人の議論を聞いている政治家たちが、まず日本と比べて何十歳も若い。そして、一般人側の方も、特に政治的な活動をしているわけではない、企業に勤める方にもかかわらず、10代の活動家と高いレベルの議論をし、政治家からの質問にも全て意見を持って答えている。日本との差に唖然としながらあの動画を見ていました。

 

日本は環境エネルギー問題が政治家の世代間闘争になっている

 

大場

いやあ、私はホントにこんな議論ができたらいいなと思いながら見ていました。これは単純に日本で環境エネルギー問題に関心が低いということにとどまらずに、日本における政策課題としての環境エネルギー問題を、民主的にどのように扱うべきかという、じつに難しい問題です。例えば日本でエネルギー環境問題について討論となると、再生可能エネルギー vs. 原子力発電の罵り合いになってしまいます。それはなぜかというと、日本の政治家は多くの場合、上の世代に行けば行くほど原子力の利権と結びついていて、若い世代に行けば行くほど、再生可能エネルギーの利権と結びついているからなんです。メディアも問題の本質よりも、利権構造こそが面白いので、小泉進次郎さんが恥をかくとか、どっちの政治家が勝つか負けるかばかりに注目しているように思います。しかし、そのようなことでは、何ひとつグローバルなレベルで問題を見れていないですよね。

 

Kawai

結局、さらに内政的になってしまっていますよね。

 

大場

はい。メディアはエネルギー問題に興味がなくて、ある意味政治家の勝ち負けだけに興味があるんですよ。これが日本の政治の現状かもしれません。本当に大事なことは自分たちに関係なくて、誰か偉い人が考えてくれている。そういう感覚が非常に強いので、真面目に社会問題について話す人もいなければ、話すべきだと思っている人もあまりいない。あるいは社会に出ると目の前のことで忙しすぎ、働き過ぎで、今日上司に言われたことをこなす以外のことを考える余裕はないということになる。どんどん世帯収入は落ちていって、経済的な余裕がなくなっていることも影響していると思います。そんな時にどこに地球のことを考える余裕があるのかと。

 

Kawai

エネルギー問題についてはたしかに、経済的な余裕のある北欧国家の少女たちが積極的というイメージが強いです。でも、こういった問題で一番実際にその被害を被るのは、ヨーロッパの国というよりは赤道近くにある国のほうで、例えばインドネシアでは現実に目の前で家が浸水してしまっていたりしますよね。だから一番議論すべきは、むしろ余裕のない国たちであるべきなのに、現実として余裕のある国ばかりが危機について議論している、この不均衡感というか問題はやはりありますね。

 

大場

そうですね。スウェーデンのグレタ・トゥーンベリさんひとりではなく、ダボス会議に彼女を実際に連れだす人がいるとか、グレタさんを重要な人物だというふうに社会が思うという環境があったから有名になったのだと思います。グレタさんのような人が日本にいても、誰も注目していなかったかもしれない。

 

私の考えでは、現在、ヨーロッパは危機感が生まれやすい環境にあると思うんです。ヨーロッパには、イギリス、ノルウェー、デンマーク、オランダが囲む北海に油田・ガス田があって、そこでオイルショック後のエネルギーの供給を賄っていました。ですが2000年以降、老朽化でその生産量が落ち、これ以上ロシア依存を続けたくないというリアルな政治感覚から、再生可能エネルギーに力を入れ始めたという経緯があるんです。

 

ですが、最初にも述べたように、日本はずっとエネルギーを自給していないので、変化がない。自給で賄っていた国が、他人に頼らざるをえなくなる過程では結構危機感が生まれるんですが、日本はずっと危機的な状態のまま70年来てしまった。いや、実際には日本もこの10年で原発事故があり、アラブの春で中東情勢が大きく不安定化するなど、エネルギー供給の環境は大きく変化しているのですが、日本は安全保障を米国に依存している一方で、安全保障の議論にアレルギーがあるので、なかなか話題にできないというのもあると思います。

 

そうすると、エネルギー政策を転換するために問題意識を社会に喚起して、問題自体をちゃんと評価をしてお金をつけようというふうな動きになるわけですが、日本は転換してもあんまり得する人がいないんです。どれだけ活動家が声を上げても、「なんかその人に近づいていいことあんの?」となってしまって、ムーブメントになるのが難しい状況です。

 

じゃあどうすればいいかっていうと、私は私で戦っているんです。簡単に言うと、石油会社とか電力会社とか既存の業界にいる人たちは、あまりエネルギー問題を大きな問題にしたくないと考えている。なので、私はエネルギーの専門家としての仕事をしつつ、エネルギー業界からお金をもらわないようにすることをポリシーにしています。個別の企業の利益と関係ないような話、それがまさにグローバルな話だと思っているんですけど、そういうグローバル・マクロの議論をし続けるために、特定の企業や業界と深く付き合わないようにしてやっています。要するに仲間を極力作らない生き方になるので、非常に難しいことなのですが。

 

若者へのメッセージ──グローバルに問題を考えるためにはまず孤独になろう

 

グローバルにものごとを考えることは、日本ではそれ自体がなかなかお金にならないので、就職してしまったら、考えないのが一番合理的になってしまう。Kawaiさんのように学生時代であれば、まだその余地はあるし、そういう時代には、世界がどのようにできているのか、どんなことが問題になっているのかを考える時間があると思うので、ぜひそういうところに取り組んでほしいなとも思います。

また、自分の意見を持つというのは、基本的に孤独になることだと思ってます。つまり「それはおかしいよ」って言われるかもしれないことを発言し続けるということが大きな意味を持つ。こういうことに気づける人は、つねに自分でものを考えられる人だと思うんですけど、それが怖くなってしまうと、常に人と意見を違えたくないから誰かが言っていることと同じことを言うというという発想になってしまいます。そういう意味で、悪い意味で他人とつるまないようにしてほしいなというのが、私の若い人たちへのメッセージですね。

  

Kawai

ありがとうございます。大場さんのお話を伺って、世の中が変わっていっているときに日本人の価値判断が限界を迎えているというご意見は、あらゆるジャンルで起きているのだと思いました。同時に、日本ではほとんどの議論が、問題そのものの議論以上に党派争いで構成されていることも私自身一貫して問題だと思っています。本当に解決が難しい問題ですが、メディアを運営するわれわれのように、産業構造に直接関わるかたちではなくとも、価値観やカルチャーから解決を目指す試みには、どういう可能性があるとお考えでしょうか。

 

大場

はい。上記のドイツの例を出したのですが、羨ましいと思いつつ、一方でこんなことは日本で成立するんだろうかと思ってしまうんですね。私はこのエネルギー問題に興味があるから羨やましいと思いますが、やはり実際は日本式のやり方でしかできないのかなとも思っています。最初に自然に対する考え方が違うと話しましたけれど、じゃあ日本人も欧米人のように「自然を管理すべき対象として考える」という考え方を広めることがいいことなのか、っていう問題になると思うんですね。

 

私は「自然と共に歩む生き方」も、それはそれでいいと思っているので、その考え方をベースにして気候変動問題に取り組むにはどうしたら良いのかを考えなければいけないと思うんですよ。単純に欧米のロジックを日本に当てはめようとするから、受け入れてもらえないところがあると思うんですね。

 

実際に気候変動問題に取り組んでいる人からは怒られちゃうんですけど、ある程度温暖化することを織り込んで、温暖化することにどう生活する側が適応すればいいか、アジアの国はむしろそっちをやったほうが合理的だと、そういう考え方もあるんですよ。実際本当に温暖化を止めようと思ったら、例えば中国の排出量って日本の10倍近くありますからね★1。中国で石炭が不足して停電が起きてますけれど、停電が起きると共産党が命令して、日本の総消費量に匹敵するくらいの石炭の増産を命令しているんですよ★2。要するに、政府の一言で日本の1年分の排出量が吹っ飛ぶくらいの変動が起きる★3。なので、日本ががんばって二酸化炭素排出量を減らしても、中国が一瞬停電になった瞬間に日本の努力は秒で消えてしまうのが実情です。

気候変動問題を、例えば温度上昇を1.5度に抑える可能性が人類にあると信じているか信じていないかで、じつは対応の仕方ってのは大きく変わるんですね。対応を推進している人たちは、「極めて難しいが、可能性は残されている」と必ず言います。しかし、「本当に習近平政権を説得できますか」って聞くと、みんな黙ってしまうわけです。なので、日本人でこの現状を知っていると、今掲げている目標を本当に実現するのは不可能なんじゃないかって思っている人も結構いると思うんですね。可能性があると信じるか信じないかで行動が大きく変わるというのは、結構大きな問題ですよね。

 

Kawai

本当にシビアな状況ですね。今日は貴重なお話を伺えました。本当にありがとうございました。

 

 

 

[2021年10月31日、Zoomにて]

★1──2021年の二酸化炭素排出量は、中国が115.3億トンで、日本はちょうど10分の1の11.53億トンだったと計算されている。“CO2 Emissions by Country” in WorldPopulation Review, 2021.

★2──BBCによると、北京地域は停電の解決方法として、1億トンの石炭増産を中国北部の内モンゴル自治区に命令した。“China power cuts: Coal miners ordered toboost output, say reports” in BBC News, October 8, 2021.

★3──日本の年間の電力用石炭輸入量は、1.2億トンほど。経済産業省 資源エネルギー庁「令和元年度エネルギーに関する年次報告 第2部 第1章 第3節 一次エネルギーの動向」(エネルギー白書、2020)

写真 | Markus Spiske (Unsplash)
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2021/10/27
インタビュイー |
大場紀章
(おおば・のりあき)

1979年生まれ。エネルギーアナリスト/ポスト石油戦略研究所代表。京都大学理学研究科修士課程修了。同博士課程退学。民間シンクタンク勤務を経て現職。株式会社JDSCフェロー。専門は、化石燃料供給、エネルギー安全保障、次世代自動車技術、物性物理学。

聞き手 |
Erie Kawai

2001年生まれ。国際バカロレア取得後、モナシュ大学に在籍し、政治とメディア学を同時専攻する。日々海外のメディアや大学の授業を通して、日本と海外の視点の違いに注目しながら社会問題を扱う。

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