今、滅びの美学を観る
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響き在り。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。」 古文の授業で暗唱させられた人も多いこの一文。このリズミカルな一文から始まるのが、軍記物語の傑作『平家物語』だ。作者不詳の大作で、長く琵琶法師たちによって弾き語りされてきた。
#平家物語
culture
2022/03/29
執筆者 |
(まれ)

21歳。物語を読むことが好きで、結果としてこの世界の時事や政治から小説、アニメまでを物語として読もうとしている。物語を読むときはキャラクターに注目して読むタイプ。ステレオタイプが好きだが、それに飲み込まれたくない複雑な人間。

古典と現代の共演

 

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響き在り。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。」

古文の授業で暗唱させられた人も多いこの一文。このリズミカルな一文から始まるのが、軍記物語の傑作『平家物語』だ。作者不詳の大作で、長く琵琶法師たちによって弾き語りされてきた。それがこの春、フジテレビで全11回のアニメとして放映された。

アニメ『平家物語』(以下、本作)は古川日出男による現代訳『平家物語』を下敷きに『けいおん!』などを手掛けた山田尚子監督のもと、『絶対安全剃刀』などの独特な画風で知られる高野文子がキャラクター原案、『ヴァイオレット・エヴァ―ガーデン』などの脚本を書いてきた吉田玲子といった実力派の制作陣によって製作された。そのためか京都アニメーションに近い繊細で緻密な脚本と描写がされている。本作は古典を下敷きにして、現代の手法で語りなおされた古典と現代の共演と言えるだろう。

本作では平家物語に基づいたキャラクターが多いが、その中で「びわ」という名前のオリジナルキャラクターが登場して、平家の人々と親交を結ぶ。びわを通して、視聴者は単なる悪役ではなく、善悪両面を持つ人間としての平家の人々を見てゆく。やがて、びわは没落していく平家から「巻き込みたくない」という善意ゆえに追い出されるが、あえて平家の滅亡を見届けて語り継ぐ決意をする。そして、最終回では壇ノ浦での平家は滅んでいく。

「盛者必衰」とは、平安末期の末法思想に基づいて平家の末路を解釈するものだが、同時にあらゆる時代・地域に共通する理でもあるだろう。おりしも、本作の放送中にはロシア軍によるウクライナ侵攻が始まった。そんな今、平家の滅亡を語り、そこに美を見出す『平家物語』を改めて観ることは刻刻と変わりゆく世界を客観的に見る一つの手がかりになるのではないだろうか。また、そこまで大仰でなくても、万物は移ろいゆき、しかし、そこには一人ひとりの人生があることを思い出すことができるだろう。

 

原作とわたしたちの架け橋、びわ

 

平清盛、後白河法皇、建礼門院こと平徳子、源義経・・・。本作では歴史上も実在し、『平家物語』の中でも生き生きと描写されるキャラクターたちに声をあてて登場させる。その中で史実にも原作にも登場しないキャラクターが「びわ」という少女とその両親だ。

びわ(CV:悠木碧)は琵琶法師の父と白拍子の母との間の子で、生まれつき「未来」を見ることができる青い右目を持っている。どこか「禿 かむろ」★1に似たおかっぱ頭の少女びわは、その禿に盲目の父を殺され、異能の右目で見た「平家の未来」を告げに平家の屋敷に忍び込む。すると、亡者を見ることができる左目を持つ平重盛(CV:櫻井孝宏、平清盛の長男)に出会い、重盛の屋敷に引き取られることになる。

重盛の屋敷でびわは重盛の息子、維盛(CV:入野自由)、資盛(CV:岡本信彦)、清経(CV:花江夏樹)と重盛の妹である平徳子(CV:早見沙織)と家族のように親しくなっていく。その一方で未来が見えるびわは、平家の人々と親しくなればなるほど、心を痛める。さらにびわは第4話「無文の沙汰」で重盛が亡くなると、亡者が見える異能の左目も受けつぐ。

本作のストーリーテラーであるびわは、毎回、白髪の長い髪の姿で琵琶を抱え、『平家物語』の原文を弾き語る「平曲」★2を披露する。この平曲のシーンは各話のクライマックス★3で語られ、『平家物語』の重要なシーンを伝統も踏まえつつ鮮やかに視聴者に印象づけている。

びわはどこか特別な人間であり、重盛の屋敷に引き取られて6年が過ぎ、さらに壇ノ浦に至るまで成長している様子もない。また、びわは平家の屋敷を離れてから母を探して越後国(現在の新潟県)を経由して丹後国(現在の京都府北部)、その後は維盛を追って紀伊国(現在の和歌山県)へ行き、そこから平家に合流して屋島(現在の香川県)、最後は壇ノ浦まで旅をする。その途中で、静御前(CV:水瀬いのり)に出会う。後に源義経の愛人となる静御前と出会うことで、びわはいよいよ登場人物たちを繋ぎ、大長編である『平家物語』をまとめていく役割を担っていく。

 

日常の先にある無常

 

本作の見どころの一つは、『平家物語』の流れを追いながらも、シリーズ前半では日常が描かれることだろう。

武士でありながら貴族の仲間入りを果たした平家の優雅な生活(とはいえ、彼らの生活の裏には京中を恐怖させる圧政がある)が、重盛の子どもたちや徳子を中心として描かれる。そこには清経や敦盛(CV:村瀬歩)の奏でる笛、資盛と伊子(CV:本泉莉奈、建礼門院右京大夫)の恋模様、徳子と安徳天皇の親子愛など、わたしたちの日常にも通じる趣味や親愛の穏やかさがある。その穏やかさと予見されている滅亡のギャップが主人公びわを苦しめるのだが、滅亡の兆候が色濃くなるなかでも清経と敦盛のコンビは和歌や毬杖★4に興じる。しかし、その日常が吹き飛ぶのは、源氏が各地で蜂起する最中の清盛の死である。そこから福原(現在の神戸市)、大宰府(現在の福岡県)を流転していく中で、温室育ちの清経と敦盛は一気に憔悴していく。

一方、庶民の間でも日常は続いていく。

平家が都落ちした後、源義仲(CV:三宅健太)の軍や源義経(CV:梶裕貴)の軍が京都を治めるようになっても、略奪暴行に苦しみつつ、「源氏の白旗を京で見るのは二十五年ぶりか」と変化に馴染んでいく。丹後に住むびわの母も変わらぬ日常を暮らしている。人生の悔いを抱えるびわの母は、「何もできない」と嘆くびわに日常の中の祈りがあると諭す。

そのびわと母の邂逅にほぼ並行して、清経の入水、敦盛の最期★5が描かれている。さらに母と別れたびわは世を儚んで出家し入水しようとする維盛と最後の邂逅を果たしている。本作を貫くのは、日常の生活とそのすぐ隣にある無常の織り成す世の哀愁だ。

 

弱者も強者も平等

 

さて、『平家物語』は平家だけでは成り立たない。

平家と因縁を持ち、平家打倒を掲げる源氏が『平家物語』を織り成すもう一つの登場人物たちだ。しかし、本作では源氏はあまり重く扱われない。源氏の棟梁である源頼朝(CV:杉田智和)は、どこか掴みどころのない優柔不断な人物に描かれる。源氏の中で最初に京都を掌握する源義仲は、温室育ちの維盛と対照的にルールにとらわれない人物だが、それが仇になって京都で恨まれ、あっさりと敗死する。最後に源氏のヒーローである源義経は、『平家物語』では壇ノ浦の合戦後に京都から追放されるまで描かれているが、本作では義経の後日談はすべてカットされている★6。頼朝を除いた義経、義仲はわずか3話ほどしか登場しない。特に維盛を翻弄し、後白河法皇をすら圧倒した義仲が矢を受けてあっけなく死ぬシーンは、強者もまた永続しないという『平家物語』のメッセージを見事に描いている。

温室育ちで世の荒波を知らない維盛も、木曾の山育ちで破天荒な義仲も源平の争いの中、平等に散っていく。一方、鎌倉から糸を引く頼朝と京中で清盛への反抗心を燃やす後白河法皇だけは、シリーズを通して負けることがない。結局、真の権力者の下で誰もが翻弄されるという世の悲しさがそこにあるのかもしれない。

 

続いていく日常

 

本作は1170年(嘉応二年)から1186年(文治二年)までの約15年間を描いている。

シリーズを通して最も息を飲む回は、『平家物語』を踏まえて平家の滅亡とその後日を描きつつ、「祈り」というキーワードで完結する第11話「諸行無常」だろう。

あえて詳細を言うまでもなく、都を落ちた平家は流転の末に壇ノ浦の戦いで義経によって、滅亡へと追い込まれる。平時子(清盛の妻)が孫の安徳天皇を抱いて入水する。息子である安徳天皇を失った徳子も海中に身を投げるが、未来が見えるびわに「徳子のこの先は、まだ続いておる」★7と諭される。平家の人々が海中に身を投じる中、夕風にはためく平家の赤い旗の光景を最後にびわは視力を失う。それはびわの人生が「見届ける者」から「語り継ぐ者」へと転換したことを劇的に表現する。

そして場面は転じて、後白河法皇が出家して京都の山奥に隠棲した徳子を訪ねる。そこで法皇にこの世の苦しみを味わいつくしたと話す徳子は、それでも物語の中に愛する者たちは生きており、その人々のために祈るのだ、と語る。そして、徳子と別れて持仏堂の阿弥陀如来を見た後白河法皇は、思わず膝を折って手を合わせる。帰りの牛車で法皇が「祇園精舎の鐘の声」と呟くと、出家した熊谷直実、舞を舞う静御前、丹後に暮らすびわの母、南の島で漁師になった資盛と思しき男★8、そしてびわと重盛が口々に「祇園精舎の鐘の声」と呟く。彼らはそれぞれが生きる日常と共に描かれる。やがて画面は地面に散り敷いていた花が時を巻き戻し、枝に戻っていく様子を映す。こうして、日常と無常を生きた平家の人生は「祇園精舎の鐘の声」という名文で始まる『平家物語』へと変わっていく。そして、物語られる度に平家は生き続ける。そこには平家への供養という祈りがあるのだ。

 

今、滅びの美学を観る

 

『平家物語』が語られるようになってから800年の時が過ぎた。

この壮大な軍記物語(つまり、戦争小説ともいえる)は明確な勝者を描いて終わることはない。この世の苦しみを味わいつくした一人の女性、建礼門院の死をもって物語は終わる。そこには勝者と敗者の間で翻弄された女性が浄土へと旅立っていく姿が描かれる。

また、この物語は多くの登場人物たちがそれぞれの生き方、死に方で描かれている。本作における清盛の口癖は「面白かろう?」というものだったが、彼は物語が面白くなっていく(源平がまさに決戦に至ろうとする)時にあっけなく熱病で世を去る。その清盛を倒そうとした頼朝は優柔不断で、自分がなぜ、という思いを透けさせる。維盛は氏族を捨て、妻子を捨てて入水していく。徳子は息子である帝を守ろうと必死になるが、果たせずに我が子の菩提を弔う。平氏、源氏、朝廷、庶民。それらを繋いでいくのが本作ではびわだった。彼女は滅亡へと歩んでいく人々の日常を物語へと変えていく。わずか11話に『平家物語』をまとめられたのは、びわがいればこそだろう。

さて、アニメ『平家物語』の放送中、ロシア軍によるウクライナ侵攻が始まった。わたしたちは再び戦争の時代へと足を踏み入れてしまったのだろうか。そんな今だからこそ、平家の滅亡を描く本作には心を貫かれる。わたしたちが本作を見る時、原作を読む時、わたしたちの中で物語の登場人物たちは何度でも日常を生き、そして滅びていく。この滅びは切なく心に迫るが、しかし、単なる美談ではない★9。おごり高ぶる平家が滅びても、滅ぼした義経もまた墜落していく。その万物流転にこそ、この物語の美学★10がある。その末に建礼門院の死が描かれたのは、やはり人の世がもの悲しくも、しかし、続いていくこと、そして続いていく日常に祈りがあることを示すのだ。

これまで紹介してきたアニメ『平家物語』は、びわという物語を語り継ぐ使命を持つ少女を登場させることで、平家の人々の日常と最期を見事に描いた。その結末は、人の世に勝者もなく、敗者もなく、ただ日常と流転が続いていくことをわたしたちに語りかけている。

 

★1―― 禿(かむろ) おかっぱ頭で赤い衣を着た少年たちで、平家に反抗する者を弾圧するために京中を徘徊している。

★2―― 平曲(へいきょく) 琵琶法師が琵琶を弾きながら、『平家物語』を「語る」こと。

★3―― 本作において平曲が語られるシーンはその回のタイトルと関連していることが多い。例えば、第4話「無文の沙汰」では、鹿ケ谷の陰謀で流罪になった俊寛法師が恩赦から零れて(俊寛の名が恩赦の書状に無い=“無文”)、鬼界が島に置き去りにされるシーンである。

★4―― 毬杖(ぎっちょう) 木の杖と玉を使って遊ぶ平安時代のゴルフのような遊び。

★5―― 敦盛の最期は古典の教科書でもよく取り上げられる。一ノ谷の戦いで敗れ、逃走していた敦盛が熊谷次郎直実と戦って討ち取られ、直実は世の無常を噛みしめる切ない場面である。

★6―― 強いて言えば、義経の愛人となった静御前が舞を舞う姿が最終回の終盤でワンカットある。

★7―― 第十一話「諸行無常」

★8―― 資盛に限らず平家の人々には生存説、いわゆる「平家落人伝説」があり、その中で資盛は奄美諸島に落ち伸びたというものもある。

★9―― 例えば、アニメではカットされた宗盛とその子清宗の最期は、もの悲しく語られるが、しかし、語り手は、親子の首が獄門に掛けられたことは生死を問わぬ恥と語る。そこには単なる悲劇もなく、敗者への過分なあざけりもない。『平家物語』第十一巻「大臣殿被斬」

★10―― 本作の脚本を執筆した吉田玲子さんは、「そして脚本を書き終えたとき、これは我々の『物語を語ることへの再宣言』なのだと感じました。」と語っている。番組ホームページ https://heike-anime.asmik-ace.co.jp/ 

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2022/03/29
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(まれ)

21歳。物語を読むことが好きで、結果としてこの世界の時事や政治から小説、アニメまでを物語として読もうとしている。物語を読むときはキャラクターに注目して読むタイプ。ステレオタイプが好きだが、それに飲み込まれたくない複雑な人間。

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