この時代に空気階段が必要な理由――ポップとリアリティのはざまで
2021年「キングオブコント」決勝のファーストステージにて歴代最高得点を叩き出し、チャンピオンの座に上り詰めた空気階段。今年2~3月には完全新作単独ライブ「fart」が開催されることが決定している。
#空気階段
culture
2022/01/23
執筆者 |
木々海々
(ききかいかい)

大学2年。運動音痴だがスポ根漫画が好き。アイドルとヒーローとお笑いも好き。
2~2.5~3次元を反復横跳び中。

はじめに・私と空気階段の出会い

 

2021年「キングオブコント」決勝のファーストステージにて歴代最高得点を叩き出し、チャンピオンの座に上り詰めた空気階段。今年2~3月には完全新作単独ライブ「fart」が開催されることが決定している。

 

筆者は、2021年の初めに偶然見ていたテレビ番組でその存在を知った新参者の空気階段のファンではあるが、彼らが生み出すコントが持っている独創性に少しずつ惹かれていき、「キングオブコント」優勝の瞬間は大興奮そのものだった。それ以来、まるで「自分たちの作るコントは面白いぞ!」と言わんばかりの堂々とした面持ちで、自分たちの表現したい世界を板の上やテレビの向こう側で演じ続ける彼らから、すっかり目を離せなくなった。

 

もともと関西育ちの筆者は、家族にもお笑いをテレビで楽しむ人が多いため、お笑い芸人をテレビで見る回数自体は人並みよりは多い自覚はあったが、自分が空気階段に向ける熱量は、他の芸人に向けるそれとは明らかに違う。そのことに初めて気づいたのは、2020年の「キングオブコント」決勝でも披露されたネタである、「定時制高校」を見たときである。

 

 

このコントは、定時制高校に通う「アオイ(演:水川かたまり)」と「ハルト(演:鈴木もぐら)」の淡い恋模様を描いている。初めて見たときは、鈴木が演じるハルトの独特な喋り方、声の出し方を使った、いわゆる「出オチ」なのかと思った。しかし、このコントの主題はむしろ、授業中にこっそりハルトとメモのやり取りを使って会話している時や、好きな人が誰か尋ね、答えを知りたいけど知りたくないというシチュエーションであり、アオイの微妙な表情の変化を通して、「この人は本当にハルトが好きなんだな」と感じ、最後には「ああ、よかったな、良い物見たな」と甘酸っぱく安らかな気持ちに包まれた。

 

このような気持ちにさせてくれる空気階段のコントの根幹は何だろう?近年は、テレビなどのメディアでよく「優しい笑い」「誰も傷つけない表現」という言葉も耳にする。たしかに、「優しさ」という言葉を使ってまとめてしまうことは簡単だ。しかし、空気階段が表現する「笑い」は、単なる優しさだけではなく、他者を傷つけてしまう一方で他者に傷つけられざるを得ない私たちの現実を想起させるような、切なさや痛みに特徴がある。そのような危うい機微を、あくまでも「コント」として、ポップでライトな喜劇として提示しているのが空気階段のお笑いだと私は思う。

 

ミクロな痛みや弱さの肯定

 

こうした空気階段の魅力を、もう少し解像度を上げて、言葉にしてみよう。まず、人間が持っている「痛み」や「弱さ」を、明確に言葉にしないままに、演じるキャラクターの仕草などで間接的に肯定してくれる点が魅力的だ。この点に関しては水川が、「曇りもなく『自分はちゃんとしてるぞ』と言える人っていないんじゃないかと思う。ダメな人がダメなことしてるのをまったく理解できなかったら、たぶん僕たちのネタはウケないと思うんです。でも多少なりとも『なんとなくその気持ちわかるよ』っていうか、そこに共感があるから笑ってもらえているんじゃないかと。」★1と語っている。私自身、人とのコミュニケーションが苦手で、誰かと会話した後は、だいたい「あの時のあの表現は怒らせる言葉だったかもしれない」とか、「もっと婉曲した言い方の方がよかったかも」という考えが浮かび、一人で反省会を開くことになる。そのような自分にとって、空気階段のキャラクターは「ダメな所」を、本当に細やかな仕方で、それでもいいと包み込んでくれるような感じを与えてくれる。

 

少し言い換えるならば、空気階段のコントは、個人のミクロな痛みまで包み込んでくれる。そのような細やかな痛みへのアプローチは、「設定やキャラクターをステレオタイプ化しないで、ディティールにこだわる」ところに由来すると思う。この点に関しては鈴木が、「たとえばギャンブルに負けたおじさんをコントに出すときって『大負けして泣く』みたいなのをやりがちなんですけど、僕に言わせればそれはありえない。負けた後は『うなだれて帰宅する』よりも『さらに金借りて風俗行く』、これがリアルなんですよ。SMやギャンブルの世界にどっぷり浸かった人をこの目で見ているからには、そこで嘘はつけないです。」★2と、観察を基盤にリアリティを追求する姿勢について語っている。

 

ステレオタイプ化しない設定およびキャラクターで、痛みや弱さを肯定するという空気階段の特異性がわかりやすい仕方で表れているのが、コント「呪い」である。

 

 

このコントでは、姫(演;水川)と、かつて愛を誓い合ったものの呪いによって犬の姿に変えられてしまった王子・ジェフ(演;鈴木)が登場する。童話でよくある設定のパロディで、童話だと呪いが解けて美しい顔立ちの王子が現れ、幸せに暮らすハッピーエンド……で終わるわけだが、10年間の呪いが解けて現れたのは決して美男子とは言えないジェフの姿であった。ここまでは、「見る側の予想や期待を裏切って笑いを取る」という基本的なパターンのように思える。しかし、物語はそこで終わらない。このシーンの後のこのコントの流れは、以下のようなものだ。

 

ジェフの真実の姿がどんなものか想像しながら、呪いが解ける日を待ち続けていた姫は、大好きな人が元の人間の姿に戻れた喜びもありながらも、予想外のジェフの姿に思わず「違うから想像と……。ごめんね……。」と言いながら泣いてしまう。ジェフはそんな彼女に同情しつつ、「10年、犬の顎の構造で喋ってたから、まだ、人間の顎に慣れてなくて……でも、ちゃんと聞き取れるように、頑張るからさ……」と歩み寄る姿勢を見せる。そして「好きだよ……」と姫を抱きしめる。

 

「大きくなっちゃったね……。私がエサあげすぎちゃったからだよね。」と先ほどより慈しむような口調で見た目の変化について言う姫に、「出されたものを全部食ってた、俺も悪いからさ……」とジェフ。そして続けてジェフは、「笑っちゃうよね。呪いをかけられていた時よりも、呪いが解けてからの方が、辛い思いをするなんて……。でも、君のその戸惑いや、悲しみと言った呪いは、全部俺が解いてあげるからさ。だから、今日は、俺の胸で眠れ……。ゆっくり、ゆっくりね」と姫を慰め、姫が頷いてコントは終焉する。

 

この内容を「優しさ」と総括したくもなってしまうが、それだけで括れないものがこのコントにはあると思う。まず姫が、期待を裏切るジェフの姿に驚き戸惑って、「違うから想像と……。ごめんね……」と言う台詞には、ジェフを傷つけてしまうとわかっていてもショックや悲しみを隠せないという矛盾した感情や、大好きな人であってもすぐに全部を受け止めきれない残酷さが表れている。しかし、ジェフはそんな姫に「ちゃんと聞き取れるように頑張る」「出されたものを全部食ってた俺も悪い」と歩み寄る。そして、極めつけは「笑っちゃうよね。呪いをかけられていた時よりも、呪いが解けてからの方が、辛い思いをするなんて……」という台詞だろう。動画内で一番大きな笑いを取っているこの台詞は、観客の違和感を鋭く言語化する笑いのパンチラインであると同時に、リアリティがファンタジーのステレオタイプからはみ出すというこのコントの仕掛けを端的に表している。

 

さらに、空気階段は、自らが観察した他者だけではなく、自分自身の経験をコントに使うという手法も使っている。たとえば、第4回単独ライブ「anna」で披露された「noriko」というコントでは、プロポーズという劇的なシーンを描いているが、そのオチは、「11か月後に離婚する」というものであった。「めちゃくちゃ離婚したんだけど!はえー!!新婚生活のまま離婚したんだけど!!いやー、まあ……こんな人生もあるよね!!」という台詞で幕を下ろす。このネタは、水川が2020年1月に結婚し、同年12月に離婚したというエピソードに由来するものである。傍から見れば、かつては愛し合っていた二人が離婚を選ぶという状況はとてもシリアスで悲しいものだ。しかし、それを当の本人が笑いで包み込んでいる。こうしたネタを見ていると、どれだけ辛いことがあってもいつか笑い話にできる日、愛おしく思える日が来ると思えてくる。

 

時間・環境を超えたつながり

 

もう一点、空気階段のコント独特の魅力だと私が思うのは、時間・環境を超えて人々が緩やかに繋がっている状況設定である。この特徴は、テレビやショーレース向けのコントより、単独ライブを通して見る方がわかりやすい。特に2019年の第3回単独ライブ「baby」、2021年の第4回単独ライブ「anna」に、それぞれ特筆すべきことがある。それは、「一見バラバラの独立した物語のように見えるが、最初から最後まで通して見ると、最後に全部のコントにつながりがあることが判明する」構成である。それも、単に登場人物や時空間が重なっているだけではなく、個々のエピソードを連続して観ることで「最後のコントに登場する設定やキャラクターがより一層彩られていく」効果があるのだ。

 

まず、「baby」についてであるが、このライブの最後のコント・表題作でもある「baby」は、次のような内容である。

 

 

物語は、アキラという一人の青年(演:水川)が、浜辺で貝殻を拾っているおじさん(演:鈴木)と出会うところから始まる。話を聞いたところ、おじさんはこの辺りに落ちている「声を録音する性質」を持つ貝を拾い集めて厚生労働省に引き取ってもらう仕事をしているのだと言う。会話をして打ち解けた青年は、浜辺にやってきた理由を話し始めた。彼はここが地元で、ミュージシャンになりたくて上京したものの夢破れて地元に戻ってきたという。

 

「実は最近結婚して、プロポーズもここでしたんです。もうすぐ娘も生まれるんです。」

「でも、何か不安で。僕の両親、僕が生まれてすぐ死んじゃって、身寄りもないから児童養護施設で育ったんです。」

「親に育てられた記憶がないから、自分がちゃんといい父親になれるのかなって。」

 

そこで、おじさんは、浜辺でプロポーズしたのなら、その時の会話を記録した貝殻も落ちているかもしれないと思い、青年と一緒にその貝殻を探すことにした。しばらくして貝殻は見つかったかと思いきや、一番肝心なプロポーズの言葉がおじさんの声でかき消されてしまっていた。落ち込む彼に、おじさんは励ましとして一つの貝の声を聴かせる。それは、一組の夫婦が赤ちゃんを囲んで微笑ましい会話をしていると、突然一輪車に乗ったおじさんが現れ、赤ちゃんを秋田犬に間違えられるというものだった。その会話は、同ライブ内のコント「みえーる君β・改」で青年が見た走馬灯と同じ光景であり、青年は、会話している夫婦の正体は自分の両親だったと悟る。その後も夫婦の赤ちゃんを想うやり取りは続き、親についての記憶を持たない自分も、両親から深い愛情を注がれてきたのだと青年は知ることになる。

 

ライブ「baby」内で披露されたコントを通しで見ると、話の中にちりばめられた情報から、アキラはコント「特急うみかぜ19:55 東京行」で描かれたように、高校卒業直後、上京する日に、同級生の今井さんと恋人になったこと、その今井さんと結婚したこと、コント「関健~夏祭り大乱舞篇~」で描かれた、小学生時代に出会った、異世界からやってきた不思議なおじさん・関健に、赤ちゃんの頃既に出会っていたことなどが浮かび上がってくる。また、貝を拾って厚生労働省に引き取ってもらっているおじさんはコント「みどり屋」に登場した、けがで引退した元プロ野球選手・遠藤であることも明らかになる。それまで交わらなかったが間接的に繋がっていた青年・アキラとおじさん・遠藤の人生が一同に交わる交差点が、表題作「baby」になっているのだ。

 

非現実的な状況設定も多いライブ「baby」のコントだが、その全体を観ると、アキラと遠藤、アキラとアキラの両親がそうであるように、今まで私たちが出会ってきた人々にも、出会うまでそれぞれの人生があり、偶然にもつながりを持てたことに対する不思議さに思いをはせずにはいられない。そうした意味で、空気階段のコントには現実への訴求性がある。

 

また、ライブ「anna」の最後のコント、表題作「anna」も人間同士の繋がりを繊細に描写しており印象的だ。これは一つのラジオを巡る、リスナー同士の物語である。まず中心になっている二人の登場人物は、「チャールズ雅のこの時代この国に俺が生きてるからって勝手に勇気もらってるんじゃないよラジオ(略:勇気ラジオ)」を聴いていることがきっかけで仲良くなるシマダ(演:水川)とヤマザキ(演:鈴木)だ。はじめはただのクラスメイトだったが、偶然にも共通点を見つけた二人はだんだんと仲良くなっていき、同時期に「勇気ラジオ」にラジオネーム「水曜日からの使者」の恋愛相談メールが届くようになる。ヤマザキは高校の卒業式で告白しようとするも、コント「Q」にも登場した謎の集団がいきなり現れ、音楽とダンスが突然始まり、その場の空気はうやむやになってしまう。そうして二人が会わないまま、10年の月日が経った。シマダは喫茶店を開き、ヤマザキはタクシー運転手になり、それぞれの夢を叶えていた。ずっと「勇気ラジオ」を聴き続けていた二人は、「喫茶店の店主と客」として、新たな関係を紡いでいく。そんなある日、「勇気ラジオ」が最終回を迎え、その最終回を二人はヤマザキが運転するタクシーで聴いていた。最終回では、ラジオネーム「水曜日からの使者」が、10年越しに恋愛相談の続きを送っていた。「水曜日からの使者」の正体は、男子高校生のふりをしていたシマダである。ヤマザキに公開告白をする直前で、サイバー犯罪者「SD」によって電波が乗っ取られてしまう。しかし、2人の想いは、ラジオを介さなくても伝わっていたことが明らかにになり、10年越しに2人は好意を確かめ合い、物語はハッピーエンドで幕を閉じる。

 

この中心となる二人の周囲には、ラジオ番組を介した無数のつながりがある。「勇気ラジオ」のリスナーは、シマダとヤマザキだけではない。コント「27歳」に登場する元アーティスト・フルサワタロウや、コント「コインランドリー」に登場する、「心の洗濯」のために洗濯機で自らを洗う男もリスナーである。彼らはシマダやヤマザキの人生に直接交わる存在ではないものの、ラジオを聴いている間は、たしかに同じ時間を共有している。

 

この「anna」というライブを作るにあたって、水川は「やはり、第一に考えているのは『笑えるか』なので、何かメッセージを伝えようって考えながらネタやライブをつくっていくってことはないんです。」としながらも、鈴木は「そうですね。ただ、本当に漠然となんですけど、『ひとりじゃない』っていうのは、今回のライブで1つのテーマになっていたと思います。」と述べている。続いて水川は「今回はラジオがテーマで、全体を通してラジオがストーリーをつないでいる部分があるんですけど、ラジオ以外でも本だったり映画だったり、音楽だったり、何かを通して人間関係ができることって誰しもあることだと思います。そこを身近に感じて、楽しんでもらえたらうれしいですね」と語り、鈴木は「人間、何か一つでも好きなものがあるだけで、それはもう孤独じゃないっていうことですからね。例えば、寿司がめっちゃ好きだけど友達が1人もいないとしても、寿司が好きな人は世の中にたくさんいるし、その時点で孤独じゃない。だから、まだ出会っていないだけで、分かり合える人はどこかにいるよっていう」と語っている。

 

誰しも、他者とのつながりを求めずにはいられないのに、人間関係を作ってくれるはずのSNSに苦しめられている現代の社会である。そんな社会を生きる私たちだからこそ、空気階段の表現する「他者とのつながり」は、より切実さを持つのではないだろうか。特に、「anna」で描かれる、好きなものを介して、知らないうちに誰かとつながっていく世界は、現実の孤独や閉塞感に寄り添ってくれる力があるだろう。

 

この時代に空気階段が必要だ

 

昨今、過剰なまでに「他者を傷つけないやさしさ」や「矛盾しない言動の一貫性」を求める言説が飛び交い、社会が不寛容になっている気さえする。そのような社会を共に生きるなかで、空気階段は、誰かを傷つける一方で誰かに傷つけられる現実や、どうにも相反する人間の気持ちなど、およそ清廉潔白とは言えない私たちの生を、ステレオタイプに依存せず、ポップな笑いに包んで表現し続ける。矛盾だらけでも、人間同士が確実に繋がっていくことができることを示す空気階段のコントは、確実に今を生きる私たちが求めているものだ。

★1、2――太田出版「芸人雑誌volume4」(2021)より引用

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木々海々
(ききかいかい)

大学2年。運動音痴だがスポ根漫画が好き。アイドルとヒーローとお笑いも好き。
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