思春期終了後のオタク必見「私ときどきレッサーパンダ」:徹底した自己中心性から東アジア的な主体化の道を切り開け
ピクサー的な期待を外している点にこそ、現代的な共感ポイントがあると言えそうですよね。ピクサー・ディズニーのフォーマットを裏切る東アジア的なドラマがちゃんと「新しい」ということが嬉しいです。
#私ときどきレッサーパンダ #TurningRed #PIXAR
culture
2022/03/29
座談 |
柳澤田実、眞鍋ヨセフ、みっさん、真嶋要

 男性でも他人事とは思えない東アジア的な母子関係

 

柳澤:今日はアメリカ本国では公開と同時に論争が巻き起こったピクサー・ディズニーの新作「私ときどきレッサーパンダ(原題:Turning Red)」について座談会をしたいと思います。アメリカでは、ジェンダー、世代、人種、オタクかオタクでないかによってこの作品の受け取り方が随分違うという所から論争になっているということもあり、ぜひ東アジアに住む男女混淆のメンバーで、しかも自らをオタクと自認する方々を交えて議論したいと思いました。何が論争になっているか、そのトピックを最初に挙げてしまうよりは、率直に感想を話し合うところから始めた方が楽しいかなと思うのですが、みっさんはこの作品、どう思いましたか?

 

みっさん:主人公が過去の自分のように思えて、途中でイヤホンを外したくなりました(笑)。画面から目を逸らしていたところもありましたね。

 

柳澤:男性のみっさんが自分自身の経験と重ね合わせるようにこの作品を受け取ったというのは面白いですね。というのも、データをご覧いただけると分かるのですが、アメリカだとこの映画の評価には、明確にジェンダー差が出ています。

(2022/03/29閲覧)

 

ご覧の通り、女性の評価が高くて男性が低い、しかも歳をとるほどその差が開いていくというような現象が見て取れます。また、特に男性のアニメファンを怒らせているという報告もあるようで。

 

 

それを踏まえたうえで、自称アニメ好きで男性のみっさんが我がことのようにこれを見たというのは、凄く面白いです。自分のことのように思えたというのは、もう少し具体的に言うとどんな感じなんでしょうか?

 

みっさん:僕は、主人公のメイと似ているんですよね。中学校の時、彼女のような感じでした。

 

真嶋:メイもちょうど13歳という設定ですよね。

 

みっさん:そうなんです。なのでびっくりしましたね。自立心がこんなにも早く芽生えているのかというのが衝撃的だったのと、自分も彼女と近い道を辿ってきた感じなので、他人事のように思えなかったですね。特に親との関係がポイントなんだろうと思います。結構似たような感じなので。

 

柳澤:家族関係もとても東アジア的で、そこでの子供の置かれ方とかがリアルですよね。

 

みっさん:リアルだと思います。映画のシーンでお母さんとメイが対立する場面がありましたが。自分も同じようなことがあり、正直言うと家出もしたことがあるので、余計に人ごととして観られないというのはありましたね。自分も小さい頃はアニメゲームとか結構好きだったんですけど、親にやめとけと言われて、支配されているように感じていました。映画の後半でメイが自分の道を進んでいる姿に自分を投影して、激しく感情移入しました。

 

柳澤:数年前にアカデミー賞をとった短編作品「Bao」で撮っていたものは男の子の話ですがテーマとしては重なっていて、どちらも母が強くて、子を飲み込んでしまうような母子関係が中心にありました。

 

 

私はこの作品を観てから監督のドミー・シーさんに興味を持ち、すでに幾つかインタビューも読んでしまったのですが、彼女自身も東アジア的な家族のあり方、特に母子関係と格闘してきたようです。例えばドミーさんも自分の母親に「あなたがまたお母さんのお腹の中に入れたらいいのにねえ」みたいなことを言われていたようで、もちろんお母さんのことは好きなんだけど、同時にそれがすごく気持ち悪いみたいなところの感覚があったそうなんですね。その感覚を作品を通して見直したみたいな経緯があるそうです

 

日本では「推し活してる女の子を映画化した」みたいな感じでわりと取り上げられている印象もあるのですが、やはり家族とその中での子供の成長が監督にとって中心テーマなんですよね。繰り返しになりますが、みっさんはそうした家族関係を前提とした場合に、ジェンダー差みたいなのはあんまり気になりませんでした?

 

みっさん:私は全然気にならなかったですね。主人公と推しの対象は異なりますが、家族のなかでの子供の境遇の置かれ方は多分男女関係ないんじゃないかなって。

 

眞鍋:基本的に僕はディズニー映画をあまり見ないんですけど、この作品については、すごく面白くて作品として違和感なく観ることができました。そのことに少し驚いてもいます。みっさん同様、僕にとってもやはりテーマとして大きく迫ってきたのは「推し活」以上に東アジア的な家族像でした。母親の強さと、意図的に父親の存在感がすごく薄められていると思うんですけど、実際の家族だったら父性的なもののバックラッシュというか、前提として男性からの抑圧があって、お母さんが子供をさらに抑圧するみたいな構図もあると思うんです。この抑圧構造をきれいに描ききって、さらに和解までさせることができるのは、やっぱりアニメならではっていうか、作品としてすごいうまいなと思いましたね。あとは生理のことを描写してるということでも、アメリカでは批判があったと思うんです。

 

柳澤:そうですね。

 

生理も「推し活」も陰湿さがなく爽快

 

眞鍋:それを考えると、うまく昇華させたというか、赤いレッサーパンダにしてもめちゃくちゃ上手い例えというか。しかも、これが閉ざされた話だったら、気持ち悪いファンタジーなんですけど、色々な人が関わる開かれた話になっていることと、監督自身の人生の振り返りがあることで、ものすごく軽やかになっているし、うまいなって思いました。

 

柳澤:おっしゃるとおりで、生理をポピュラーなアニメ作品で描いたということも賛否両論を引き起こしたようですね。この点については、私も真鍋くんと同じで、よくこんな笑えるものにできたなとただただ感心したんですよね。一抹も痛々しさがないし、笑えるし、爽やか。アメリカだとこの作品へのネガティブな批判には、東アジア系への無理解と言う意味での人種的なものと生理への嫌悪も含めたミソジニックなものがあって、その批判がすでに批判されている状況のようですが、実際に東アジアの中に生きている私たちからすると、男性であってもほとんど不快感がないということなんでしょうかね。

 

みっさん:正直、そうですね。

 

柳澤:IMdbのデータで男性のしかも年長者の評価が低いってことは、もしかしたら白人父権社会的な価値観・家族観に基づく反応なのかもしれないですね。いい悪いではなく、東アジア的な家庭内での一見した父権の弱さの意味が理解できないと言うことから来る。女性の真嶋さんはいかがですか?

 

真嶋:テーマがいくつかあるかなと思っていて、第一に、すでに話題になっているような、アジア的な家族の話があって、第二に、生理をはじめとした性の話があって、エッセンスとテーマの中間くらいに第三の要素として推し活みたいなのが来るかなと思うんですね。家族の話に関しては、皆さんが言っていることに私も共感していますし、日本でも本当によくある家族だと思います。「お母さんが強くて子供を抑圧しているけど、それは実はお母さんがそのお母さんから受けてきた抑圧の再生産である」というような構図はよく見ますし、自分の経験としても共感したところはあります。生理の話に関しては、「初めて生理がきたら赤飯を炊いてお祝いする」みたいな風習が日本にもあるじゃないですか。

 

みっさん:聞いたことはあります。

 

真嶋:そういう風習って今も家庭や地域によってはあるらしくて。そういう風習の気持ち悪さを上手く表しているような気がしました。親戚が寄ってたかって、儀式のために一方的に盛り上がっていて主人公の意思は尊重されない感じです。

 

あと、推し活の話はメインじゃないなとは思いながらも、今までもアイドルが大好きな女の子みたいなのを描いたドラマだったり、アニメだったりって多分山ほどあったとは思うんですけど、それと決定的に違うのは、思春期のオタクの痛々しさ、気持ち悪さみたいなものを残しながらかわいく描いているところではないかと思って。美化はされてないんですけど、かわいいんですよね。ちゃんと気持ち悪いんですけど(笑)。それがすごい画期的だなと思いました。

 

眞鍋:エンディングシーンでカラオケに行くってなった時にパンダから人間に戻るシーンがあるじゃないですか。あの時にケモ耳とか尻尾を出すみたいな描写がありました。ちょっと昔からあるような、動物と少女をミックスさせたような描写なのに、自分のように萌え絵が苦手な人間にとってもあんまり気持ち悪さを感じないっていうか。違和感なく見られたのが自分の中でちょっと驚きでしたね。

 

真嶋:そのケモ耳描写も関係すると思うんですが、様々な表現に表れた日本のアニメの昇華のされ方にも感心させられるんですよね。「萌え」じゃなくて健康な感じに寄せているところが好感度高いんです。ケモ耳みたいな典型的な表現もかわいく使っていたり、あのコミカルな顔の中にキラ目を入れてくるとか、相当考え抜かれていると思うんです。

 

柳澤:ピクサーの典型的な表現と相当違うことをやっているというのは日本のアニメーターの細田守さんとの対談でも指摘されていました。

 

 

監督のドミーさんは「らんま1/2」とか「セーラームーン」とか「フルーツバスケット」などの日本のアニメから色々な要素を取り入れているようなんです(https://www.thrillist.com/entertainment/nation/domee-shi-interview-turning-red-inspirations)。彼女は、日本のアニメで描かれている、人間と動物が瞬時に変身したり、変身する時に周囲に可愛いモクモクしたものがふわっと舞うような、あの感じを取り入れたかったんですって。眞鍋くんが言った通り、私たちが見てきた日本のアニメの表現が、いやらしい感じがなく女性でもカワイイって思える形に昇華されている。そうなるとなおのこと、じゃあ怒ってる人は、一体何に怒ってるんだろうという疑問が湧いてくるわけです。

 

この作品の何が人を怒らせるのか

 

みっさん:「変身することの特権」みたいな意識があるかなと個人的には思っていて、アメコミとかを見るとわかるんですけど、変身している人は全員男性で、たまに女性が混じっているみたいなことが多いですよね。Mr.インクレディブルとか、アイアンマンとか、ファンタスティックフォーとか、ピクサーだと「トイストーリー」もそうですよね。

 

柳澤:今挙げられた「トイストーリー」筆頭にピクサー作品では、男性同士のブラザーフッドやブロマンスが強調されていることが非常に多いんだそうですね。

 

みっさん:そうですよね。男性寄りの考え方の話が多いと思います。あとは、自分たちが少女の変身に慣れてしまっているのは、魔女っ子系のアニメが1つの理由ではないかと思いますね。古いものだと魔女っ子メグや魔法使いサリー、最近だとセーラームーンやプリキュアもそうですね。そういった感じで、変身するのが女の子であるっていうのが価値観としてあるから、受け入れやすいのかなとも思ったりするんですよね。アメリカだとそういう女性が変身するみたいなのってあんまり見かけないなと思いまして。「変身して強くなる」というのは、男性に偏りやすい傾向があるのかなと思います。

 

真嶋:最近だと、ディズニー系でも「アナ雪」筆頭に女の子が特殊な能力を持っている作品が登場しましたけれど、確かに伝統的にはあまりないですよね。

 

みっさん:それで、今まで男性達の特権で憧れみたいなものがあった「変身」を、女性がやってしまったもので反感を買ったのではないかと。今までのイメージを壊されたっていう感情があるんじゃないのかなと思います。

 

真嶋:妹がピクサー大好きなので、私も映画のセリフの一部を覚えるくらい一緒に観ました。ピクサー的なものの描き方については、さっき言及されたブラザーフッド、ブロマンスの話に凄く納得しました。寧ろこれほど観てきて自分がなぜ今まで気づかなかったんだろうってことも不思議なんですけど。さっき出てきた「変身の特権」みたいな話も含めて、旧来との作風の違いや求められていた物との違いっていうのは、まず反感を買った理由の一つとして絶対ありますよね。

 

タイラーというキャラクターが担う男性視点の現代性

 

眞鍋:男性がなぜこの作品を嫌がるか想像してみると、僕自身はそんな感じなかったんですけど、「こっぱずかしさ」みたいなものは感じやすそうだなと思います。これは、もしかしたら僕がアイドルをあんまり好かない理由でもあるのかもしれないんですけど、「同性として圧倒的に自分より優れているものを、異性がすごく崇拝している」みたいな状況に対するコンプレックスみたいなものがもろに描写されているっていうか。僕は盲目的にアイドル好きな主人公のライバルとしてタイラーという男性キャラを入れたのがめちゃくちゃ上手いと思っていて。あの男の子が観客の視点を担ってくれている感じもしているんですよね。

 

柳澤:わかります。タイラーを入れたことでリアリティーがめちゃくちゃ増すというか、女子だけの閉鎖性に行かなかった感じがしますね。タイラーがずっとメイをからかっていたのに、最後に実は彼自身も4★TOWNのファンだったという、あの持っていき方もすごくうまい上に、今っぽいですよね。BTSのコンサートに老若男女詰め掛ける、そういう時代になってきてるわけで。

 

眞鍋:現実の世界でも、BTSに対して、「ファンが熱狂的過ぎる」という批判が出ているじゃないですか。マスキュリンなものに違和感なく同化しているとそこしか見えないのかもしれません。「優しさ」とか、「少年のままでいること」とか、ファンが託しているそういう現実の男性がなかなか実現できないけれど、多くの人が求めている要素が見えないんだろうなと思いました。

 

柳澤:確かに「推し活」とも言えるんでしょうが、この作品に関しては、主人公の成長過程で「異性に憧れる」最初のきっかけが「アイドルを好きになる」っていう形で描かれているに過ぎないように見えました。現にメイは4★TOWNだけでなく、近所の店でバイトしている年上男性とか同級生とか、色々な人に適当にときめいているわけですよね。アイドルは崇拝されているようでいて、個々人の成長の道具。それは全く悪いことではなく、それこそがアイドルという存在の意義なわけで。その意味で、4★TOWNがレッサーパンダとお母さんを分離するための、あの怪しい儀式の為に歌ってくれる展開がめちゃめちゃいいと思いました(笑)。彼らも文字通り道具的な役割をノリノリになってやってくれるというところが本当に良いというか、愛があるというか、アイドルとファンの関係をきちんと外の視点から構造的に描けているという風通しの良さがありました。

 

眞鍋:そうですね。

 

主人公の同世代に人気がないと言う点について

 

柳澤:データを見る限り、この作品を評価しないグループの一つが年長の男性なんですが、もう一つのグループは登場人物の同世代なんですね。年齢がドンピシャの人たちの評価が低いんですよ。この映画は、思春期を振り返る余裕がある30代ぐらいの女性たちが作っているんですね。そしてデータを見る限り実際、20代、30代の女性に一番人気がある。この点について、少し考えさせられたのは、やっぱりアニメって子供のものじゃないですか。そう考えた時に、子供とか思春期の少年少女のためには、この映画で描かれるドラマをもう少し美化することも重要なのかなと。大人には面白いけれど、現実の構造を子供のための作品ではっきり見せてしまうっていうのもどうなんだろうってことを考えさせられました。

 

みっさん:私自身は観始めた時には嫌悪感もありましたけど、個人的には、最後はもう笑顔でした。メイが自分と近いような道を進んでいるなと思って。エンディングのところで、人間の姿の主人公にケモ耳や尻尾が付いているのを見た時に、親のことをもちろん大事にはするんだけど、自分の意志を持ち続けて、自分らしく生きるのが一番大事だという形を示唆しているように思えたんですね。何か、儒教的な感じの教えで終わっているのかなと。自分も同じように進んでいったので、やっぱこういう形なんだろうなって納得もしましたし、何かつっかえが取れたなっていうのは個人的に思いました。

 

柳澤:そうか、みっさんはカタルシスを迎えたんですね(笑)。

 

みっさん:ある意味そうだと思います(笑)。

 

真嶋:そんなみっさんは、若い子達にこの作品が人気がないっていうことについてはどう思われますか?

 

みっさん:難しいですね。正直、自分の場合だと、高校生の頃ならこれは間違いなく観ていなかったと思います。そういう時期を越えたからこそ、見れるのかなっていう気はしますね。当時なら、確実に低評価を押していました。

 

真嶋:なるほど

 

みっさん:そうですね。恐らく、そこに自分なりの答えをある程度持った上で進んでいないと、多分、この作品を見ても面白いとは感じないでしょうし。むしろ胸糞悪いだけで終わるのかなと個人的には思いますね。これは多分男女関係ないと思います。

 

真嶋:「自分が高校生だったら観てない」っていうのには私もすごく共感して、思春期特有の痛々しさみたいなものを乗り越えきれていないけど、あれが黒歴史だということは理解している絶妙な時期が高校生くらいだと思うんですけど、その時期には一番見たくない映画だと思います(笑)。ついこの間までの自分の痛々しさを自覚する歳になると、きっと余計に観たくなくなりますね。でも今はいい思い出として観られる。そうやって、時に観たくなくなるほど自分自身の記憶を生々しく想起させるように描いているのが本当にうまいなと思いますね。

 

みっさん:僕としては、寧ろ思春期の前に観てもらいたいものなのかなと思いますね。思春期前に観てもらって、例えば自分が何かに没頭したとして、周囲の人から何か言われたとしても、自分なりの解答を見つけ出せばいいんだよという形で話を進められるのかなと思うのです。ピクサーですし、小学生とかに観てもらっても十分いいのかなと思ったりするんですよね。正直。

 

眞鍋:僕が最近のアニメを全然見てないからかもしれないですけど、ここまで身近なものを描写し切った作品って無いなあと思いましたね。たぶん僕もオタクだとは思うんですけど、メイに共感性羞恥を覚えるところまでいってないんですよ。ただ、やっぱり身近にそういう子って全然いたし、「いるよね」っていう人をここまで描き切った作品もあんまないかなと思います。

 

みっさん:これまで描かれていそうで描かれてなかった人が主人公になっているという感じですかね。アニメだとそういう人にターゲットを絞って出したことはことはほぼないんじゃないかな。

 

柳澤:この映画を支持している人たちはそこに打たれてるみたいです。ただ、監督が過去の自分とメイを重ね負わせているぶん、ちょっと自嘲気味なところはあるのかなという気はしていて、もうちょっといかにもかわいらしく描いてあげたら、みんな幸せだったのかなっていうのも思う所なんです。

 

みっさん:いやー、でも、あれだから良かったんじゃないかなって個人的には思いますね。あれをソフトにすると、本当によくある「オタクを描いたアニメ」「思春期の女の子を描いたアニメ」になってしまうだろうなと思います。実際、それぐらいのレベルのアニメだったら過去にあったりするので。あのぐらいまでどんと出さなかったら多分、ここまで話題にもならなかったし、自分たちも面白いと思うことはなかったんじゃないかな。

 

真嶋:私はずっとオタクだったので、「思春期の女の子で、オタク」という主人公メイへの共感や、その時期にありがちなちょっと痛々しい言動や自意識の過剰さに共感がありました。なので、メイを見ていて恥ずかしくもなる部分があるんですけど、同時に、同じ経験をしてきた人間として、「大事な経験だよね」という実感もあるんです。私は、いわゆる「中二病」とか、何かにめちゃくちゃ没頭してイタい行動に走る時期って、予防接種みたいなものだと思っているんですね。周りが見えなくなるほど没頭したり、自分は特別な存在だと思い込んだりすることで、当然色んな黒歴史が残って後々頭を抱えることにはなるんですけど。

 

でも、あれを大人になってやると大変だなって、一応大人になった今考えると思うんですよね。今回の映画で言うと、メイのお母さんがそうじゃないですか。やりたいことや自分の意思をずっと抑圧させられてきた結果、思春期の子がやりがちな暴走もない「良い子」のまま大人になった。その抑圧を子どもに背負わせようとしたけど、自由気ままに暴走する子どもに対して、自分が受けてきた「抑圧」以外の方法で対処しきれず大爆発してしまったんだと思うんです。でも、メイは一回予防接種を済ませたので、きっとお母さんのような大人にはならないですよね。そういう意味で、ああいう時期はすごく必要だと思っているんです。それはもちろん私が大人になったから言えるんですけど。でも、必要だとは思いながらもやっぱり何となく苦い思い出を、「やっぱり成長だったよね」って思わせてくれる映画だなっていう意味では、回顧録のような、苦い記憶を昇華させてくれるような映画だなっていう実感はありますね。これは一人のオタクでかつて思春期の女の子だった者としての意見です。

 

じゃあ、ピクサーとして見たときにどうなのかなって考えると、ディズニーなので、世代はそんなに限定していないにしても、やっぱりアニメって子供向けの側面がすごく強いので、そう考えると子どもには伝わり切らないかもしれないなとは思います。でも、今まで明文化されてこなかったけど、結構な数の人が経験している、予防接種みたいなイタい時期についてこうやって映像化したことで、いつかやってくる自分のそういう時期に備えることができるのかなと思います。自分の感情に振り回されたり、思い込みや意識が過剰になったりするような時期って、きっと楽しくもあり苦しくもあると思うので、そういった意味では、みっさんが言ってたように、「自分の道を探していけばいいんだよ」みたいなものを示している映画であるとも言えるんじゃないかなと思います。ただ、扱うテーマ上どうしても嫌がると思うのは、まさに今メイと同じところに立っている思春期の子達だと思いますね(笑)。

 

柳澤:世代ごとで評価が違うってことも含めて、きっとこれは人生のいろんな時期で観て、発見があるタイプの作品だっていうことになるでしょうね。子供の時は「パンダがかわいい」だけかもしれないけど、思春期になったら当事者として気付くことがあり、大人になったらしみじみ感動できる、そういう様々な世代による鑑賞に耐える作品。

 

突き抜けた自己中心性がジェンダーを超える

 

真嶋:一つ私が「良いな」と思ったことがあって。メイがクラスメイトの男の子に惚れるシーンがあるじゃないですか。で、惚れるんだけど、結局何もならない。さっきの眞鍋さんの発言で、タイラーが出てきた意味をすごく理解できたんですけど、同じように、男の子に惚れるんだけど、それ以上の展開に持っていかないことにも、タイラーの登場と描かれ方と同じような意味を感じましたし、私はとても好きでした。特に日本の作品に顕著ですけど、「とりあえず主人公に恋愛させときゃいい」みたいなところあるじゃないですか。ピクサーでも例えば「トイストーリー」ではバズの隣にジェシーがいて、ウッディの隣にはボーがいる。でも、この映画では恋愛要素はあったのにオチにそれを持ってこなかったじゃないですか。タイラーがメイにちょっかいを出したのも、「好きだからこそいじわるしちゃった」みたいなよくある形では描かれていなくて。そういうふうに持っていかないのがすごく上手い。

 

みっさん:メイが男の子に一目惚れするところで描写を中途半端に切ったのは、「恋愛はあってもいいし、なくても良いんじゃないか」っていうことの示唆かなと思います。大事なのはどこまでも「自分らしく生きる」というテーマで、レッサーパンダの姿のメイと先祖のサン・イーが鼻をこすり合わせるシーンにもそれを感じましたし、最後に主人公が人間の姿にレッサーパンダの耳や尻尾がついた状態で歩くのも、「自分らしく生きる」ことを示してるのかなと思いますね。どういう生き方でもいいから、自分が考えている道を進んだらいいということを示唆しているように見えました。

 

柳澤:個人的には、映画のラスト、つまりメイも時々レッサーパンダになりつつ結局寺の手伝いも続けるという、東アジア的な現状維持的な結末にちょっとモヤっとしたんです。でも皆さんの話を聞いてると、伝統や義務を完全に否定することなく、その中で抑圧から解放されていくということに現実的な希望があるんだと気づかされました。最後の付け足し映像で、メイのお父さんも4★TOWNにはまっているというのにも一見伝統的な家族の内部から父権性が解体されていく示唆を感じましたし、そう言う意味で東アジア社会のなかで個人が解放されていく変革のプロセスって、わかりやすいドラスティックなものではないのかもしれないですね。

 

この作品を巡るアメリカでの論争の最初期に、白人中年男性の映画批評家による「この映画はパーソナルで、普遍性に乏しい」「共感しようとしても疲れてしまう」という指摘があったそうなんですね。それに対して批判が寄せられたことから、この映画が「relatable(親しみやすい/自分と関係づけられる)」かどうかの論争がスタートしたようです。この論争の火付け役の批評家はこの映画が「誰もが魅力的に感じるプロットをわざわざ盛り込まなかった」と評したそうなんですが、真嶋さんが指摘してくださったように、そのようなピクサー的な期待を外している点にこそ、現代的な共感ポイントがあると言えそうですよね。ピクサー・ディズニーのフォーマットを裏切る東アジア的なドラマがちゃんと「新しい」ということが嬉しいです。表面的には特殊で伝統的な共同体の物語、しかしその内部では生理もあっけらかんと登場し、男女関係も恋愛に落とさず、みっさんが語ってくださったように、ジェンダーを忘れさせるほど、圧倒的に個が際立っていく爽快なドラマになっている。

 

眞鍋:やっぱり、ジェンダー差を感じない部分は何かなって考えたら、そういう差異を凌駕するぐらい、主人公がめちゃくちゃ自己中心っていうか。本当に、「自分自分自分」だからっていうのはあって。そういう姿勢って、何かやっぱり性別を超えるっていうか、ストレートに心に働きかけるって言うか、僕はそのように感じました。自己中心的だけど、でもそれは別に悪いことじゃなくて、むしろ今この時代にこそ必要だろうって思うんですよね。

 

一同:うんうん。

 

真嶋:作品に満ちていますよね。自己愛みたいなものが。

 

眞鍋:そうですよね。

 

柳澤:それがすごく爽快感があるっていうか。いやあ、いい話だな(笑)。

 

眞鍋:僕はこの映画めっちゃ好きです。

 

みっさん:自分も観ることができて本当に良かったです。

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