BIGYUKIインタビュー:世界は広い、Find your Tribe
Find Your Tribe!! トライブ〔族、群れ〕ですよね。結局自分がすごい孤独だと思っても、世界は広くて変態とか尖ってる奴がたくさんいるから、やっぱそういう人を探すことだよね。本当にそれが大事だと思う。
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2022/09/24
インタビュイー |
BIGYUKI

家にあったアップライトピアノをおもちゃ代わりに触ったことがきっかけで6歳からピアノを習う。クラシックピアノを学ぶなかさまざまなコンクールに出場し優秀な成績を収め、高校卒業後に奨学金を獲得、米バークリー音楽大学へ入学。同級生にはエスペランサ・スポルディング、クリスチャン・スコット、ケンドリック・スコットがいた。在学中からボストンのクラブで演奏したほか、教会音楽に興味を持ち教会にも活動の場を広げた。NYへ進出後、タリブ・クウェリとビラルのバンドに加入。ビラルのバンドではロバート・グラスパーとも共演した。その後〈セロニアス・モンク・コンペティション〉で優勝したベン・ウィリアムズのアルバムやマーク・ジュリアナのデビュー作『My Life Starts Now』(2014年)などに参加。その活動が評価され、2016年に「JazzTimes」の読者投票でキーボード奏者部門に入賞。R&Bやヒップホップシーンでも活躍し、Q・ティップが所属するア・トライブ・コールド・クエストが2016年にリリースした最終作『We Got It From Here... Thank You 4 Your Service』に参加。同作が全米1位を獲得し、全米1位作品に参加した2人目の日本人となった。さらにJ・コールの2016年作『4 Your Eyes Only』にも参加。同作も1位を獲得し、日本人として初めて全米1位作品に2つ参加する快挙を達成。CBSのトーク番組「The Late Show With Stephen Colbert」のハウスバンドに抜擢され、2017年には黒人文化を発信するコミュニティー〈Afropunk〉が主催したアポロ・シアターでのコンサートに黒人以外のアーティストとして唯一参加した。現在はアントニオ・サンチェスやホゼ・ジェイムスなど、ジャンルレスな活躍をしているアーティスト達と世界中をツアーしながら、BIGYUKI名義でのアーティスト活動の幅を広げている。

■ブラック・カルチャーとの出会い

elabo編集部

今日は、ブラック・ミュージックを聴く私たちelabo編集部の憧れの日本人ミュージシャン、BIGYUKIさんにインタビューさせていただくことになりました。BIGYUKIさんと交友関係のある竹田ダニエルさんもお迎えし、前半は我々がBIGYUKIさんとブラック・カルチャーの出会いについてお尋ねし、後半、竹田さんにも加わって頂いて個々のトピックについて深めていければと思います。

私たちは、BIGYUKIさんの音楽を通じ、ブラック・カルチャーの懐の深さとBIGYUKIさん自身がブラック・ミュージックを自分のものになさって、オリジナルな音楽をクリエイトしていることに感動しているのですが、最初の質問では、BIGYUKIさんがどのようにブラックミュージックに惹かれて、参加するようになり、その中で自分自身の音楽の土台として担われる意識を持つようになったのか、教えていただきたいと思います。

             [Photo by @ogata_photo]

BIGYUKI

まず最初に、純粋にサウンドが好きです。いわゆる、いろんな音楽の中でブラック・ミュージックというよりも、自分が好きな音楽とか、その元になったのが全部ブラック・ミュージックじゃないかと思っています。別に高校のときにB-BOYであったりとかしたわけでもなくて、渡米してから、自分の聴く音楽や世界がいきなり広がった感じなんですね。例えたら、なんか腹が減って歩いてるときにいい匂いがする方に無意識に向かう感じで(笑)、いろんな連中やすごい情報量が常にある中で、自分が音楽で食べていく自信もなかったし、自分がどういう音楽をしたいかみたいな確固たるイメージも全くない状態から、そのところどころで、自分が参加できる場があったりとか、次のステージで関わる人がいたりとかっていう、その出会いの連続だったんです。

チャーチに参加するきっかけというのも、また面白い流れがあって、フュージョンバンドのYellowjackets(イエロージャケッツ)のピアニストの人とドラマーとして参加してたMarcus Baylor (マーカス・ベイラー)がマスタークラスでバークリーにいた時に、ボストンのウォーリーズというジャズクラブで自分が演奏したのを見に来たんです。そこで面白いミュージシャンがいるって思ってくれて、それで一緒に自分のクラスでやんないかと誘ってくれたんです。その彼の親がいわゆるプリーチャー(牧師)で、家族全員が何かしらの形でチャーチに関わってたんですね。なので彼〔マーカス・ベイラー〕と一緒に演奏して、友達になってから、彼からの影響というのもあります。その中で、要は自分がかっこいいなとか好きだなと思った音楽のさらにもっと深いレイヤーにそのゴスペル音楽ある、っていうのもなんとなく知り始めました。その後にマスタークラスで出会った歌手が「自分のチャーチで演奏しないか?」と誘ってくれて、そこからですね。何かをやってそこから別のに繋がっていってみたいなのが重なって、結局最終的には音楽のジャンル的にも、交友関係的にも全て繋がったという感じです。バークリーでやっていた当初は必死だったから、何か一つのチャンスとか環境があると、それだけにしか向かなくなるんですよ。だから、マーカス・べイラーの周りと演奏していたときは、しばらくはゴスペルミュージックしか聴いてなかったですね。

それでチャーチに誘われて、そこでちょっと弾くんですけど、これまた曲も何も知らなくて。ただ耳はちょっと良かったので、曲の音程とかをとって耳で聞きながら、その場しのぎというのはできてたんです。すると、そんな自分の演奏をチャーチ・ミュージシャンもバンドを統括してる人とかも面白がってくれて。英語もそんなに達者じゃなく、だけどなんかピアノはやたら弾けそうで、ゴスペル音楽に興味を持っているっていうのが多分面白かったんじゃないのかな。

ドーチェスターとかマッタパンって、当時の観光案内の地球の歩き方とかであまり行くのを推奨されてないエリアだったんですよね。いわゆる黒人居住区で、まだそんなアメリカ慣れしていない俺が来てることが面白かったんじゃないでしょうか。だから、初めは向こうが両手を広げておいでよって歓迎してくれて、しかもミュージシャンとしてくるんだったらペイも発生するし、「ちゃんとミュージシャンとして雇いたい」みたいな感じでしっかりとテイクケアしてくれました。他の日本人の友達とかが別のチャーチで演奏した時にはペイが適当だったりした事もあるらしく、その意味では俺はラッキーだったのかなと思います。


elabo編集部

チャーチは地域のコミュニティの一部とも言えると思うのですが、そういうコミュニティーとしてのチャーチの中での出会いや経験というのは何かあったのでしょうか?

BIGYUKI

初めは興味本位とか、「音楽が好きだよ」っていうだけの無邪気な理由でチャーチに行っていたんだけれども、いろんな人と話して、チャーチに来てる人をなんとなく理解していくわけですよね。チャーチっていうものが、そのコミュニティ内のハブのようになっていて、毎週同じ顔を見合わして、お互いに元気って確認したりとか、ジェネレーションごとに親の代、自分の代、子供ができたら子供も来てって代々繋がっていて、その人が個人的にお祈りしに行く場所っていうだけではなくて、本当にその地域の人の繋がりの中心的な役割を担っているって言うんですかね。それはすごく感じました。

自分が一番長いこと在籍した教会はドーチェスターにあって、その音楽担当のチーム・リーダーがリロイってめちゃくちゃかっこいいイケオジだったんですけど、彼が言ったことですごい覚えてることがあるんです。ボストンって冬にたまにすごいスノーストームがくるんですよね。もう雪がめちゃめちゃ積もって、車が全然走らなかったりとか、何日か雪に埋もれちゃう日があるんですけど、そういう時もすげえ遅刻しながらでもチャーチに行く。別に来る人間も10人以下みたいな、そんな状況でもミュージシャンにペイは発生するんです。それで、「なんでこんなときに、サービスをキャンセルしないのか」って聞いたら、いや、こんな大雪の日でも、誰かがもしチャーチを必要とするならば、開けないといけないだろって言ってて、なるほどなと思いました。色々な人がいるし、本当に必要としてる人がいるんだなっていうのを感じましたね。

チャーチでは貧富の差やスキャンダルがあったりと疑問に感じる部分もありましたが、そういうこととは距離をとって、自分は無宗教だけど、チャーチに来ている人たちが気持ちよくサービスを受けるための手助けをプロミュージシャンとしてしているという考え方をしてましたね。だから、質問に戻ると、自分の土台となる音楽を参加から担うという意識への変化というのは、チャーチで演奏したことで、直接の黒人音楽に対して変化したという感じではないのかなと思います。

elabo編集部

お話を伺っていると、リスペクトを持ちつつそのコミュニティの中で客観的な視点を持ち続けるというBIGYUKIさんの距離の取り方が上手だなと感じたのですが、クリスチャンでもアフリカ系でもないという前提で、チャーチ・ミュージシャンとしてご自身が活動していく上での核となっていたものは、何だったのでしょうか?

BIGYUKI

チャーチで一緒に演奏した連中には、チャーチ全体とは異なるミュージシャン同士の独特な連帯感がありました。さっきのリロイってリーダーも含め、ドラマーがヤンチャな兄貴って感じのCharles Haynes(チャールズ・ヘインズ)っていうセントルイス出身の素晴らしいドラマーで、ベースが今は『The Late Show with Stephan Colbert』でバンドリーダーをしているLouis Cato(ルイス・ケイト)で、オルガンはH.E.RのミュージックディレクターをしているAlonzo Harris(アロンゾ・ハリス)だったり、かなりアツいバンドだったんです。

チャーチによって違うとは思うけど、リロイみたいな兄貴分がいて、いわゆるチャーチ内の政治的な部分からバンドを守ってたのかなっていう感じでした。ミュージシャンたちがチャーチに対して持っている絶妙な距離感があって、それが心地よかったですね。

elabo編集部

チャーチ以外での活動やボストンの後に移住なさったニューヨークでの活動はどのようなものだったのでしょうか?

BIGYUKI

チャーチは週に一回、日曜日だけで、その他にコアとなるイベントというのは先ほど言ったジャズクラブのウォリーズで演奏することであったりとか、あとは、いわゆるウェディングバンドとか、音楽を聴きに来ていない人に対して演奏するという仕事もしていました。ただお金持ちのウェディングで演奏するので、ペイはいいものの、多少自分の心を削ってる感じはありましたね。すごく偉そうな言い方をすると当時、2007年あたりで、ボストンのジャズシーンの中で、キーボーディストとして売れている連中のトップ3ぐらいにはなってるんじゃない?みたいな感じだったんです。Big fish in a small pond 〈井の中の蛙大海を知らず〉みたいな感じで(笑)。仕事もそれなりのお金も入ってるし、人生への責任感もそんなにない年齢ですから、このまま楽してボストンに住んでもいいかみたいな気持ちも一瞬あったりはしました。だけれども、やっぱり自分の参加してる音楽とか自分が演奏する音楽を聴きに来てくれる人に対して演奏したいという気持ちが強くあったのと、ボストンで自分のフィールドで天下を獲った次に行かなきゃっていう気持ちがあって、自分の中でニューヨークに行くってことが自然に決まった気はします。

自分自身は元々田舎出身なんですよね。高校までは三重県だし、ニューヨークに行ったら、人の歩き方が真っ直ぐでスピードがあって、その街のテンポにすごくワクワクしたのを覚えています。あとはやっぱり、何か刺激が欲しいなと思ったら毎晩ニューヨークにはあるなと思ったのと、自分がやってるいわゆるジャンル関係なしに作られている新しい音楽って、まだニューヨークではやってる連中がいないんじゃないかって思ったんです。ニューヨークにはミュージシャンも多くて、高いクオリティでいろんなものが共存してるんだけども、そのシーンが溶け合って、別のものになってるみたいなイメージが当時はありませんでした。今だとインターネットもあるし、ジャンルを超えたいろんな繋がりがあるなと思うんですけれども、当時はなかったからチャンスかもしれないと思ってました。

ニューヨークに移って、見事に初めの1年は全く仕事がなかったですよ。その頃は週末はボストンで仕事をして、平日はニューヨークっていう二重生活をしていました。1年経った頃に小さいクラブで演奏した時に、ドラマーがDaru Jones(ダルー・ジョーンズ)で。彼は最近だとJack White(ジャック・ホワイト)のバンドですごい有名になったんですけれども、当時は結構、Slum Villageとかヒップホップシーンで活躍していたんです。それで、当時彼がTalib Kweli(タリブ・クウェリ)のミュージック・ディレクターをやっていたんですよ。演奏が終わって、「ちょっと明日リハーサルだけどキーボーディストが抜けたから、来ないか?」って聞かれて行くわけですよ。それでバンド参加が決まって、そこから数年はタリブと仕事するようになりました。

人生で面白いのが、何もないときは何もないのに、何かが起こりだすといろんなことが多発的に起こり始めるんですよね。またその頃、元々バークリーの他の仲間がいたんですけども、そいつに誘われて参加したイベントに来ていたシンガーの1人がBilal(ビラル)で。それがautism〔自閉症〕の認識を広めようというイベントだったんですが、そこで意気投合して当時よく一緒に演奏していたロバート・グラスパーの後釜としてビラルのバンドにも入ることになりました。

■メッセージ性よりエモーション

elabo編集部

ビラルをはじめ、Robert Glasper(ロバート・グラスパー)やA Tribe Called Quest(ア・トライブ・コールド・クエスト)など名だたるアーティストと共演されてるBIGYUKIさんですが、ご自身が当事者として所属していないコミュニティのメッセージを伝える楽曲の演奏をする際にはどういった心持ちで望まれているのでしょうか。特にその中でも記憶に残っている現場や作品は何かありますか。

BIGYUKI

メッセージということで言えば、俺の感覚だと、自分の作品にどれだけ具体的に示してるかどうかは別として、アーティスト・表現者であれば、社会に対して何かしらの自分のスタンスを表明してない人間はいないんじゃないかなと思うんですよね。だから、その作品のメッセージ性から自分の演奏が変わるってことはないです。メッセージよりも、エモーションがまずあると思います。その二つは完璧に分かれてるものではなくて、メッセージの中にはそのエモーションが内包されているので。そこから自分がどういうふうな気持ちになったかが演奏にリフレクトされると思うので、メッセージっていうのはもしかしたら後なのかもしれない。

[Photo by @ogata_photo]

                                   

竹田ダニエル

先日BIGYUKIさんが参加していたデトロイト・ジャズ・フェスティバルの配信を観ていても、Antonio Sánchez(アントニオ・サンチェス)の楽曲とバンドメンバーのメッセージはすごく強いじゃないですか。だけど、そういった力強い言葉にサラウンドする形でエクスペリメンタルな演奏やエモーショナルなソロセクションがあって、すごく面白かったです。

BIGYUKI

もちろん言葉はすごくパワフルなツールで、自分の表現方法の中にはないエレメントだから言葉を持ってるアーティストはすごく羨ましいし、パワフルだなっていう感想があります。だけど、俺はやっぱりミュージシャンとして耳からする入ってきた音から想起されるそのエモーションを追う感じですね。

直接、当事者ではないと言われればそうだけど、今ニュースを見たりとか、世の中見てて、クソな状況はいくらでもあるじゃないですか。日本でもそうだし、アメリカ住んでて、アメリカもやばいなと思うこともいっぱいあるし、バケーションで行ったジャマイカでも政治が腐敗しているという話を見たり、リスナーから聞いたりもします。だけど、「そんな怒るしかない状況で心を消耗しすぎずに自分は何に怒るんだ」っていう気持ちが大事かなと。Pick your fightってことね、何に対してスタンスを表明するのかとか、そういうことは考えます。俺は自分のやっている音楽がブラック・ミュージックに根ざしているという意識があるし、アメリカでは移民という社会的マイノリティとして、BLMの運動には参加しないといけないという意識はありました。

心に残っている現場は、昔ボストンに住んでた頃に、バークリーの授業でブラック・カルチャーについて、黒人がアメリカ社会で歴史的にどういう立場だったとかを教えるラリー・ワトソンって教授がいたんですね。彼が早いうちから、俺のことを面白がってくれて、それは俺がテクニックとか知識がないのに、とりあえず気持ちで、ある種動物的にアプローチしているのを面白がってくれたんです(笑)。それで自分の仕事の現場によく呼んでくれて、デュオでゴスペルを演奏したりしてたんですね。ある時、ボストンの郊外の結構田舎のちっちゃいチャーチに2人で演奏しに行ったんです。終わった後、盲目の黒人のじいちゃんがいて、ラリーに「よかったよ、よかったよ」って言ってきて、ラリーが「ピアノ弾いたのは、実は日本から来たばっかりのピアニストだよ」って言ったら、そのじいちゃんが「もう年季入ったブラック・ミュージシャンにしか聞こえなかったよ」って言ってくれて、それをラリーがすごい面白がってたんです(笑)。それがジョークであったとしても、要は自分がチャーチやゴスペル・ミュージックの中で育っていなくて、はじめは興味本位で入っていたとしても、そのエナジーであるとか、ハーモニーであるとか、何かしら自分のバックグラウンドと関係なしにその音楽から照射されるエナジーっていうものがあって、人種、世代を超えて伝わる可能性があるんだなっていうのを感じました。それが結構自分の中では記憶に残ってるかな。

■身体という視点から見たブラック・ミュージック

elabo編集部

本当に素敵なエピソードですね。「動物的アプローチ」って言葉があまりにもBIGYUKIさんにぴったりで(笑)。そこから連想するのは、動物としての身体の違いが、ブラックの方々とアジア系の我々の間にはあるのではないかとも思うのですが、身体という視点からの発見とか面白さみたいなものはあるのでしょうか。

BIGYUKI

これ面白いですよね。ブラック・ミュージシャンの体のバネの話っていうのはある種、都市伝説的なものもあるんじゃないかなと思ったりもするんですけど、特にドラマーには顕著じゃないかなと思います。ピアノってやっぱりマイクロムーブメントというか打鍵するのって指じゃないですか。もちろんそのリズムの取り方もあるんですけど、それと比べてドラムってやっぱその全身で叩くので。俺なりの考えなんですが、チャーチに行くと、ドラムセットの周りにプレキシグラスが置いてあるんですよ。要はその音を遮断するために置いてあるんですが、その中でドラマーがめちゃめちゃ最大音量でぶっ叩くわけですよね。多分ちっちゃい頃から一番でかい音で思いっきり叩く訓練をしてる人間が、例えばジャズとかもう少しダイナミクスの幅の広い音楽のジャンルを学んで、ちっちゃい音で叩く練習をするのと、日本人みたいに住宅事情もあってでかい音で叩く機会がないドラマーが大きな音量で叩くシチュエーションで頑張って叩くのを比較すると、小さい時から最大限に体を使って叩く人の方が出力の幅がでかいんじゃないかなって思います。

それと俺がチャーチで観てて面白かったのが、下の世代がバンドミュージシャンがいるところの後ろの椅子に座って見てるわけ。そのシーンの中のスターをみんな見にくるんですね。違う世代が集まって毎週、間近で演奏を見たりとか、その知識の共有が行われたりする場があるのって、すごくうらやましいなと思ってます。そういうのは日本ではあまりないだろうと思うし、例えば日本で海外アーティストがライブすると、チケットがおのずと高くなって若い子は来にくくなるじゃないですか。アメリカでは、いつでも若い子たちが一流の演奏に触れるアクセスがあるというのは大きく違うなと思います。

elabo編集部

BIGYUKIさんのライブを拝見すると、全身でグルーヴに乗っているように感じるのですが、ご自身の身体の使い方についてはどのように捉えていらっしゃいますか?

BIGYUKI

自分の身体の使い方はまた別ですよ。Meshell Ndegeocello(ミッシェル・ンデゲオチェロ)のベースもしていたThe RootsのMark Kelly(マーク・ケリー)とウォーリーズで一緒にやっていて、そのグルーヴがものすごい楕円の動きで、そのグルーヴの秘密を知りたいと思って彼の動きを見てました。いびつな変な楕円なんすよね、こんな気持ち悪いベース(最大限の褒め言葉)聴いたことねーなって、、、そのグルーヴの元になっている身体の動きを真似してました(笑)。

■リスナーが作品を「消費」しないためには

elabo 編集部

ブラック・ミュージックのみならず、音楽をリスナーとしてただ聴くことしかできない者としては、どのようなことを大切にすれば、単に対象を「消費する」のとは違うことになるとお考えでしょうか?

BIGYUKI

答えとしては、最終的にリスペクトがあるならなんでもいい気もするし、俺自身確固たる答えがあるわけでもないけど、本当に好きなら表層的なものをなぞるだけでなく文化的な背景を知ったり自分のリテラシーを高めた方が、音楽だけでなく、アートでももっと楽しめるのかなと思います。あと、結局やっぱり俺が一番大事だと思うのが、ファンが何か新しいものを聞いたときの衝動的なものを大事にしてほしい。なんか、「これとこれを聞かないとこれは理解できない」とかいう風に言われちゃうと、すげえつまんないじゃないですか。言葉を超えたプリミティブな感覚的なものを大事にしたほうがいいと思うんですよね。

あとはやっぱり、オープンマインドであることが大切だと思う。音楽なんて無数にあるわけだから、他のテリトリーにある別のカルチャーに対して、オープンマインドであることが一番大切なんじゃないのかな。そこから、もしかしたら音楽とさらに深い関係を築けるかもしれないし。

■「人間だもの」、意見は必ずある

竹田ダニエル

私がこれまでelabo magazineで特に話そうとして来たのは、文化盗用だったり、差別の問題だったり、どうして日本人はそういった問題や消費的な行動に対して無知であるのかとか、何で日本人としてそれを知ることが大事なのか、ということです。アーティストが自身の音楽についてインタビューされる機会は沢山あるけど、アーティストが社会について話す機会自体が、日本だとあんまりないじゃないですか。

BIGYUKI

そうそう。今起きてることに対して自分のスタンスを表明することは、アーティストとして俺はマストだと思うわけよ。それにファンの人が共感するしないのかはまったく別問題として、自分が人間として、何を今どう思ってるかが大事だから。そういう意味で、日本のしがらみって大変だなって思って。でもこれはアーティストだけの問題だとも思わないんですよね。例えばスポンサー契約している会社の立場上、言いにくいことがあったりもするかもしれないし。それだけじゃなくて、日本って何て言うかプレッシャーがすごいじゃん。言ったら誰かが困るかもしれないみたいな気の遣い方、「空気を読む」って言葉ほど怖いもんねえなと思ってます。だから、今日のインタビューみたいな話を気兼ねなくできる機会ってあるべきだし、もっと増やすべきですよね。

竹田ダニエル

逆にBIGYUKIさんにとって、アーティストがそう「自分のスタンスを表明するべき」っていう意見はどこから来ていますか?例えば私だったアーティストを支える側の人として、私が関わってるアーティストはみんな言いたいことがたくさんあるので、リスナーの方には「リスペクトを持ってそれを聞いてほしい」という思いがあります。アーティストが政治的表明だったり、価値観の表明をした時には、ファンも同じ意見であるべきとは思わないけれど、そういう意見があるということをリスペクトして欲しい、それこそが「アーティストを応援する」姿じゃないかと。極端な話、「社会に対して言うことのないアーティストは、音楽を作ることで何がしたいのか」って思う時さえあります。

BIGYUKI

最初の方の質問にも関係するんだけど、別に自分の作品で明確なメッセージをリリックとかに載せなくてもいいと思うわけです。さっき言ったように、やっぱりエモーションが大事だと思う。同時にアーティスト本人が意見を持って何らかの形でそれを表明するってのはマストだと思うよ。それが何でかって、「人間だもの」(笑)

でも、これは本当で、アーティストってやっぱり自分が表に出て、世の中に作品を出して何かしら影響を与えたいわけじゃないですが。そうじゃなかったら、別に自分の家で演奏してるだけでいいわけですよね。俺は願わくばポジティブな影響を与えたいし、要は人間って生きてる限り、政治的じゃないことはないと思うんですよ。自分がやること全部、一つのチョイスですら絶対に何か繋がっている。だから、そこで自分が政治的なことは言わずに何かしら表現活動してる時点で、欺瞞だと俺は思うわけです。自分が表現しなくてもいいと思うっていうことそのものが、特権階級にいるっていうことだと思うんですよね。俺もやっぱり日本でなかなか差別問題みたいなものをBLMが盛り上がってもわからないなっていうのは、自分がいわゆるヤマトの人間で、特に俺なんかだとヤマトの人間で男でもある。そういう人でマイノリティになった経験がない人間がいっぱいいる。そうじゃなかったら、自分が「表明しない」っていう強い選択肢はないと思います。

■ジャズは優れた土台であり、受け皿

竹田ダニエル

アーティストの政治的発言に絡めて、ジャズについても伺いたいこともあります。アーティスト本人はスノッブである意識はないのに、周りの環境なのか、ジャズの敷居が特に若者にとって高いものにされているように感じていて。それが自分も愛聴する側として、もったいないなとも思うんです。「ジャズは死んだ」というような言説がトップクラスアーティストの間でも、自虐的なのか口にしている人が多いですよね。今のヒップホップとかR&Bのサポートバンドは、ジャズをバックグラウンドにしている、すごい実力のあるコミュニティ意識の強いジャズミュージシャンが支えてるっていうのは事実だと思うので、自分の同世代にもそれを知ってほしいという思いがあります。

BIGYUKI

今の話は、かなり広範囲に関わることだと思う。まず1つ思うのがいわゆる「ジャズが死んでる」ってフレーズはみんな言うじゃないですか。あれの意味には二通りあって、最近よく聞くのは、「ジャズ」は与えられたジャンルの名前であって、ジャズ音楽を作ってきた当事者たちは自分のやってる音楽を「ジャズ」とは呼んでなかったってことですよね。デューク然り、マイルズ然り。「ジャズ」の語源に「猥雑な」っていうスラングの含みがあるわけで、ビジネス側が売り出すためにラベルとして付けたという経緯があって、今はその「ジャズ」と呼ばれてきたミュージックを自分たちに取り戻そう、アメリカのブラック・クラシック・ミュージックとして、自分たちのものに取り戻そうとして、そういう意味で「Jazz is dead」って言っている人はいっぱいいるんですよ。Theo Crooker(セオ・クローカー)とか。

それともう一つの意味としては、商業音楽としてジャズがどんどん縮小しているって話でしょう?それはある種、ジャズがアカデミックなものになりすぎているというのはありますね。クラシック音楽なんかはもっとそうですよね。クラシック音楽もバロックからロマン、現代まで相当広範な訳じゃないですか。同時に、ある意味ではやっぱりジャズもクラシックもリテラシーがあるとより深く楽しめるものでもあるわけで。ある種、別にジャズ・ミュージックを商業的に成功させる必要は必ずしもないと思います。

ただ、今日ジャズ・ミュージックは、音楽ジャンルの中でも他の音楽を貪欲に取り入れることができる受け皿としての機能も、すごく担っている。だから、俺自身は当時のビジネスでつけられた言葉の歴史を知った上で、ジャズっていうジャンル名は当時とは別の意味を持つものになっていると思うんです。だから自虐で使ったとしても、音楽的にはリッチなものなのは間違いない。自分自身の話をすると、自分のやってる音楽がジャズなのかどうかってのはよくわかんないんですよね。結局コンビネーションだから、コンビネーションを許してくれる土台としてのジャズというのははあるなと思っています。

日本だと、たまにジャズが高級感を演出する小道具のように使われているのを目にするけど、本当のジャズってめちゃくちゃ身体的だし、要は昔のパンクロックが持つ「生々しい挑戦的なエネルギー」を内包しているものだと思うんです。エンターテイメントが溢れてる中で、リテラシーが求められない、楽ちんなものが必要とされるのもわかるんです。ただそれだけじゃなくて映画の『マトリックス』で赤いカプセル飲んで目覚めた人間みたいに、いろんなアーティストがすごい深度と濃度、密度で表現してるものをリアルに感じたいってなったときに、それをやってる人間がいるってのは素晴らしいと思うし、それが必ずしもポップである必要はないと思うんだよね。

ただ、それがポップであったら最高だけどね。ポップさと深みがあるものを俺自身はすごくやりたいなとは思ってます。キャッチーさが自分は好きだからね。そういうあざとさとか、ある種の下品さとかもありながら、エモーショナルな深度があるものが作りたいなと思っています。

             [Photo by @ogata_photo]

■エスニシティではなく、音楽を通じて繋がるコミュニティ

竹田ダニエル

Robert Glasper(ロバート・グラスパー)が、「ジャズは常に変化するもので、マイルス・デイビスだってキャリアでスタイルを何度も変えているし、その変化そのものをジャズの伝統といってもいいんじゃないか」 と言っていたのですが、実際に、エクスペリメンタルであったり、その瞬間瞬間のエネルギーや魂のぶつかり合いで、そこにエモーションがあるっていうのは他のジャンルにも通ずるものがありますよね。

               (発言は12:30~から)

 

でも、それも結局はコミュニティありきの話で、2010年代前半のSoundCloudシーンをはじめにインターネットで広がりは増えても、何か人間的な温かさは失われたのかなってのはちょっと思うんですよね。ジャズの良いところは、Meghan Stabile(メーガン・ステイブル)★1が主催していたRevive Musicのように、生の人間の信頼や交友関係といったコミュニティを土台に成り立っているじゃないですか?「ジャズ」というコミュニティと、「自分たちが何をやってるのか」というところを、共に再確認する部分が大事な音楽なのではないかとも思います。

BIGYUKI

フェスもこの年になると同窓会みたいなものだしね。バークリーの後輩もいれば、先輩、教授もいるし、全く違う学校の友人も仕事で出会った人にも再会できる場になってますね。要は間違いなくコミュニティ・ベースです。出会った人とまた繋がっていくし、それは本当に素晴らしいですよ。

elabo編集部

ジャズ・コミュニティのお話を興味深くお聞きしていたのですが、グローバルに音楽コミュニティでエスタブリッシュなさっているBIGYUKIさんに、日本人というエスニック・コミュニティについてのお考えもぜひ伺いたくて。日本人が海外でエスタブリッシュする際、個人で突破していくという印象が強く、ブラックの人たちやユダヤ系、あるいは中国人や韓国人のようにエスニシティに基づくコミュニティで支えていくという動きが弱い気がしているのですが、この点はYukiさんはどのように捉えていらっしゃいますか?今までのBIGYUKIさんのお話からは、コミュニティを大事にしながらも、あんまりそういうエスニックに基づくコミュニティなんて必要ないよっていうところに行ってらっしゃるのかなと思ったんですけど、どうでしょうか?

BIGYUKI

先程もお話ししたように、特に黒人のコミュニティだと、チャーチがコミュニティのハブになっていたりする場合がありますよね。でも俺自身はコミュニティの支えみたいな日本人として実はあまり感じたことがないというか、一匹狼的な感じが心地いいですね。自分が苦手としていることに、何かしらのexpectation 〔期待〕を持って接してこられることがあって。「俺はこういうタイプの人間」、「こういうミュージシャンだからこういうスタイルでこれをやってくれんだろう」っていうシチュエーションにアレルギーを感じます。以前はコミュニティっていうと、One of themとして期待を持たれているって感じた時もあったんですね。日本人のコミュニティ意識というと、しきたりみたいなのがあったりとか、小室圭さんに対する服装とか髪型がどうこうみたいな報道ね。そういうのはマジで嫌いですね。

でも、最近コミュニティについての考えが少し変わってきました。音楽をやる上で、学びのプロセスとして模倣の期間っていうのはすごく大事なわけじゃないですか。その後で、自分自身のものとするためには別の探求、学びの時間がいる。俺が思うコミュニティというのは、そういう学びと関係があって、世代を超えた大きな繋がりがあって、自分が発信してることが、次に繋がったらいいなとか、そういうところから始まるのかなと。自分の場合、何かしらの影響力とか、財力とかをもし持つ立場になったとしたら一体何を残せるのかなと考えたときに、渡米したことが人生の土台になっているなと。その選択が一番大きくて、ラッキーだったわけなんですが、今の日本がどんどん経済的にも弱くなって、留学とかもしにくい状況で海外に出るハードルっていうのはすごく高くなっているわけで、その中で自分が奨学金制度を作るのか、レッスンをするのかわからないけど、アクセスの助けになるものを自分が残していきたいとは思います。そういう方法でできあがっていくのがコミュニティな一つのあり方のかなと。

自分の一匹狼でやってきたと言っても、一人では生きてけないし、メーガンのRevive Musicのプロジェクトで面白がってくれて繋がったり、ビラルとかタリブ・クウェリと仕事したり、活躍できるような場を作ってくれたりとかしたので。そういうふうに、後に続く何かが残せたらいいなっていう思いが少しずつ募ってきて、自分の中で「コミュニティ」って意識が芽生えてきた気がします。そして、そうやってコミュニティを考える時にエスニシティを意識しなくてもいいラッキーな時代になっているのかな、という風に思いますね。差別が熾烈だった頃はエスニシティに基づいたコミュニティは本当に必須だったと思いますが、そういう時代と比較すると遥かに楽な時代だと思います。

elabo編集部

エスニシティに限定されない世代を超えていくコミュニティ、すごく希望を持てるお話です。

竹田ダニエル

音楽以外でも、クィアコミュニティやアジア系アメリカ人のコミュニティはとてもdiverse(多様)だし、何らかの抑圧とか、苦労を共有しているから、お互いに頼りあえて、資本主義的な枠組みから外れた人間的なつながりを担保できるコミュニティの形を作るムーブメントもあって。そういう動きは、メンタルヘルスという観点からも正しいと思うんです。人間同士の関係性が希薄になっているのはとても今日的な問題でもあると思うから、オルタナティブな生き方をしているクィアコミュニティや有色人種のコミュニティは、逆にそういうのを取り戻そうっていう動きはすごくあります。

■メンタルヘルスと自分と向き合うことについて

竹田ダニエル

アメリカに住んでいると、周りの人にうつ病があるとか、セラピーに通っているとか、自殺した知り合いとかも周りにいたり、寸前まで行った人もいるしで、オープンに話し合うことが大事だよみたいな次元まで来てるじゃないですか。でも、日本だとそういうのを口外することはタブーみたいな扱い方もあるし、そもそもメンタルヘルスっていう概念自体が新しいってのはよく言われる。自分の弱さを出してはいけないというイメージや、社会的イメージを保持しないといけないと思っている人が、アーティストでもまだまだいると思います。アーティストでメンタルヘルスが安定している方が、そもそも珍しいと思う。というのは、自分自身と常に向き合っているし、特にコロナ禍を経て、アメリカはロックダウンが厳しかったこともあって、色々大変だったことも多いと思います。コミュニティで支え合ったりするムーヴメントも出たし、それがBLMにも繋がったとも推測できる。コロナ禍を経て、メンタルヘルスという点でBIGYUKIさんが感じたことはありますか?

BIGYUKI

「自分のやってることが全く意味ないんじゃないか」みたいな思いって、アーティストであれば誰でも持つと思うんですよね。自分のやることが果たして世の中の役に立ってるのか、関係あるのか、誰か聴いている人がいるのかどうか、みたいな疑問が。それをコロナ禍では、よりリアルに感じましたよね。自分のやってることって、やっぱりライブで、その瞬間にオーディエンスがワーッと反応するのを見て、「生きてるな」って思えるものなので。

これは俺の推測なんだけど、孤独感を感じ始めちゃうとどこまでもいっちゃうじゃないですか。そういうときに「やっぱり孤独じゃない」って思える何かがあったらいいとは思います。

竹田ダニエル

BIGYUKIさんがNHKの『明日世界が終わるとしても「ニューヨーク この街で生きる〜BIGYUKI〜」』★2という番組のインタビューでおっしゃっていたことに、自分がミュージシャンとして提供できる価値としては、他のアーティストにはできない何か、その瞬間の音楽に何かしらの新しい価値観を提供したいという言葉がありました。BIGYUKIさんはパイオニアとして多様なジャンルがクロスオーバーしているエクスペリメンタルな音楽を作ってるし、音楽でなくても、そういう新しいことを常に求めている時に、前例のない場所に立つプロとしてメンタルヘルスって大事になると思うんです。

BIGYUKI

Find Your Tribe!! トライブ〔族、群れ〕ですよね。これだな。結局自分がすごい孤独だと思っても、世界は広くて変態とか尖ってる奴がたくさんいるから、やっぱそういう人を探すことだよね。本当にそれが大事だと思う。

竹田ダニエル

elabo magazineがしていることって、それに近いと思うんです。パイオニアとして新しい挑戦に果敢に、孤独に向き合ってやってる人たちを繋げていくことに取り組んでいると思ってますね。自分が初めて日本で記事を書いたときはメンタルヘルスとZ世代についてで、その後elabo magazineで何度か対談をしたんですけど、その後にDMとかで毎日のように大学生や若者から「孤独に日本で生きてて自分と同じような価値観を持ってる人がいなくて悩んでいたけど、インタビューや記事を読んで自分が社会的な変化を起こせるんじゃないか」とか、「自分も仲間がいるってことを知れたからすごく嬉しい」っていう人が多くいたんです。そういう意味でも、このインタビューも、読んでくれた誰かがtribeを見つける手がかりになればいいなってすごく思いました。

BIGYUKI

いやぁ、本当にそうだね。今日のインタビューの副題、やっぱりFind Your Tribeかな。名言がいっぱい出てるけど、どれにしようかな(笑)。

elabo編集部

BIGYUKIさんの言葉は重みがあって、面白くて、名言ばかりでした(笑)。竹田さんがおっしゃってくださったように、動物的に自分だけの道を切り拓き、tribeを見つけようという今回のBIGYUKIさんのメッセージが、多くの方々に届いて欲しいと願います。今日は本当にありがとうございました。

★1 ――メーガン・ステイビルはアメリカのジャズ・プロモーター、プロデューサー、オーガナイザー。バークリー音楽大学在学時より、ジャズライブのプロモーションを手がける。リバイブ・ミュージック・グループの創始者であり、ジャズとヒップホップをリンクさせた功績で知られる。2022年6月死去

https://www.nytimes.com/2022/06/22/arts/music/meghan-stabile-dead.html

★2 ――NHKBS1『明日世界が終わるとしても「ニューヨーク この街で生きる〜BIGYUKI〜」​』 。2018年3月18日に放送された。

culture
2022/09/24
インタビュイー |
BIGYUKI

家にあったアップライトピアノをおもちゃ代わりに触ったことがきっかけで6歳からピアノを習う。クラシックピアノを学ぶなかさまざまなコンクールに出場し優秀な成績を収め、高校卒業後に奨学金を獲得、米バークリー音楽大学へ入学。同級生にはエスペランサ・スポルディング、クリスチャン・スコット、ケンドリック・スコットがいた。在学中からボストンのクラブで演奏したほか、教会音楽に興味を持ち教会にも活動の場を広げた。NYへ進出後、タリブ・クウェリとビラルのバンドに加入。ビラルのバンドではロバート・グラスパーとも共演した。その後〈セロニアス・モンク・コンペティション〉で優勝したベン・ウィリアムズのアルバムやマーク・ジュリアナのデビュー作『My Life Starts Now』(2014年)などに参加。その活動が評価され、2016年に「JazzTimes」の読者投票でキーボード奏者部門に入賞。R&Bやヒップホップシーンでも活躍し、Q・ティップが所属するア・トライブ・コールド・クエストが2016年にリリースした最終作『We Got It From Here... Thank You 4 Your Service』に参加。同作が全米1位を獲得し、全米1位作品に参加した2人目の日本人となった。さらにJ・コールの2016年作『4 Your Eyes Only』にも参加。同作も1位を獲得し、日本人として初めて全米1位作品に2つ参加する快挙を達成。CBSのトーク番組「The Late Show With Stephen Colbert」のハウスバンドに抜擢され、2017年には黒人文化を発信するコミュニティー〈Afropunk〉が主催したアポロ・シアターでのコンサートに黒人以外のアーティストとして唯一参加した。現在はアントニオ・サンチェスやホゼ・ジェイムスなど、ジャンルレスな活躍をしているアーティスト達と世界中をツアーしながら、BIGYUKI名義でのアーティスト活動の幅を広げている。

インタビュアー |
elabo編集部、竹田ダニエル

竹田ダニエル

カリフォルニア出身、現在米国在住のZ世代。大手レーベルのビジネスコンサルタントやテック系スタートアップを経てフリーランス音楽エージェントとして活動し、アーティストのPRやマネジメントを行う。ライターとしては「カルチャー×アイデンティティ×社会」をテーマに執筆、『現代ビジネス』『Forbes』『Newsweek』『日経新聞』『Rolling Stone』等掲載。『群像』『日経xwoman』『DIGLE』『日経COMEMO』『wezzy』で連載中。

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