自分が持っているものを極め、シェアするのが使命:モデル Eun Sang インタビュー
世の中にいろんな面白いものがたくさんあるのに、時間を無駄にするのはもったいないなと。もったいないんだったらちょっとやってみよう、やって駄目だったらそれでOKって僕はなるべく軽く考えて挑戦しています。自分も飽きてやめたこともたくさんありますし、悩んで鬱になりかけたことも、何度も経験してしまっていました
#EunSang
culture
2022/08/05
インタビュイー |
Eun Sang

韓国大邱(デグ)出身。18歳で韓国にてモデル活動を開始。以来、ミラノ、パリ、上海、東京のランウェイを歩く。6年前より東京に拠点を移し、東京、ヨーロッパでのコレクション、キャンペーン、雑誌のエディトリアルを中心に活動。現在はモデル活動の傍ら、趣味の絵画やYouTube 等でも表現の場を広げる。

Instagram @eunsang6

YouTube https://www.youtube.com/channel/UCnE7VRq9fCQqTpBUwTvpjnA

[西田海聖]

私はウンサンさんのモデルとしてのお仕事にも、もちろん関心があるのですが、アートワークやモデルのお仕事、Youtubeの動画など、ウンサンさんのクリエイションを見ていると心が洗われ、開放されるような感覚がありました。今回のインタビューではウンサンさんにどのようなバックグランドがあり、またどのような思いで表現者として活動されているのかをお聞きしながら、私がウンサンさんに感じた希望がどこからくるのか、そのヒントを探せたらと思います。今日はよろしくお願いいたします。

 

[Eun Sang]

よろしくお願いします。

 

幼少期時代

[西田]

まず一番最初の質問なんですけども、どのような幼少期を過ごされましたか?

 

[Eun Sang]

普通とは言えないと思います。僕の家庭は父と母が離婚していて。それが小学生に上がる前のことでした。

 

父は別の場所で暮らし、母に育てられたので、「父」に対する感覚を持たずに育ちました。本当に淡い記憶しか残ってないですね。いつも何かちょっと家族が足りないって感じを幼い頃から無意識に感じていて。寂しいとか、なんか虚しいとか。「虚しい」という表現をするにはまだ若すぎたかな(笑)一般的にみんなが思う家族、父と母がいてみんなが食卓を囲んだりするのが憧れでした。

 

それから中学生の頃に母が事情により、急に家を出ることになりました。そんなに長い時間ではなかったですけれども、1年ぐらいですね。その時に本当にすごく悲しかったんですね。姉と2人で将来の不安ばかりしていました。

 

本当にまだ若いじゃないですか、学生でしたし。その時の姉の存在が心強かったです。姉がいなかったら、僕は今の人生はないと思います。だからこそ姉とも今だにすごく仲がいいです。

 

それで、一年後に母が家に戻ってきて、3人の元の暮らしに戻りました。しかし、その時の出来事が自分の人生にはすごく影響が大きかったですね。何かいつも寂しがってるとか、僕はなんでこんな状況、環境になっているんだなっていう、モヤモヤした残念な気持ちがあったんですよね。

 

母が戻ってきた頃から徐々に普通にはなったんですが、やっぱり人と離れるのがトラウマになっちゃって。ちょっとだけ距離が離れたりしたら、すぐまた会いに行きたいとか、連絡しなきゃっていうか、そういう不安を抱えるようにりました。

 

勉強はそこそこでしたが、あんまり興味がなかったです。漫画とか映画が好きでした。今思うと何かかわいいものが好きでしたね。韓国ではクリスマスになると「ホームアローン」が毎年放送されるんですよ。その映画の主人公に憧れたり、海外のことに関心がありましたね。映画の他にも、旅行の番組とかあるじゃないですか。ヨーロッパを紹介してるものとか。それを見るのがものすごく楽しくて、いつか僕も本当にそういうところに旅をしてみたいなってずっと思ってました。

 

[西田]

では、幼少期の頃は、外に出かけに行くとかっていうよりは、映画とか作品と向き合ったりなど、1人で過ごすことの方が好きでしたか?

 

[Eun Sang]

もちろん友達もいたんですけれども、僕は基本ちょっと引きこもりでした(笑)。それは幼少期の頃からですね。やはり姉と2人で暮らした時期に感じたことが大きくて。家族と離れるのは絶対駄目と思っていたので、「自分が家にちゃんといないと」とか、「ちゃんと家に帰らないと」って思っていました。友達と遊んだりしても、ちょっと早めに帰ったりしていましたね。それで家にいる時間が長くなると1人の時間が長くなるので、自然と映画やアニメを見たりして過ごすじゃないですか(笑)

 

[西田]

そうですね (笑)

 

[Eun Sang]

今振り返ってみても、全然変わってないな自分っていう。(笑)

 

モデルになりたいと思ったきっかけ

[西田]

モデルの仕事はいつから、どのようなきっかけでスタートされたのですか。

 

[Eun Sang]

まず、中学生の頃からモデルになりたいという夢を持ち始めました。

 

[西田]

早くからモデルになりたいと思っていたんですね。

 

[Eun Sang]

そうですね。その頃はファッションの華やかな世界に惹かれて、僕もそういうかっこいいランウェイを歩ける人になりたいなって思っていましたね。

 

[西田]

韓国とパリ(ヨーロッパ)どちらのコレクションを見て憧れるようになったんですか?

 

[Eun Sang]

それが何かのテレビ番組でたまたまパリコレクションのシーンが少しだけ写っていて、それを見て、あんなにオーラがあふれる人って今まで見たことがないし、なんであんなにかっこいいんだろうなって思ったんですね。僕はそういう人にはなれないんだって思いながらも、その反面「夢を持つことは別にいいんじゃない?」とも思っていました。

 

活動を始めたのは18歳の頃でした。高校を卒業した直後、韓国にあるソウル芸術学校にモデル学部が開設されて、そこにどうしても入りたいと思っていました。専門学校のようなところだったのですが、面接に行ったり、いろいろ書類を提出したりして、運よくそこに受かって、モデルの道を歩めることになりました。また当時モデル事務所が運営しているアカデミーがあって、そこも在学中同時に通って学校が終わったらアカデミーで学ぶなど、両方を行ったりきたりする形でモデルになる夢を膨らませていました。

 

モデルって、ただ歩くだけとか、ただかっこよく見せるとか、そういうのではなくて、自分の内面を表現しなきゃいけないんです。そして、カメラの前に立った時に、今僕がいるその空間はどういう絵になっていて、そのシチュエーションにどうやったら馴染むのかなどを自分で考えしながら、自分の想像力を表現力に反映させていくんです。今は色々な経験を経て、自分自身理解できていると思えますが、当時はこういうことが全然まだ理解ができていなかったですね。

 

[西田]

では、在学中に事務所に入って、20歳前後からもう韓国ではモデルの活動されていたのですね。

 

[Eun Sang]

そのアカデミーで3ヶ月間習って、その後卒業式のようなお別れのパーティーみたいなものがあって、その場でアカデミーを運営する事務所側からのスカウトのようなチャンスがあるんですね。そこで僕は興味を持っていただいた事務所のチームに所属し、ソウルコレクションのMVIOという韓国のブランドのランウェイに出ることになりました。

 

[西田]

中学生の頃から憧れていて、モデルとして初めて歩いてみた一番最初の感想はどんなものだったのですか。

 

[Eun Sang]

いやあ、ちょっとやばいですね。なんとも言えないですよ!(笑)

ランウェイって時間でいえば、たった30秒ぐらいしかないじゃないですか。バックステージから出た瞬間、もう白いスポットライトがすぐに目に入ってきて眩しいな、ということしか覚えてないです。ただ眩しいなと思って、30秒間歩いたらいつの間にかバックステージに戻ってきていたという感じであっという間でした。後で動画をチェックしたらちょっとボーっとしてるような顔をしてて。とりあえず無事に終わったって感じですよ。けれど、1回歩くとまるで麻薬みたいな感じで、もうそれから、ずっとランウェイを歩きたいとか、またもっと仕事したいとか、そういう欲がどんどん出てくるんですよ。

 

今まで学生の頃は、どちらかといえば3日坊主で、すぐいろんなことに手を出しては、飽きてしまうタイプだったんですけど、自分の人生で初めて本気になれた唯一のものがモデルですね。モデルという仕事は自分の人生の全てだなってぐらいに思っています。

 

ウォーキングの練習のために普段から道を歩くときに意識してモデルウォークで歩きましたし、アパートの廊下で他の人も住んでいたんですけど、その廊下を毎日ランウェイのように3、4時間ずっと歩きまくったんですよ。それは僕にとって練習じゃなくて、単に楽しくて続けていました。その時に、僕は、本当にモデルという仕事が好きなんだと自覚したんです。

 

モデルとは何か

[西田]

モデルの仕事自体をEun Sangさんはどのように捉えていらっしゃいますか?

 

[Eun Sang]

モデルってお仕事はすごく奥深いですね。僕の母はいつも「モデルは素敵な職業なんだけども、もっとちゃんと勉強して真面目な仕事に就いた方がいいんじゃない」と心配していたんです。たぶん母の世代だと、まだモデルという仕事は、ただ背が高くて、ルックスが良くても、それでずっとは続けていけない仕事というイメージなんだと思います。それが今ではだいぶ変わってきたと思います。実際、自分がモデルの仕事をやり続けていたら、母も何かを感じ、考え直したみたいです。

 

素晴らしい仕事ですね、本当にそう思います。楽しいし、仕事とは言え遊びの気持ちもあるんですよね。あとモデルは現場にいるといろんな国籍のモデルさんと出会う機会がたくさんあるので、それで僕の価値観がだんだん変わっていったし、今もどんどん変化しているなって思います。

 

ファッション界の「多様性」について

[西田]

僕もEun SangさんのYouTubeを見ていて、様々なルーツを持つ方が日本のモデルとして活躍なさっていることに気づかされました。日本だけではなく、おそらくファッション業界だと、色々な国で色々なルーツの人たちが活躍されてると思うんですけども、ファッション業界やモデルの世界だから実現できる多様性や自由があるのかな、と想像しました。Eun Sangさんはそれに対してどのように捉えていらっしゃいますか。

 

[Eun Sang]

僕は「多様性」に関してはあまり意識はしたことはないです。「多様性」って言うと、何か相手を違うものって見ている感じがして、自分の感覚とはずれるんです。先ずは人を色眼鏡で見るのが間違いだと思います。人はそれぞれ違うのが当たり前で、一つに統一化させる必要を感じません。

 

僕のYouTubeをご覧くださった通り、海外のモデルさんとかと関わるのは、僕にとってはごく当たり前のことで、海外の人という感覚よりも、ただ、同じ人間で、違う言葉喋る人間という感覚にしか過ぎないんですね。

 

[西田]

本当にその通りだと思います。あえて多様性って言うのもおかしな話ですし、今、多様性っていう言葉がマーケティング的に使われて消費されることには僕も抵抗を感じています。同時に、残念ながら多様であることが当たり前と思わない社会があるからこそ、みんながみんなに寛容である社会をどういうふうに実現するかっていうところは必要不可欠なのかななと思います。

 

[Eun Sang]

英語ではステレオタイプとか、ゼノフォビアかといわれる自分たちと同じでないものに偏見を持つだとか、そういうことは間違っていると思いますし、逆になぜそうなるのか疑問に思います。

 

僕は全く意識もしてないし、みんなが自由で、同じ時代に生まれて、同じ地球の上にいられるなら、みんなハッピーに生きていけばいいんじゃないかって思うんですけどね。

 

なぜ日本で活動することを選んだのか

[西田]

色々な国でモデルとして活躍できるEun Sangさんが、なぜ日本で活動することになさったのかに興味があります。僕自身は『DAZED KOREA』筆頭に韓国のクリエイションが大好きで、日本のモデルの方たちでも、最近は韓国にお仕事をしに行く方も多いと思うのです。Eun Sangさんはいつから日本で活動をなさることを決めたのですか。日本で活動することを決めた経緯なども併せてお聞きできれば嬉しいです。

 

[Eun Sang]

まず最初に日本に来たきっかけですが、それは僕が小学生の頃に遡ります。当時の友達で、大学の日本語の教授と、キャビンアテンダントをご両親に持つ子がいたんです。その友達は日本と韓国の小学校を行ったり来たりしてたんですけども、その友達とすごく仲が良くて、最初その友達から誘ってもらって母とお姉さんと横浜に旅行に行ったんですね。8歳頃でした。それが人生初めての海外旅行でした。その時、日本の素晴らしさに本当に驚いたんです。母にディズニーランドとか、東京のいろいろな店舗に連れて行ってもらったりとか、その記憶がいまだに心の中に強く残っていますが、それが僕の日本に行きたいって思わせた原点だったと思います。

 

その後、モデルになってから、当時所属していた韓国のモデル事務所の社長さんとたまたま食事ができた時に、「日本でモデルの仕事がしたいです」って直談判したんですね。僕はもう何か決めたら、絶対やらないと駄目なタイプなんですよ。で、社長さんもそれをわかってっているので、「僕の知り合いが日本の事務所にいるから紹介してあげる」って言ってくれて、その1、2ヶ月後に社長さんと僕と社長夫婦と3人で東京に行くことになりました。

 

紹介していただいた日本の事務所には社長さんと知り合いのマネージャーさんがいらっしゃいました。その方は親族に韓国出身の方がいるようで、ご本人も韓国の大学に留学経験があり、韓国語がすごく上手でした。その方にお世話になる形で、日本での生活をスタートさせました。それがもう6年前ですね。それからずっと日本の活動です。

 

[西田]

そうなんですね。Eun Sangさんが来日した6年前の日本の状況ってどうだったんでしょう。すでに不況だったと思いますし、ファッションも活況を呈しているという感じではなくなってきていたと思うのですが。

 

[Eun Sang]

今もそうなんですけど、6年前の日本と韓国はそんなに違わないというか、韓国の方が食べ物の物価が比較的安いぐらいで、給料は変わらなかったですね。僕に関しては日本にずっと行きたかったし、単純に日本が好きだったので、日本に来れたことだけで幸せでした。さらにここで仕事ができたらこれはもう最高だなって思って、不況だとかファッション業界が元気がないことだとかは僕にとっては関係はありませんでした。それで更に日本語の勉強も頑張って、日本でもモデルの仕事を続けましたね。

 

コムデギャルソンから「侘び寂び」まで日本の芸術表現が好き

[西田]

Eun Sangさんは日本のどういうところに魅力を感じるのですか。

 

[Eun Sang]

最初はTVドラマから興味を持ち始めました。中高生ぐらいのころ、授業中、先生が黒板を書いてるうちに、友達が携帯に保存してきたドラマを見たりしていました。例えば木村拓哉さんのロンバケとかです。ドラマをずっと見てたから、もちろん成績はだんだん落ちていきました(笑)

 

今は何よりも日本の芸術が好きで、展覧会を見に行くのが趣味です。暇があれば必ず見に行くのが習慣になっています。日本の美に関して僕が感じるのは、やはり西洋の美的感覚との違いです。環境も、言語も違うから、芸術の表現方法が違うのは当たり前ですが、日本の芸術作品に触れた時、とんでもないインパクトを受けました。それは韓国の芸術とも違います。そして、僕は日本の「侘び寂び」の精神もとても美しいと感じます。

 

例えば、壊れたものや古いものを捨てたりせず、そのままを美しいとする考え方は、日本に来るまでは考えたこともなかったですね。まだ完璧には理解できてないけれど、日本に住み慣れてくると、そういう感覚がだんだんと理解できるようになったと思います。昔のことを尊敬しながら守っていく姿勢も好きです。職人の仕事や伝統工芸を大切にするとか。

 

今の韓国は、K-POPを始め、様々な新しいものが流行っていますが、逆に昔のものをもっと守るべきだと思います。もちろん伝統をうまくつないでいる人もいるのですが、韓国人は新しいものだけに興味をもってトレンドを追いかけていく傾向があるように感じています。

 

[西田]

もし何かインパクトを受けた日本の作品とかあれば教えていただいてもいいですか。

 

[Eun Sang]

僕は自分も絵を描くので、イラストレーターさんでいえば安西水丸さんとか、芸術家でいえば画家の藤田嗣治さんがとても好きです。

 

ファッションで言えば、僕はコムデギャルソンが本当に好きです。ショーにも出していただけるようになって、バックステージで川久保玲さんともお会いできたんですけど、同じ空間にいることが信じられないくらいでした。いわゆるレジェンドの方が、どういうふうに仕事の指示を出していくのかとか、そういうのも自分の目で直接見ることができて、改めてコムデギャルソンの凄さを感じることができました。

 

あと、写真家の森山大道さんも大好きです。森山さんとも去年、仕事でお会いすることができました!

 

東洋の美を「シェア」したい、それが自分の使命

[西田]

先程、新しいものを追い求める韓国カルチャーにちょっと疑問を感じるっていう話がありましたが、Eun Sangさんの描かれている絵のテイストにも、昔の韓国を思わせるものがあったように感じたんですけど、昔のものも大事にしたいという思いがあって絵を描かれていたりするんでしょうか?

 

[Eun Sang]

それは全く意識していませんが、もしそう見えたのであれば、それは自然に出たものだと思います。描き上げてから作品を見てみると自然にそうなっていました。今、日本にいて韓国にいる家族に会えていないという環境で、母国である韓国のことを恋しく思っているのが無意識的に絵にも出たのかもしれないですね。

 

けれどもそれは韓国の民族性を見せようという意識からではなかったですね。しかし、僕がアジア人として、グッチなどヨーロッパでモデル活動をする中で感じ取った、東洋人の美を絵に表現したかったんです。東洋人の美を表現するのは僕の宿命だと思っているんですよ。

 

東洋と西洋に上下関係はないですよね。どちらが上か下か、とかはなくて、ただ別のもの、ただ別の考え方なんだということがもとになって生まれた作品です。僕はアジアの人ならではの美意識をもっと生かしたいっていう気持ちが強く持っています。

 

[西田]

Eun Sangさんの表現されてる世界は、Eun Sangさんの今までの経験があって生み出されたものなんですね。

 

[Eun Sang]

自分自が育ったこのアジアは本当に素晴らしいと本当に思っています、ヨーロッパに負けないくらい。歴史も深いし、今でも伝統的な文化が残っているのは、伝統をちゃんと守ろうという考えが、ずっと続いてきたたということなんですね。アジアの文化は守るべきで、素晴らしいものだ、という意識が僕よりも若い世代にも広がってほしいなっていう思いがあります。

 

僕にとっては、これといわゆる「多様性」は別のものなんです。例えば海外の人と喋って、「僕は東洋人だからあなたとは違うぞ」というような考えはありません。向こうのことを認め続けながら、「僕が生まれた環境を向こうにも伝えたい」っていうような感覚なんです。シェアしたいんですよね。

 

[西田]

すごく共感します。なかなか言葉にしづらい部分ですが、違いを尊敬し、自分たちのありのままを誇りをもってシェアするという姿勢においては、東西文化を敢えて対立的に捉える必要などないことに気付かされます。

 

もう少しアジア人としての意識について伺いたいんですけれども、東アジアという括りで文化的特徴を考えると、父権的だとか、集団性が強いだとか、個人が自由に生きるためにまだまだ乗り越えることが多いようにも感じます。男らしさの定義も、まだまだ画一的だと思います。Eun Sangさんの優しく、しかし強い個性の発信は、こうした背景をあからさまに批判するのとは違う。けれどしっかりと「個人」を感じることができる表現で、私達はそこにとても共感してインスピレーションを受けるのですが、Eun Sangさん自身も東アジアの人間として、西洋人とはまた違う表現を意識していらっしゃいますか。

 

[Eun Sang]

僕は自分が東アジアの人間であることを意識しています。表現に関して、文化全般も含め、アジアと西洋は違うと思います。そして、文化や環境が違えば考え方が違うのは当たり前ですよね。僕は、今まで色々な国を巡ったからこそ、客観的にアジアの素晴らしさを感じることができました。

 

例えば見た目で言うと、目が細いとか髪が黒いなどの身体の特徴も素敵だと思いますし、先程もお話ししたような古びたもの、質素なものを愛でる「侘び寂び」の精神も美しいと思います。ですので、どっちが上か下かではなく、自分がアジア人に生まれたことを誇りに思ってます。今のところは髪の色も変えるつもりはないですし、ありのままを見せたらいいかと思います。それがアジア人の表現に繋がると思います。

 

同時に大事だと思うのは、先程も少し触れましたが、アジア人もヨーロッパやアメリカ人も同じ人間ですよね。ただ、それぞれに違う文化をちゃんと尊敬しあって、各々がちゃんとその人なりに表現すれば良いという考えなので。僕はアジアで生まれたアジア人で、その自分の生まれた環境をみんなとシェアしたいんです。

 

実際そういう考えで自然に自分を表現していくと、西洋の人たちも、何か楽しそうだし、嬉しそうなんですよ!例えば「Eun Sang、髪型いいね」とか。ちょっと自分では言いづらいですけど、「EunSangさんのイメージってすごく美しいね」とか言ってくれます。

 

西洋人の目線から見たアジア人ということはですが、「美しい」と言われたらたまらなく嬉しいですよね。自分としてもアジア人としての美しさをもっと極めていきたいと思っています。

 

[西田]

僕もコレクションを見るのが好きで、よく見ているのですが、アジアのモデルさんの活躍を見ると、すごく勇気をもらえますし、励まされます。西洋に憧れを持ちがちだったんですけど、ありのままでいいんだなっていうのもすごく教えられました。同時に、Eun Sangさんは、目が細くて、坊主でっていう、コレクションによく起用されるモデルさんのタイプとも違って、そのあたりの意識をお聞きしたいです。たとえば髪型はどこから着想を得ているのでしょうか。

 

[Eun Sang]

日本のモデルのレジェンドの方で、もう亡くなられているのですが、山口小夜子さんを知ってから、僕、アジアのモデルを見る見方が変わったんです。山口さんはいわゆる切長の目で、オカッパで、それで70年代当時、世界のトップモデルだったんですね。僕はそれを知ってから、「そうか。僕も同じアジア人モデルで、山口さんと同じように、黒髪や切長の目を持っているのに、それをなんで見せてこなかったんだ」と思いました。僕もモデルを始めた頃は、あえて西洋人を真似したりして、結果的にはあんまりよくなかったんですよね。

 

僕が出演したGUCCIのコレクションもご覧になってくださったかもしれません、あの時、僕は山口小夜子さんのような「美人」になりたいって思いまして、初めて髪をオカッパにしたんです。そのオカッパのスタイルを色々なたくさんのブランドが興味持ってくださって、出演できるようになったんです。

 

だからこそ、僕は、自分が持ってるものをもっと極めることが大事だと思っています。例えば髪染めたりとか、それはそれで素敵なんですけども、それよりありのままを見せるのがもっとかっこいいんだぞ、素敵なんだぞって思います。

 

[西田]

山口小夜子さんは、Eun Sangさんにとって一番のロールモデルですか?

 

[Eun Sang]

そうですね。この方は見た目以上に、何よりも考え方がすごく素敵な、綺麗な方なんです。モデルは見た目だけではないんだと山口さんのインタビューを読んで、初めて気づかされました。

 

誰を好きになってもいい、素直に生きたら、心が豊かになる

[西田]

Eun Sangさんはこれからの時代、若者がどのように生きていくのが良いと考えていらっしゃいますか?

 

[Eun Sang]

自分のやりたいことを素直にやればいいのかなと思います。自分も今までそうしてきました。

 

[西田]

僕なんかは、好きなだからこそジタバタしてしまうっていうか、不安になって挑戦しづらかったりするんですね…

 

[Eun Sang]

世の中にいろんな面白いものがたくさんあるのに、時間を無駄にするのはもったいないなと。もったいないんだったらちょっとやってみよう、やって駄目だったらそれでOKって僕はなるべく軽く考えて挑戦しています。自分も飽きてやめたこともたくさんありますし、悩んで鬱になりかけたことも、何度も経験してしまっていました。そんなとき、やはり好きな絵本と映画と音楽が薬になって直してくれました。だから僕は止めても飽きても、その時に感じた好きなことをやっていけばいいんだと、いつもそう思っています。

 

先程尋ねられていた男らしさ、ジェンダーやセクシャリティの問題ですが、僕は中学生の頃、男性が好きとか、女性が好きとかではなく、人の性格に惹かれるタイプでした。自分が何か周囲と違うのかなって思い始めたのもこの頃で、いつも話をする同じクラスの男の子のことが大好きで、感情が揺れているのに気づきました。その話を打ち明けた当時の親友には「ちょっと変じゃない?」なんて言われたりして、なんとなく自分が人と違うのかなという思いがありました。

 

その後、彼女ができましたが、実はその人はバイセクシャルだったということもあったりして、それはたぶん僕がニュートラルな人間だったから、そうなったんじゃないかなって思います。大人になってからの友達は、男性を好きな男性も多いです。彼らは本当に優しくて、楽しくて、今までこんな楽しさを知らなかったんだろうって思わせてくれます。気も合うんですよね、芸術とかファッションの話もできて。彼らのコミュニティでまた友達を紹介してもらったり、遊んだりとかしているうちに、だんだん僕の意識が変わったんですね。

 

昔は疑問ばかりでした。女は男、男は女を愛するべきとか言うけど、それだけかな?って。それとは違うことを教えてくれる人もいなかったから、「そういう世界はないんだろうな」って思っていました。だとしたら「僕はなんでちょっと違うんだろう?」って。それがいつの間にか、ありのままの自分が普通になって、今の自分の周りには僕と同じような個性を持った人もたくさんいて、自分が解放されたという感じはしますね。もう何をやってもいいし、誰を好きになってもいいし、何でもOKです(笑)。

 

[西田]

僕も、一個人としての自由や居心地の良さは、東京に来て、初めて知ったんです。でも性に関することで言うと、まだどこかでこれでいいのかなって、正しい、正しくないの問題ではないというのはわかっているのですが、悩むことがありました。

 

[Eun Sang]

いいんですよ。みんなそれぞれ違いますからね。何か一つの型に統一すべき問題ではないと思います。そう思うと、枠が外れて、もっと心が豊かになるんじゃないですか。きっとそのままでいいですよ。変える必要なんてありません。

 

[西田]

自分のなかの変化をしなやかに受け入れ、自分自身の世界を素直に発信なさっているEun Sangさんに本当に励まされました。今日はありがとうございました。

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2022/08/05
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Eun Sang

韓国大邱(デグ)出身。18歳で韓国にてモデル活動を開始。以来、ミラノ、パリ、上海、東京のランウェイを歩く。6年前より東京に拠点を移し、東京、ヨーロッパでのコレクション、キャンペーン、雑誌のエディトリアルを中心に活動。現在はモデル活動の傍ら、趣味の絵画やYouTube 等でも表現の場を広げる。

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YouTube https://www.youtube.com/channel/UCnE7VRq9fCQqTpBUwTvpjnA

インタビュアー |
西田海聖

いつか韓国とアメリカとスウェーデンに住みたい日本語しか喋れない韓国系日本人。

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