ハリー・ポッターに見る自由の問題
1997年に第1作『ハリー・ポッターと賢者の石』が発表されて以来、J.K.ローリングによる『ハリー・ポッター』シリーズは小説、映画ともに世界中で愛されてきた。昨年末には 1920 年代の魔法界を舞台とする『ファンタスティックビースト』シリーズの第 3 弾の予告映像 も封切された。
#ハリーポッター
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2022/02/04
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(まれ)

21歳。物語を読むことが好きで、結果としてこの世界の時事や政治から小説、アニメまでを物語として読もうとしている。物語を読むときはキャラクターに注目して読むタイプ。ステレオタイプが好きだが、それに飲み込まれたくない複雑な人間。

世界は今も魔法に魅せられている

1997年に第1作『ハリー・ポッターと賢者の石』が発表されて以来、J.K.ローリングによる『ハリー・ポッター』シリーズは小説、映画ともに世界中で愛されてきた。昨年末には 1920 年代の魔法界を舞台とする『ファンタスティックビースト』シリーズの第 3 弾の予告映像 も封切された。4 月 8 日には、第 3 弾『ファンタスティックビーストとダンブルドアの秘密』が公開される。しかも、今夏には日本人キャストによる『ハリー・ポッターと呪いの子』 の舞台公演も発表された。『賢者の石』発売から 25 年を経てなおローリングが生み出し続ける「魔法界」に日本はもとより、世界中が夢中になっている。

『ハリー・ポッター』シリーズ(以下、『ハリー・ポッター』)が人気な理由には、ロマンティックな情緒あふれるホグワーツの風景やクィディッチといった架空のスポーツなど様々ある。そして何より現実世界とゆるやかにリンクした世界観もその一つだろう。

例えば、ハリーが初めて魔法界に足を踏み入れるのは、ロンドンの路地裏から繋がるダイアゴン横丁であり、ホグワーツへの旅立ちはいつも、実在するキングス・クロス駅である。ま た、歴史という視点では、ハリーの恩師ダンブルドア校長が闇の魔法使いグリンデルバルド に勝利したのが1945年という、第二次世界大戦集結を示唆する年として設定されている。

このようにローリングの描く「魔法界」は、わたしたちが住む現実世界の垣根が低く設定されていることで、 読者をときめかせている。この二つの世界の垣根の低さは、同時にわたしたちの住む現実世界が魔法界に投影されているということでもあるだろう。

「ファンタビ」の4人組と自由

今春公開の『ファンタスティックビーストとダンブルドアの秘密』では前二作に引き続き、人見知りの魔法生物学者ニュート・スキャマンダー、アメリカの闇祓いティナ・ゴールドスタイン、ティナの妹にあたるクィニー、クィニーと交際するマグルのジェイコブら4人組がストーリーの中心にあり、そこにニュートの理解者アルバス・ダンブルドア、そのライバルである闇の魔法使いゲラート・グリンデルバルドらが絡んでいくことになるだろう。

すっかりおなじみになったニュートとゴールドスタイン姉妹、ジェイコブの四人組だが、ここには一つの共通点がある。それは「自由」を求めているという点だ。 「自由」という言葉を手掛かりに「ファンタビ」のメインキャラクターを見てみよう。 ニュートは学校や魔法省といった枠に収まらない問題児であり、ティナは闇祓いとは思えぬ規則破りである。また、クィニーは法律に縛られない結婚の自由を望み、ジェイコブはマグルでありながら魔法使いたちと行動する偏見の無さ、自由を見せる。

自由という観点で見れば、特に主人公ニュート・スキャマンダーは、ハリー・ポッターよりも自由な人間だと言えるだろう。境遇という意味では、ニュートはハリーのように学生ではなく、ヴ ォルデモート卿に命を狙われているわけではない。彼は魔法省に勤めるわけでもなく、気ままに 魔法生物の調査を繰り返している。また、第2作の冒頭では、魔法省への入省命令と引き換えに出国禁止を解くという申し出を蹴るほど、魔法省への忠誠を拒絶する人物だ。そして、そのニュートが唯一従うのは、魔法省と折り合いが悪いダンブルドアというのも示唆的である。

ファンタビの「4人組」の中でも、最も自由なのはクィニーだろう。しかし、彼女が実現しようとする自由は魔法省との関係に大きく影響されている。

「魔法省からの自由を!」

実は『ハリー・ポッター』と『ファンタスティックビースト』の両シリーズに共通するのは、多くの登場人物が魔法省(=政府)からの干渉を嫌うという傾向だ。

「闇の帝王」ことヴォルデモート卿とその追従者たちが、反政府主義者として、魔法界の政府である魔法省を敵視していることは当然だ。しかし、ある意味では意外にも『死の秘宝』でヴォルデモート卿の勢力は、魔法省を利用して間接的な恐怖政治を英国魔法界に敷く。傀儡の大臣を据え、ダンブルドアとハリーをテロリストに逆指名するのだ。さらにアンブリッジのような闇の魔法に親和性の高い官僚を懐柔し、マグル生まれの魔法使いを弾圧した。「マグルとそれに忖度する政府に抑圧された」と主張する反政府主義者が政府を牛耳るというヴォルデモートの支配体制は、どこかナチス・ドイツを思わせる(実際、ナチスはミュンヘン蜂起で反体制派だったが、その後、政権を取った)。

では、ヴォルデモートが魔法省を牛耳ったからハリーたちが魔法省に反発するという図式になるのかというと、そうではない。むしろ、ハリーとその周辺の人物はそれ以前から魔法省に一貫して非好意的だ。例えば、ハリーが慕うハグリッドは『賢者の石』の冒頭で魔法大臣コーネリウス・ファッジを非難する★1。それくらいならかわいいものだが、ハリーが 5 年生の時、ダンブルドア校長とホグワーツの教員たちは、徹底的に反アンブリッジ、ひいてはアンブリッジを派遣した魔法省への抵抗を貫く。それは教育に自由を求めたからだとも説明できるし、おそらく本人たちはそう思っている。しかし、神秘部の戦い直後、魔法省の職員がヴォルデモートを目撃するという衝撃的な事件と共にファッジ政権が崩壊したこと★2を考慮すると、このホグワーツの反魔法省の方針は、結果的にダンブルドアによる政敵ファッジの排除だったとも解釈できるのだ。

このようなダンブルドアの魔法省に対する態度はハリーに受けつがれ、彼は『謎のプリンス』ではファッジの後任であるスクリムジョール大臣と衝突し、『死の秘宝』では分霊箱(ホークラックス)を奪取するために魔法省を撹乱する。権威など知ったことではないというわけだ。

同様の騒ぎは「ファンタビ」の第2作で繰り返される。ニュートとティナがフランス魔法省に保管された文書を手に入れるために、巨大な魔法生物をフランス魔法省で暴れさせる場面だ[3]。アメリカ魔法省の公務員ティナがこのようなことをやるのも問題だが、この騒動は政府の権威に対する挑戦を示しているように見える。その直後、ニュートと敵対するグリンデルバルドもまた英国の闇祓いを挑発し、闇祓い、ひいては魔法省を「抑圧者」「圧制者」として支持者に 印象付ける。グリンデルバルドは、魔法省を、魔法使いの利益ではなくマグルの利益を重視する抑圧者だと考えているように見える。

さらに魔法省と個人の関係で見ると、クィニーも無視するわけにはいかない。姉のティナと同じくアメリカの魔法省(魔法議会)に勤務するクィニーは、ティナが偶発的に連れ帰ることになったニュートとジェイコブ(マグル/ノーマジ)との出会いを通して、ノーマジであるジェイコブに恋をする。しかし、アメリカ魔法界では魔法使いとノーマジの結婚はラパポート法という法律により禁止されている。その結果、ジェイコブと結婚したいクィニーは「マグルと結婚する自由」をささやくグリンデルバルドの陣営を支持するようになってしまう。

このように見ると、『ハリー・ポッター』の初期では、ハリーら主人公たちが魔法省に「批判的」な程度だったのが、『不死鳥の騎士団』以降、彼らの魔法省への不服従は加速していくようだ。時系列ではなく作品の順番で言えば、この傾向は新しいものほど強まっている。つまりファンタビの『黒の魔法使いの誕生』に至って、主人公もその敵対者もろとも魔法省への不服従を展開するのである。

自由を求める彼らは自由を与えているのか?

ハリーもニュートもその仲間も政府からの自由を求めている。 では、自分自身の自由を求める彼らは、他者の自由に関心を持っているのだろうか?

『ハリー・ポッター』シリーズで「自由」という言葉と最も結びついたキャラクターはハウスエルフ(屋敷しもべ妖精)のドビーだ。純血のマルフォイ家に仕えるドビーは、秘密の部屋の陰謀をハリーに伝えたり、死喰い人の手からハリーたちを救い出したりと活躍する。 しかしながら、彼は要所で現れるものの、内心の描写も生い立ちの紹介もされない。ただ、 「自由を求める、一風変わったハウスエルフ★4」として描写されている。また、ハリーたちも、 しもべ妖精解放運動に燃えるハーマイオニー以外、ハウスエルフの隷従を肯定している。

そもそも魔法界の構造(少なくとも英国魔法界では)は差別的で、自由が制限されたものだ。基本的に魔法使いは特権階級として認識されていて、マグル生まれの魔法使い、魔法生物、(時には半純血の魔法使い)には制限が課されている。魔法省におけるコネクションから結婚、 職業、場合によっては杖の使用の有無★5Ⅴに至るまでその制限は幅広い。また、魔法使いの中にも階級があり、 マグル生まれか、純血(または半純血)出身かは資産に直結する。マグル界からやってきた人間であっても、ハリーには親から受け継いだ財産がグリンゴッツ銀行の金庫にあるが、ハーマイオニーはマグルの両親が出したポンド紙幣をガリオン金貨に両替するしかない。また、出自の差は就職にも影響する。後にヴォルデモート卿になるトム・リドルは、頭脳明晰であったが魔法省に入省せずに裏路地の雑貨商に就職した。何らかの野心を隠すためとも取れるが、固定された序列に割り込めなかったとも解釈できる。それを裏付けるようにリドルは後にヴォルデモート“卿”(Lord)と名乗り、貴族的な純血家系へのコンプレックスを露呈する。また、作品の中で起きるいじめや差別の被害者も多くはマグル生まれや半純血である。 陰湿ないじめに遭い女子トイレで泣いていたために落命した“嘆きのマートル”、純血の二人組にパンツを下ろされるセブルス・スネイプ、純血の御曹司たちから「穢れた血」と侮辱されるハーマイオニーを思い出していただきたい。

このように英国魔法界は基本的に能力重視ではなく、前近代的な血統重視の社会である。 それゆえに純血の中の序列、半純血の中の格差(半純血はホグワーツ入学以前の生活拠点が魔法界かマグル界かで大きく左右される)、マグル生まれの魔法使いや魔法生物への差別が歴然と存在している。こうした社会構造に対し、果たして主人公たちはどのような姿勢を取るのか。

『ハリー・ポッター』シリーズの場合、ハリーとロンは社会構造の恩恵を被る立場にある。すなわち、彼らは純血または伝説的な人物に連なる家系に属し、それなりの資産を有している。しかし、ハーマイオニーは魔法界で有利に働くバックグラウンドは一切持たない歯科医の娘であり、やはり社会的平等を目指すのはハーマイオニーなのである。彼女は「穢れた血」と呼ばれるマグル生まれであることを拒否し、一人の魔法使いであろうとする。また、無給で労働するハウスエルフたちを解放するために「屋敷しもべ妖精福祉振興協会」という活動も展開する。魔法省という権力に対しても、ハーマイオニーは、アンブリッジへの不服従を貫いて自由を求める。その姿勢は、 結婚の自由を手にするために反政府主義者グリンデルバルドに加担するクィニーとどこか似ている。しかしながら、ハーマイオニーもクィニーも魔法使いであることが、ある種の特権階級への帰属だという自覚は見られない。

 

自由を求めることが自由を破壊する時

ハーマイオニーもクィニーも実力行使や抑圧に加担することには無自覚だ。J. K. ローリングがフォーカスをあてるキャラクターたちは基本的に魔法使いであり、魔法という特殊能力による特権的な地位を持っている。そのステイタスを持ちながら、彼ら、彼女らは他者を犠牲にすることを厭わずさらなる自由を求めるのである。クィニーの場合、それはマグルに対する暴力の是認であり、ハーマイオニーの場合は魔法生物や他者に対する抑圧や暴力の是認である。

ハーマイオニーがアンブリッジを禁じられた森へおびき出すとき、アンブリッジに実際の危害を加えるのは半巨人のグロウプと「半人半馬」という侮蔑を憎むケンタウロスである。また、ハリーを中心とした防衛術の訓練「ダンブルドア軍団」は魔法省官僚の娘マリエッタ・エッジコムの密告によって露見するが、母の上司であるアンブリッジに逆らうことのできないマリエッタに、ハーマイオニーは呪いにより「裏切り者」という文字を顔に、しかもデキモノによって刻む。しかも、ハリーまで この件で加害者であるハーマイオニーをマリエッタの友人であるチョウ・チャンから庇うのも印象的だ。この『不死鳥の騎士団』のエピソードは、自由を求める主人公たちが加害者となっていく契機になっているように読める。この後、グリンゴッツ破り[6]やホグワーツの戦い、「呪いの子」のタイムターナー騒動★7の度に、あるいは作品として後に位置づけられるファンタビのグリンデルバルドの行動に「自由」を求める人々が、結果的に構造的な弱者に対する加害者となるシーンが印象的に現れるようになる。 言い換えるならば、「自由」を求めることが社会的弱者、あるいは構造的に下位に位置付けられた人々、生物たちへの加害に繋がっていく。自由を求める心が自由や平等を破壊することに帰結するのだ。

おわりに

J. K.ローリングが描く登場人物たちはハリーたちも、ヴォルデモートたちも、グリンデルバルドたちも、ニュートたちも、一様に自由を求める。しかし、それは社会構造の否定でありながらも既存の社会構造における弱者の救済ではない。彼らは特権階級でありながら、自身を抑圧された者としてのみ捉え、限りない自由を求めるのである。そこには、肥大した自由への渇望が見て取れる。

以上では、女性であるハーマイオニーやクィニーの自由を求める行動が加害性を持つことを示した。しかし、このパターンは女性のみに該当するわけではなく、むしろ大半の主要登場人物に当てはめられることである。つまりこの傾向は、セブルス・スネイプへのいじめ加害者であるジェームズやシリウス、ヴォルデモートを捕らえるためにハリーを利用しているようにも見えるダンブルドア、オブスキュラスを暴走させてマグルを殺すクリーデンス、目的のためにマグルの一家を抹殺するグリンデルバルドなど性別や立場に関わらず多くの登場人物に通底するものなのだ。

「自分以外の弱者の抑圧に無自覚な自由主義者」という以上のキャラクター分析は、ここ数年におけるローリングに対する批判と重なる部分もある。しかし、彼女の作品を全てその図式に還元することは早計だろう。この考察を通して明らかになったキャラクターたちの自由への渇望とその結果としての加害者性は、不完全な人間の集団である現実世界の投影であり、作品とキャラクターたちにより深みを与えているのは間違いがない。


★1――賢者の石、第 5 章「ダイアゴン横丁」

★2――ファッジの辞職は世論による辞任要求の大合唱が原因だが(謎のプリンス、1 章)、それ自体は世論に大きく影響するダンブルドア(ウィゼンガモット主席魔法戦士に復帰)が打ち消すことも可能だったのではないか。そうみると、神秘部の戦いはダンブルドアによる 政敵ファッジの排除とも解釈できる。

★3――その光景はグリンゴッツ銀行でドラゴンを暴れさせたハリーたちトリオを彷彿とさせる。

★4――通常、ハウスエルフは無給で働き、滅私奉公を誇りとしている(炎のゴブレット)。また、シリウスの実家であるブラック家では、茶盆が運べないほど置いたハウスエルフはギロチンにかけるという伝統すらあった(不死鳥の騎士団)。

★5―― ハウスエルフ、ゴブリンなどの魔法生物は杖の使用が禁じられており、「死の秘宝」では マグル生まれの魔法使いは「魔法族から暴力的に魔力を奪った」というナンセンスな理論 で投獄され、当然、杖も没収された。

★6――ハリーたち 3 人組が分霊箱をグリンゴッツにあるレストレンジ家の金庫から強奪したこ とにより、グリンゴッツの職員であるゴブリンの多くがヴォルデモートに惨殺される。圧 制からの解放のための行動が、結果的に社会構造的な弱者にしわ寄せを生む例である。

★7――『呪いの子』における加害者であるデルフィーニは、一方でヴォルデモートとベラトリックス・レストレンジの子どもであるというだけで適切な教育を受けられなかった被害者でもある。

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2022/02/04
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21歳。物語を読むことが好きで、結果としてこの世界の時事や政治から小説、アニメまでを物語として読もうとしている。物語を読むときはキャラクターに注目して読むタイプ。ステレオタイプが好きだが、それに飲み込まれたくない複雑な人間。

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