あざとい表現はきっと続かない:アーティスト・下倉幹人インタビュー
まず、問題と向き合わなきゃって思っても、日本人の多くは向き合い方を教えてもらってないというところはあると思います。だからこそ、まず発信することって本当に大事だなって思って。一緒に考えてくれる誰かがいるだけで、全然違うじゃないですか。
#アイヌモシㇼ #アイデンティティー
identity
2022/01/17
インタビュイー |
下倉幹人
(しもくら・かんと)

11歳の時、映画バック・トゥ・ザ・フューチャーをきっかけにギターをはじめる。2017年、「GREEN Bou GRINBO」を結成、2021年解散。同2021年、GREEN Bou GRINBOドラムのomiとベースのダイチと共に「タデクイ」を結成。

経歴

2004 神奈川県生まれ。

2017 GREEN Bou GRINBO結成、2021、解散。

2020 映画アイヌモシㇼにて主演を務める。

2021 幼少期からの友人 平澤真臣、廣野大地と共に「タデクイ」を結成。

アイヌとしてのアイデンティティは自然なもの

 

Erie Kawai

今日は映画『アイヌモシㇼ』で俳優デビューなさり、現在、tadekuiというバンドで音楽活動もなさっている下倉幹人さんに、アイデンティティとカルチャーについてお話を伺いたいと思います。アイヌは日本の他の少数民族と比べて、本土の日本人と同化するように求められたという背景もあり、「消滅する文化」と言われることもあります。例えば、アイヌ語はアイヌの方々の中でも1パーセント以下しか理解できないという事実に加えて、日本は今少子高齢化が進んでいて下倉さんのように10代でアイヌのルーツを持っている方はどんどん減少しています。そのような状況の中で下倉さんは映画『アイヌモシㇼ』に出演される等、アイヌを広めていこうという活動をされていらっしゃいます。どのような思いで活動をされていますか?

 

下倉幹人

そうですね。アイヌの若者としての責任感みたいなのはあんまり感じていないというのが本音ですね。そもそも誰がアイヌであるのか、というのは実は結構難しい問題だなと思っています。例えばアイヌの血が入った人が身内にいるなら自分もアイヌ、っていうことだけならまだわかりやすいですが、アイヌの血が入っていなくてもアイヌ語を話す人もいるし、トンコリを演奏する人もいるので、おそらくアイヌの定義にも色々あると思うんです。結局、周りから見たわかりやすさが理由になることが多くて、アイヌの血が入ってるから、あなたはアイヌだねってことになる。でもそう言われても別にアイヌとして生きていく気がない人だっているから、血によって括るみたいなのにも若干違和感があります。なんていうか、もうちょっと自然な捉え方ができたらと思っているんですけど。

 

例えば僕にとっては、アイヌ文化が単なる日常であるということからアイヌだと言える部分もあるように思います。昔寝る前に母が歌ってくれたアイヌの曲だったり、他にはトンコリっていうアイヌの弦楽器を弾いてくれことなどが記憶にあります。その子守唄が、僕にとっては母が歌う歌ということだけだったんですが、実は母のものだけじゃなくて、代々歌い継がれててるものだった。そういう歌は日常的なものであり、人に見せるためのものというより、毎日聞いていたら好きになっただけなわけで。そういう歌が歌い継がれたものだったと知った時、とても感動しました。そういう流れでアイヌという自覚を持っていったんです。

 

Kawai

お話を聞いていると、「僕がアイヌだ!」みたいな感じで活動されているというよりも、下倉さんにとって日常の一部だった子守唄がたまたまアイヌから受け継がれていた稀少な歌だったという形で自然にアイヌに繋がった。だからこそ自然に、普通に、生活の一部として、アイヌとして活動されているという感覚なのかなとお聞きしたのですが、そのような理解で大丈夫ですか?

 

下倉

そうです。例えば僕の場合、アイヌであることを母の歌から受け取ったわけですが、音楽自体、人に受け継ぐ手段の一つだと思って、自分自身も好きで音楽をやっています。自分が感じた何かを自分なりの形で表現して、それを誰かに伝える。その伝わる過程の中で、誰かがそのストーリーに心動かされたり、そこからまたその人なりの形で、音楽じゃなくても、絵だったりとか小説だったり、形を変えて広がるようなことできたらなとよく思ってます。

 

少数者であることの葛藤、若者としての葛藤

 

Kawai

下倉さんは今メインでは音楽で活動されているとは思うんですけれども、映画にも出演されましたよね。映画に出演されて、何かご自身の意識が変わったり、周りからの反応があったりしたと思うのですが、いかがでしょう?

 

下倉

とっつきやすい人になったんじゃないかなって思います(笑)。観てくださった人からしたらあの映画の中の「カント」があって、この本人である「下倉幹人」もあるわけじゃないですか。昔は我が強くて、勝手にルールを破っていくタイプで、同時に嫌なことを嫌だと言わないまま逃げる癖がありました。それが映画に出たことで、嫌な時はちゃんと「嫌だ」って言えるようになってたんじゃないかなって思います。

 

Kawai

なるほど。映画を観て、私が一番印象に残ってるシーンがあるんです。中学生のカントが学校の三者面談の後に、「高校でこの街を出たい」と言って母親に「なんで」って聞かれ、しばらく黙った後に「だって変じゃん」と返答するシーンがあったと思うんです。そのセリフには、思春期の反抗心だったり、少数派であるアイヌ文化に違和感を持つ思いであったり、いろんな思いが込められている気がして、個人的にグッと来たんですね。現実の下倉さんは、アイヌに関する理解が日本社会で深まるために活動してらっしゃるし、それも嫌々やってるというより、先ほどおっしゃっていた通りに、日常的に自然なこととしてやっていらっしゃると思うんですけれど、同時に普通の高校生である若者の今を大事にしてるっていう感覚もあると思います。マイノリティ属性を受け入れることと、そしてそれを広めるための活動をすることは、ある意味疲れることでもあるし、葛藤もあるのではないかと予想するのですが、いかがでしょう。

 

下倉

その質問を事前に頂いて、考えてみたのですが、結局悩んでいるのだと思います。映画の中では「この町を出たい」というセリフがありましたが、僕の出身である阿寒湖には高校がないので、必然的に街を出ることにはなるんですよ。実際、僕も今、高校生で街を出て一人暮らしをしています。その上で、自分の少数者としてのアイデンティティのことを考えてみると、そもそも「自分が何によって自分なのか」ってすごい難しい問題じゃないですか。例えば学校教育でも「自分らしく」とか掲げたりするわけですけれど、現実的には型にはめるようなことが多いですよね。また、アイヌという自分の属性を捨てたとしたら、自分に何が残るんだろうって思うこともあります。自分が自分であるために何かないといけない、という感じがなぜかすごく強く自分の中にあるんですよね。不安定な感じがして。自分が自分である裏付けってないじゃないですか。

 

Kawai

他人から自分のマイノリティー属性によって捉えられることに葛藤しながらも「それが自分を説明するものなんだ」って一回納得したのに、また一周回って「逆にそれがないとしたら、私って何なんだろう」って不安になってしまうことってあると思います。

 

下倉

ありますね。この問題には昔から少なからず悩んでいた気がします。下倉幹人じゃなくてアイヌっていう見られ方することが時々あって、違和感を感じました。正直なところ「嫌だ!」って抵抗感があったんですよ。それで、昔はアイヌの踊りとかサボったり、アイヌ語弁論大会を勧められても「何だかなぁ」ってなったりしていました。それこそ少数派じゃないですか、アイヌっていうアイデンティティも。一般的ではない、普通じゃないって思っていました。でも今は、結局回り回って「大事にしたいな」って思っています。まだ完全にスッキリはしていないんですけど、アイヌだって自分だし、アイヌがなくても自分だから、「自分は自分だ」って納得できたらいいんですけどね。

マイノリティはどのように認められるのが理想的なのか

 

Kawai

ここまでは、マイノリティ属性を持つことは社会で生きる上で苦労するという文脈でお話をしてきましたが、次の質問は、反対の目線でお聞きしてみようと思います。難しい問題なので慎重にお伝えしたいのですが、私は最近、「マイノリティー属性はかっこいいみたいな」風潮があるのではないかと思っているんです。例えば、普通の広告にも当たり前のようにエスニシティや年齢や見た目が多様な人が出てくるようになったのは素晴らしいことである反面、マイノリティであることが商品価値のようになっているように感じます。以前のように、個々人のマイナーな属性を隠さなければいけない時代には絶対に戻りたくはないんですけども、殊更に「格好いい」って持ち上げるのもちょっと違うんじゃないかなって思うことも時々あるのです。マイノリティ属性を社会に受け入れてもらう方法とマーケティング的な側面について、下倉さんはどういう風に考えていらっしゃいますか。

 

下倉

「受け入れられるためには、どうすればいいんだろう?」って考えたら、きっと今みたいな形で広告などを通じて良いイメージを通して広める、というのが一番手っ取り早いと思うんですよね。それこそ成功はしてると思うんです。マイノリティへの認知は広まっているし、それこそブーム的なものは起こってるわけじゃないですか。ただこのやり方を続けちゃうと、マイノリティが見せ物になっちゃう気がするんです。そうなるとかえって「ああ、最近よく聞くアレね」みたいに、またマイノリティの存在が本当のことではないような感覚に人々が陥ってしまうのではないかと危惧しますね。マイノリティの存在はテレビの中の話ではないじゃないですか。存在するから、存在を認めて欲しいという活動や発信をやっているわけで。この事実をちゃんと広めるためには何から変えればいいんだろうって、本当に難しい問題ですが、考えさせられます。

 

Kawai

文化を広めたいという思いと、見せ物というか、エンターテイメントとして消費されてしまうリスクというジレンマがありますよね。例えば、アイヌの話になると毎回この話を出されるかもしれなくて恐縮ですが、『ゴールデンカムイ』も、「マイノリティの文化ってかっこいいよね」って感覚でヒットしたところがあると思っていて。セクシャルマイノリティに関しても、ジェンダーを気にせずにファッションを楽しんでる姿って、見ていてとても素敵だし、ある意味どんどん流行っていけばいいなって思う反面、同時にただそうやって「かっこいい・かわいい」から流行るだけで、例えば同性婚はいつまでたっても法律化されないなど、実際の人権問題や意識改革にはあまりつながっていないのではないかと思うのです。アイヌの問題にしても、例えばアイヌの法律★も成立してきてはいますが、やはり「アイヌの文化は格好いい」って消費しているだけでは、根本的な人権向上につながらないのではないのかと。こうした問題を踏まえた上で、下倉さんは、ご自分ではどのようにアイヌのアイデンティティーを表現していきたいと考えてらっしゃいますか。

 

下倉

ちょっとだけ器用なんですよね、僕。どうすれば相手が喜ぶか分かるんですよ。だからこそ、それに応えることは全力で回避するようにしています。相手にウケるようにという意図で表現しないようにしようと。結局なんで自分が音楽や演技を続けられてるんだろうって考えると、やはり自分が好きだからであって、どのようなバックグラウンドがあったとしても、それって結局後付けだと思うんです。例えばアイヌが迫害を受けて、言葉が失われつつあるということを見せて「かわいそうでしょう、でもこの文化、素敵でしょう」っていう風にアピールするのが正直あんまり好きじゃないんですよね。同情を買いに行っているような感じがしてしまって。

 

だから自分についても、後付けで「僕がアイヌだ」と言うのを誰かが言ってくれただけだと思っています。ちょっとそれは無責任かもしれないけれど。もちろんそのことがきっかけで好きになってくれる人がいるなら、それはそれで嬉しいことです。でも、そういう文脈で期待されていることを僕はやるつもりはないと思っている。「大人の事情」みたいな感じで、ちょっとしたあざとさが生まれたら、もうその表現は長続きしないんじゃないかなって思っています。

 

Kawai

すごいですね。私は結構、相手が求めることに自分から応じてしまう所があるので、下倉さんは強いんだなと感動しました。自分が欲しいものを無言の圧力で期待してくる大人やマジョリティー側がいて、構造的には力を持っている側が悪いに決まってるんですけども、マイノリティ側がそれに応えないという強さを持つのも、確かに重要だと気が付かされました。

 

下倉

実際、キャッチコピーのようにアイヌを全面に出して「いいでしょ」っていう風に演出されると、なんか見てられないなっていうのはあります。マイナー性を逆手に取って売っちゃうっていうか、「戦略としてやってます」みたいなのがちょっと痛いなあと・・・。自分がひねくれてんのかなあとも思いますけど(笑)そこに何か、その人でしかできないオリジナルなものがあるのが大前提になると思います。

 

みんな何も考えないで人に合わせてしまうことが多くて、アイヌの歌でさえもそうだったと思うんですよね。今まで通りの歌をそのまま歌うことが多くて、アイヌの歌を自分で作って歌うなんてことをした人は昔は全然いなかったと思うんですよね。でも、年に一度千歳か札幌で開催されるアイヌ語弁論大会っていうのがあるんですけど、そこに行くと楽しそうにアイヌの弁論をする人もいるし、ほかにも面白かったのが日本のJPOPをアイヌ語に訳して歌うっていうことをする人がいて。そういうのは「アリだよな」っていう気はするんです。ちょっと笑っちゃうようなものだったとしても、とっつきやすいじゃないですか。

 

Kawai

確かにアイデンティティを利用しちゃうと、そこで括られちゃいますよね。もちろんそれもマジョリティの人たちがそうしてしまうだけなんですけど、「ああ、あのアイヌのバンドね」みたいになっちゃうのは避けたい。例えば、サカナクションって北海道の人達だよねじゃなくて、すごく売れたので普通にもうJPOPの一員として扱われている。それが理想形なんじゃないかなと思います。そう考えると確かにそのアイヌの歌ばかり発表したり、演奏したりということに葛藤が生まれるのは当たり前と言えるかもしれませんね。

 

下倉

そうですね。根っこにあるのはアイヌだって忘れなければ、後付けでもちゃんと認識はされるんじゃないかなっていうのは、自分の希望だったり甘えだったりするのかもしれませんが、そう思います。「アイヌ」が先に来てしまって、それに合わせるように自分が変わるのではなく、まず自分がどうなんだろうって確立させて、その上で「アイヌである自分もいる」っていうのを受け入れる準備をしないと、何が本当の自分かわからなくなっちゃうと思うんですよね。

 

Kawai

ちなみに、下倉さんが音楽をする上で、インスピレーションを受けたアーティストや具体的な曲はありますか?

 

下倉

まず、親の影響はありますね。僕が小学校6年生の頃にスペインに1カ月ぐらい母のアイヌの歌・ダンスとそしてスペインのバスク地方の楽器のコラボレーションのツアーについていったことがあります。後で考えてみると、バスクとアイヌは似通ったところがありました。そのツアー中に体験したあるステージはとてもよく覚えていて、息遣いまでこちらまで伝わってくるような、飲み込まれるほど集中しているのが伝わってくる、一種の怖さすら感じるぐらいでした。「何だったんだろうあれは」って今でも思います。こういうものを自分でも与えられたらいいなっていう思いに、僕の音楽の根っこがあるんじゃないかな。「あの時の経験は何だったんだろう」という疑問をきっかけに、ジャズやらボサノバやらロックやらボカロやら、あらゆる音楽ジャンルを聴きあさりました。

 

ほかにインスピレーションを受けた音楽としては、ブルーハーツの「月の爆撃機」っていう曲があります。その曲の歌詞に「手掛かりになるのは薄い月光」っていう歌詞があるんですよね。それが本当に心に沁みちゃって。歌声にぶん殴られたような、勇気づけられたっていうか、「こう生きれたらいいな」と思った記憶があります。それがずっと印象に残ってます。

 

価値観同士が葛藤する時代に生きる私たち

 

Kawai

私たちelaboも、日本社会が多様性を尊重し合えるようになってほしいと願って活動をしています。私と下倉さんはともに世界的に社会正義に関心が高いとされるZ世代ですが、私の実感としては、少子高齢化で自分たち世代の人数が少なすぎて、活動していてもたまに虚しくなってしまうのも正直なところなんです。でも、「逆に斜陽国家だからこそ変えてやる!」と燃えることもあったりして(笑)。下倉さんはいかがですか?

下倉

まず、問題と向き合わなきゃって思っても、日本人の多くは向き合い方を教えてもらってないというところはあると思います。だからこそ、まず発信することって本当に大事だなって思って。一緒に考えてくれる誰かがいるだけで、全然違うじゃないですか。「燃える」って言ったけれど、それはいいことだと思うし、それでまた連鎖して燃える誰かがいるし、発信すればどんどん広がると思います。虚しさで終わらせないために頑張るべきだと思うし、「燃える」という気持ちには共感できます。でも同時に、「こうした方が良くなる!」っていうことがあっても、周りのみんな乗り気じゃないからやめておこうみたいな気持ちになっちゃうのも本当にわかるんです。そうやって影響受けているうちに、どんどん自分がなくなっちゃうんですよ。実際、自分もそういう人が周りにいすぎて変になっちゃった時期があるんですけど。

 

Kawai

今の時代、マジョリティとマイノリティだけではなく、世代間や近代化の程度によって、価値観の相違や葛藤があちこちで明らかになっていると思うんです。映画『アイヌモシㇼ』の中で描かれていた、小熊を神に捧げる儀式のイオマンテはその葛藤を象徴しているのかなと思っていて。イオマンテを残酷だと思う多数派とイオマンテに意義を見出す少数派の関係だけでなく、世代間や近代化の程度によってる価値観の相違によっても意見はすごく分かれると思うんですね。私たちが若者として生きている、この価値観による葛藤に溢れた時代を、下倉さんはどう捉えていますか。

 

下倉

時代とともに起こる価値観の変化自体は、良いことだとは思うんですよね。それこそLGBTQもそうですし、目を向けないとその問題自体に気が付かないじゃないですか。飼っていた熊を殺して空に送るという風習であるイオマンテだって、「クマがかわいそう」と「昔からの伝統だから」という価値観の対立を生む。だけど同じ動物の話で言ったら、殺処分の問題とか、ペットショップの問題とか、家畜の問題だってあるわけですよね。価値観の対立っていうのは、何か見過ごしていたものを改めて自分の中で考えるチャンスを作ってくれるので、今は考えるきっかけが増えている時代だと言えるのではないでしょうか。

 

でも、本当に難しい問題だとも思います。飼っていたクマのチビをイオマンテする(供養する)シーンの撮影で、初めてイオマンテについて考えたんですよね。正直わからなかったんです。「なんでこんなことをしてるんだろう」って。「悲しい」というよりも、「分からない」という気持ちが強くて。理解はしたいけど、「かわいそう」っていう気持ちももちろん生まれてくるし。理解する、判断するためには、まず知らないといけないじゃないですか。けれど、実際には知らないまま判断しようとすることって沢山あると思うんですよね。だからいったん落ち着いて、ちゃんと自分で考えるステップを踏む、表面だけで受け取らないで、理解した上で一緒に考えることをみんなできれば、価値観が対立する問題について、今よりもう少し良い話し合いができるんじゃないかなって思います。


Kawai


そのとおりですね。文化に現れている違いだけでなく、人間自体が多様な価値観を持っていて、それをお互いに完全に理解することはとても難しいです。ですが、諦めずにまず知ることから始めて、そこから理解まで繋げるところまでやることが大事なんじゃないかと、お話を聞いていて改めて思いました。価値観の対立が多く起こるこの時代でも、色々な形で活動している私たちの想いが、より多くの人に届くといいですね。ありがとうございました。

 

[2021年12月19日、Zoomにて]


★―― https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=431AC0000000016

   アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律 通称「アイヌ新法」。

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2022/01/17
インタビュイー |
下倉幹人
(しもくら・かんと)

11歳の時、映画バック・トゥ・ザ・フューチャーをきっかけにギターをはじめる。2017年、「GREEN Bou GRINBO」を結成、2021年解散。同2021年、GREEN Bou GRINBOドラムのomiとベースのダイチと共に「タデクイ」を結成。

経歴

2004 神奈川県生まれ。

2017 GREEN Bou GRINBO結成、2021、解散。

2020 映画アイヌモシㇼにて主演を務める。

2021 幼少期からの友人 平澤真臣、廣野大地と共に「タデクイ」を結成。

聞き手 |
Erie Kawai

2001年生まれ。国際バカロレア取得後、西オーストラリア大学に在籍し、政治とメディア学の同時専攻する。日々海外のメディアや大学の授業を通して、日本の視点との違い注目しながら社会問題を扱う。

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