ラッパーLEXからルッキズムについて考える
容姿差別を根絶するためには、他人を気にしすぎるなという結論一択だと考えているが、他者の視線を一切気にするなというのも難しい。Instagramが原因で落ち込み、メンタルを病んでしまう若者も相当数に上る。Tiktokでは、“「いいね」とフォロワー”を稼ぐため、ダンスを学ぶ人が多い。
#Tiktok #自己中心 #メラビアンの法則
identity
2021/11/22
執筆者 |
io
(いお)

大学2年生。趣味はスポーツ観戦とHIP HOPを聴くこと。最近は大谷翔平と佐藤輝明に興奮している。

誹謗中傷について

 

筆者はよくHIPHOPを聴く。ただ音楽を聴くだけでなく、ラッパーのインスタライブや切り抜き動画を見ることが好きなのだが、そのなかで違和感を覚えるシーンがあった。それは、LEXを切り抜いた動画のコメント欄だ。どこに違和感を覚えたのかというと、容姿に関するコメントがほかのラッパーと比べ、多く散見された点だ。例えば、「ココリコ田中」といったコメントが挙げられる。YouTubeで「Lex 田中」と調べると25万回再生された動画が上にあがってくるのだが、その動画のコメント欄もヘイトに満ちている。なぜ、こうも彼がピックアップされ、容姿を絡めた中傷を受けるのであろうか。考えていくうちに、彼だけの問題ではなく、社会全体の問題であることが明らかになってきた。

 

 

なぜ容姿を絡めるのか

 

そもそも日本という国では、LEXに限らず、誰かを批判する際、容姿を絡めることが多いように感じる。アイドルに限らず、人前に出て何か活動している人は、ほぼ例外なく、容姿を絡めつつ、言及されるように思う。これはとても醜い現象だ。なぜなら、たとえば炎上のような現象が起きた場合に、その直接の原因は容姿ではないのに、最終的に容姿の批判に陥っているからだ。基本的に、特定のアーティストや有名人が批判される時、そのきっかけはほとんどが不適切な発言、行動が原因であると筆者は考えており、容姿批判は本筋から外れる。LEXについても、彼に何か批判をしたいならば、フリースタイルの精度や彼の音楽性を批判するべきなのであって、顔を絡めた批判をするべきではない。容姿を絡めると、議論がとたんに進まなくなり、何も生まれない。

 

容姿差別の根絶と現状

 

容姿差別を根絶するためには、他人を気にしすぎるなという結論一択だと考えている。人の顔にケチをつけ、体型批判をする人は、他人を批判する前に、自分の内面を磨けというほかない。また、他人が気になっても、自分の内面だけに留める努力を行うことが重要だろう。人は他者の視線を取り込みながら生きている生物だ。その例として挙げられるのが、メラビアンの法則ではないだろうか。メラビアンの法則によると、人間の印象の9割は非言語コミュニケーションで決まってしまう。非言語コミュニケーションとは、聴覚、視覚情報のことである。例えば、笑顔で謝罪されると、おかしいと感じるのが当然だ。このように、人間は会話の内容より、見た目や表情に視線が向ける。非言語的なコミュニケーションに重心が置かれているからこそ、結果的に人間は他者の視線に支配されて生きることになるのだ。

 

しかもSNSはもちろんのこと、ライブ配信サービスや投げ銭制度の発展により、顔を出してお金を稼ぎ、承認欲求を満たす人が増えてきたため、他者の視線を一切気にするなというのも難しい課題だと思われる。Instagramが原因で落ち込み、自信をなくし、メンタルを病んでしまう若者も相当数に上る。Tiktokでは、“「いいね」とフォロワー”を稼ぐため、ダンスを学び、人によく見られるためウケを狙ったメイクを研究している人が多い。「承認欲求ワールド」では誰かと比べることは避けられないのだ。

 

この情報環境が変わらない限り、今後、ますます容姿批判は増え、それを防ぐために整形などが流行るだろう。整形自体は悪いことだと思わないし、自らのコンプレックスを解消することは当然だと思うが、容姿に関する執着をより深めるだけではないかと思う。

 

SNS時代のルッキズムとの向き合い方を考える

 

ルッキズムから解放されるためには、SNSをアンインストールし、他者と比較する機会を減らし、容姿以外と向き合う時間を増やす。これが一番簡単な解決策ではあるが、実行できる人間は少ないだろう。僕もできないと思う。では、どうすればよいのだろうか。それは、いわゆる「リア充」になることだろう。「リア充」が他者をまったく気にしないということはないだろう。だが、現状の自分に満足し、日々何かに満たされている人間は、他者を気にする時間はないだろうと思う。また、他者と比較する場面が出てきたとしても、ポジティブな感情が湧き上がることが多いのではないか。

 

すべてにおいて完璧な人間はほとんど存在しない。憧れのあの人も、あの人なりの悩みがある。人気フリーアナウンサー宇垣美里氏の「なんかね、その人それぞれに、やっぱ地獄があると思うんですよ。私には私の地獄があるし、あなたにはあなたの人生の地獄があるのだから」という言葉が刺さる。

 

私たちが誰かを見て羨ましいと思うように、じつは誰かが欲しているものをあなたは持っているはずだ。もっとポジティブに、内面化してしまった他人の視線ではなく、自分自身の視点に立った自分の人生を生きてみてはどうだろうか。最近の事例だと、あれだけ国民に叩かれながらも愛を貫いた小室圭氏も思い起こされるが、実際「自己中心的に生きてやる」ぐらいの精神が、他者の視線を過剰に内面化している私たちには求められているのかもしれない。

identity
2021/11/22
執筆者 |
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(いお)

大学2年生。趣味はスポーツ観戦とHIP HOPを聴くこと。最近は大谷翔平と佐藤輝明に興奮している。

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