ブラック・カルチャーとファンダム:USのビヨンセ・ファンが読み解くドラマ「キラー・ビー(Swarm)」
ビヨンセは、黒人の女の子や黒人の女性にとって、ある種のロールモデルなのです。また人が誰かの狂信的ファンになる理由のひとつは、人生の特別な時期にある曲を聴いたからだと思うんです。色々な理由があると思うんですけど、その曲のある側面が、彼らの人生の特定の時期に永遠に結びついている。
#ビヨンセ #Swarm #キラービー
culture
2023/05/07
インタビュイー |
Donna Kirkland

大手化粧品会社で国際マーケティング・ビジネス開発担当ディレクターを勤める。ビヨンセの大ファン。

柳澤:私は研究者として、現代の宗教現象にも見えるファンダム文化に関心を持ってきました。加えてヒップホップを中心とするブラック・カルチャーにも関心があり、特にドナルド・グローヴァーの仕事には常に驚かされてきたので、彼が『SWARM(邦題:キラー・ビー)』で、ファンダムをドラマ化したということに、とても興奮しました。私なりの作品理解もありつつも、やはり実際のビヨンセ・ファンが、賛否両論寄せられているこの作品をどう観たのか、聞きたくてたまらなくなってしまいまして。自称ビヨンセ・スタンのDonnaさんを友人に紹介していただき、今日は当事者の視点から色々教えていただこうと思っています。

まず、USのブラック・カルチャーにおけるスタン(=ストーカーとファンを合わせた熱狂的ファンを示す造語)、日本で言うところの「推し/オタク」文化について、Donnaさんがどのように捉えているか、教えていただけますか?

■ブラック・カルチャーとファンダム

Donna:日本や韓国のスタン・カルチャーというと、私はアイドル文化、特にアイドル・グループを想像するのですが、ブラック・カルチャーにもそういうものがありました。私の両親の時代にはモータウンがありました。私がティーンの時には、ニュー・エディションやボーイズ・トゥ・メンですね。その後、ソロアーティストの時代になりましたが、BTSをはじめとするK-popがアメリカでもメインストリームになり始めたので、またアイドル・グループの時代が戻ってきたのだと思っています。ブラック・コミュニティでもK-popの人気はすごいので。

柳澤:私も日本の地方都市で、ニュー・エディションを聴いていたんですが、ブラック・ミュージックを少し大人っぽいものと捉えていたので、BTSと同じアイドル・グループのようには捉えていなかったかもしれないです。

Donna:80年代の黒人コミュニティにとって、ニューエディションはビートルズだったんです。10代の黒人男性グループが、普通のテレビで歌ったのは初めてでした。もっと年配の男性ならいたわけですが、彼らは10代でした。同世代の私たちは彼らに夢中でしたよ。私もラルフ・トレスヴァントとリッキー・ベルのポスターを壁に貼っていました!雑誌に、同年代のアーティストのポスターが付録になっていたんですけれど、そういうことも彼ら以前にはなかったんですよ。アーセニオ・ホールの番組『ヘルプ』のような、ブラック・カルチャーのためのテレビ番組も一役買っていました。私の友人の多くにとって、ニュー・エディションが初めての音楽コンサートでした。

柳澤:BTSとニュー・エディションが自分の中で繋がったのは新鮮です(笑)

Donna:そうでしょうね、実際彼らには巨大なファンダムがありました。もし現在のUSの文化の中でBTSに匹敵するような規模のスタンカルチャーを探すならば、最も近いものは、カーダシアン家だと思いますね。

柳澤:それは、面白いです(笑)

Donna:そうなんですよ。みんなお気に入りがあって、RM・ペンとかジミン・ペンとか言うように、私はカイリーのチーム、私はキムのチーム、私はケンダルのチームみたいになってるんです。私の夫は音楽業界の人間ですが、音楽業界の視点から見ても、カーダシアン家はスタンカルチャーを定義する代表例なんですよ。例えばキムは最高のラッパー(=Ye(カニエ))を擁し、彼はこの文化の中で人脈を築きました。トラヴィス・スコットはカイリーと一緒にいなければ、トラヴィス・スコットになっていなかったと思います。



柳澤:クリス・ロックがカーダシアン家をネタにしていたのを思い出します。彼も「カーダシアンズ」をグループとかバンドのように語っていて、カーダシアンズは反レイシズムで女性陣が黒人男性としか付き合わないってネタにしていました。確かにそういうバンドがあって、例えばカニエがそこに加わったり脱隊したりしているって捉えるのはわかりやすいですね。

Donna
そうです、そうです。メンバーが入れ替わったり、子供が生まれたりでバンドはどんどん大きくなって、ファンはいつも何が起きているか興味津々という、そういうカルチャーなんです

■ファンになるということ

柳澤:いよいよビヨンセ・ファンダムのお話を聞こうと思うのですが、私自身、大勢の人がビヨンセを愛していることは、もちろん理解できるんですけれど、例えばビヨンセが浮気された時にファンが自殺したという噂が流れたと聞くと、「そこまで?」と思ってしまうと言いますが、そこまで熱狂する理由がいまいちわからないのです。

Donna:まず、ビヨンセは、黒人の女の子や黒人の女性にとって、ある種のロールモデルなのです。また人が誰かの狂信的ファンになる理由のひとつは、人生の特別な時期にある曲を聴いたからだと思うんです。色々な理由があると思うんですけど、その曲のある側面が、彼らの人生の特定の時期に永遠に結びついている。ある曲が、私が人生で吐き出せなかった気持ちをすべて代弁してくれているように感じるわけです。

たまたま悲しい時に、その気持ちを代弁する曲がラジオから流れてきたとか、ビヨンセだったら、ボーイフレンドや夫とうまくいかない時に、彼女がジェイ・Zに浮気された時の悲しみや混乱を歌った『レモネード』が流れてきた、みたいな。このようなことが起きると、ある人は単に「これは偶然の一致だ」と思うでしょうけど、別の人は、「ああ、神様が私に教えてくれたようだ」と思う。それで、こんな思いにさせてくれた人、その曲を作ったアーティストはどんな人なのか、常に知りたいと思うようになるのです。その人が自分の心に深く触れたからには、何か理由があるはずだって思う。

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柳澤:そうですよね。私も音楽をよく聴くのでその心理は理解できますし、同時に今の説明を聴いていると、ファン心理はやはり宗教に似ていて面白いです。実際、たまたま聞こえてきた、あるいは読んだものにメッセージを感じ取るという経験は、過去も現在もキリスト教などによく報告されますので。

Donna:そうですよね。このある種の強迫観念(オブセッション)、私もそれが強迫観念であることは認めるんですけど、それにソーシャルメディアが拍車をかけるんだと思います。ソーシャルメディアは、熱狂的なファンになることを、より簡単にしたと思います。何を食べたか、いつ寝たか、誰と付き合っているか、どこにいるか、子どもはどんな顔をしているかがわかる、少なくともそのように思わせるものなので。

例えばニュー・エディションについて考えてみると、私はミュージックビデオに映っているものや、彼らのインタビューや雑誌からしか知ることができなかった。ところが今のソーシャルメディアは、「この人のことなら何でも知っている」という気持ちにさせてくれます。

人によっては、「そうか、彼女は親友なんだ」と感じる。彼女は自分と同じお酒を飲んでいるんだとか、「あのTシャツがいい」と言ってくれたら、そのTシャツを買いたいと思う。

柳澤:よくわかります。

■鎮痛剤としてのアイドル

Donna:『Swarm(キラー・ビー)』には、非常に困難な状況に陥っている少女ドレが描かれていて、まず彼女は養子で、しかも少女時代に問題を起こして養われていた家から追い出されてしまっていましたね。人生の中で、感情的な葛藤を抱えている時期にドレはNi’Jah(=ビヨンセをモデルとしている虚構のスター)の音楽に出会った。あるアーティストの曲を聴いて、自分自身をより良く感じることができるようになると、それは麻薬のようなものになると思います。彼女の歌を聴くと、自分が抱えているこの問題から脱却できるような気がするんです。ヘロイン中毒の人が、苦しいからヘロインを摂取するのと同じような感覚で。苦痛を取り除く唯一の方法が、この薬なのです。だから、ある人たちにとっては、特定のアーティスト、特定の音楽が中毒になり、自分自身をより良く感じたいときに、その方法がこの女性の音楽を聴くことになるのだと思うんです。もちろん誰もが音楽を鎮痛剤にしているとはいるとは思わないけれど、少なくともこのドラマの中でドレはそうしていたと思う。

柳澤:とても深い解釈ですね。そうなってくると、ドレの物語にどれだけの人が親近感を持つのか知りたいですね。結構極端なバージョンではあると思うので。

■ビヨンセ・スタンはビヨンセをどう理解しているか

Donna:確かに極端ですが、同時に実は私はドレ(主人公)のように殺人まではしませんけど、似ていることは認めざるを得ないんですよね。例えば私は、ビヨンセを悪く言う人がいると、その人を人間として低く見てしまいます。彼らの判断力を疑ってしまうんですよね。何か食べ物を勧められるのも嫌みたいになってしまいます(笑)

偉大なアスリートがいた場合、そのアスリートを嫌うことはあっても、そのアスリートが本当に優れた才能を持っていることを尊重しなければならないと思うんです。彼女が本当に優秀であることを尊重してくれていることがわかればいいんです。そうでなければ、友達にはなれない。

柳澤:そうですか!それはちょっと怖いですね(笑)

Donna:そうですよね。ただビヨンセはいろいろな意味で超優秀だと思うんです。いい歌手になるのは簡単だし、いいエンターテイナーになるのも簡単だし、いいビジネスパーソンになるのも簡単だし、純粋に文化を前進させたいと思う人になるのも簡単なことなんです。彼女はそのどれもが得意だと思う。ビヨンセのライブに行くと、こう思うんです。「お金に見合うだけのものを手に入れた」って。先日フランク・オーシャンのコーチェラ・フェスのセットが話題になっていましたが、2018年にコーチェラでヘッドライナーを務めたビヨンセは1年半かけてコーチェラのセットを作り上げました。彼女は歴史的なブラック・カレッジの文化を研究し、ショーに反映させたのです。ストンプやステップを多用したダンスも、その文化を意識したものでした。 あのコーチェラのパフォーマンスは、コーチェラ史上最高とまではいかなくても、ベストの一つだと多くの人が感じていると思う。

ビヨンセは自分の技術を完成させるために、たくさんの忍耐と時間をかけているんですね。私も、自分の仕事が好きで、ビヨンセのように、それを当たり前だと思わないような人になりたいと思っています。彼女はライブでも2時間、本当に歌って踊ります。私は彼女の仕事に対する姿勢や彼女の情熱を尊敬しています。そして、自分の人生の中で、得意なこと、好きなことがあり、そのために努力し続けなければならないことを理解していることを尊敬しています。彼女は、より良い人間になろうとする人たちや、勤勉な人たちにとっての特別なロールモデルであり、また、ブラック・カルチャーにとってのロールモデルなんです。

黒人のコミュニティではメッセージ性のあるエンターテイメントが難しいのです。ビヨンセはエンターテインメントでありながら、ブラック・コミュニティを支えるメッセージ性を持つという点で、とても良い仕事をしていると思います。「もっとお金を貯めないといけない」、「自分の髪を愛さないといけない」、「肌が黒くても大丈夫なんだ」、ということを伝える本物の歌が必要なんです。こういうメッセージを聞くことはそんなに頻繁にはないのですよ。だから、彼女が何十億もの人々に語りかける機会を得て、その機会を使って「黒人は美しい」と語ってくれたことに感謝しています。こういうメッセージを発することは稀なんですよ。なぜなら、多くの人は、このような重要なメッセージを伝えると、自分が一段階下がってしまうのではないかと恐れているので。

柳澤:ビヨンセの最新アルバム『ルネサンス』も、LGBTQコミュニティへのメッセージという点でも評価されていましたね。


Donna:彼女は一つのプロジェクトをする時にリサーチを積み重ね、共感と尊敬をもって相応しいアーティストに参加させるのです。例えば、『ライオン・キング』のサウンドトラック・アルバム『ザ・ギフト』を作ることになったとき、彼女はアフリカのさまざまな都市に行き、ホットなアーティストを探して、アルバムに参加させました。『ルネサンス』でも、彼女がボールルームに行き、人々と話し、ボールルームのリーダーと会い、彼らに依頼し、会うだけでなく、プロジェクトに参加させ、報酬を支払ったから、彼女を尊敬していると思うのです。これは、他のアーティストに「ああ、私を本当に尊重してくれているんだな」と感じてもらうために重要なことなのです。そして出来上がったものが本物だと感じられるのは、ビヨンセが、音楽の背景にあるものを研究していることを示したからだと思いますし、それを盗用しではなく、評価したのだと人々が理解できたからだと思います。

例えばボールルーム・カルチャーの盗用について、マドンナを非難する人もいますよね。彼女はブラック・カルチャーを愛してニューヨークのナイトクラブにたくさん行った。けれど、ただ見ているだけで、何も質問もしませんでした。その上で美容院に行って、「コーンロウにしてくれ」と言ったわけで、もしコーンロウを編める人を雇うなら、せめてアフリカ人がいる125丁目に行くべきだったと思うんですよ。

■ドナルド・グローヴァーのブラック・カルチャーへのアプローチ

柳澤:ドナルド・グローヴァーがビヨンセのファンダムに対して行ったアプローチについて、どう思われますか? ビヨンセへの批判であるとか、少なくともビヨンセ・ファンダムへの批判だという意見や、反対にファンダムに対して失礼だ、ミソジノワールだという批判まで読んだのですが。

Donna:私はドナルド・グローヴァーをとても尊敬しているんですよね。ビヨンセが音楽でやっていることを、ドナルド・グローヴァーはテレビ・シリーズでやっていると思うんです。

柳澤:私もドナルドをとても尊敬していて、彼のやっていることは『Swarm(キラー・ビー)』も含め、そんなに単純ではないのではないかと思っています。

Donna:そうですよね。私も、彼はとても知的な人だと思うのです。彼はよくリサーチをしていて、文化を前進させるための重要なメッセージを、面白い方法で共有する方法を見つけたんだと思いますよね。物事が額面通りに受け取られることを、彼はすでに知っているんです。だから、彼のやっていることの多くは、人々の頭の上を通過しているのだと思いますが、彼はそれでいいんです。なぜなら、彼は最終的にエンターテイメントであることも望んでいるからです。

柳澤:いや、本当にそうですよね。私のような研究者は、これだけのハイコンテクストで批評的な内容をよくエンターテイメントにできるなと、そこに圧倒されてしまうんですよね。

Donna:そうですよね。私自身は、『Swarm(キラー・ビー)』は、私たちがいかに若者を守っていないか、非常に極端な例を使って、注意喚起している物語として受け止めました。メンタルヘルス、ソーシャルメディア、美への執着、美容整形、お金、豊かなライフスタイルのために、多くの黒人が失われています。主人公のドレにはクロイ・ベイリーが演じた義理の姉妹がいましたが、彼女は家族に支えられた基盤を持っていました。けれどドレはそうではなかった。そのため精神のバランスを崩して、ビヨンセをモデルにしたNi’Jahに執着した。

柳澤:率直に言って、ビヨンセのファンとしてドナルドのアプローチは失礼だと思いましたか?

Donna:それはビヨンセをメンターだと思っているクロイがこの作品を引き受けることにしたことからも明らかだと思うんです。彼女は100パーセント、ビヨンセに相談したと思いますので。そしてビヨンセもこの作品を自分たちの文化の盗用ではなく評価だと感じたんだと思いますね。

ドラマ『アトランタ』も含め、ドナルド・グローヴァーは常に、ブラックの人々に、なぜ自分たちが今いる場所にいるのかを描き出そうとしてきたと思います。時には、それはシステムの産物であることもある。つまりそれは、私たちが教えられてきた方法、育ってきた方法の産物であることもあるのです。そして、何百年にもわたる長い問題から抜け出すためには、自分自身について違う考え方をし、行動し、これまで育てられてきたのとは違うことをすることが必要なのです。

柳澤:それは、別の背景と別の問題を持つ私たちアジア系が共有すべき、特に女性が共有した方がよい、大切な認識だと思います。

■内面を外に出すための出口が少ない黒人女性たち

Donna:特にこの作品では、メンタルヘルスの問題が大きいです。黒人のコミュニティには、恥ずかしくて話せない、あるいは定義できないために自分が抱えていることにさえ気づかない精神衛生上の問題がたくさんあるのです。ブラックコミュニティではメンタルヘルスの会話が十分ではないんです。

柳澤:私は、ドナルド・グローヴァーが欧州映画、ミヒャエル・ハネケの『Piano Teacher(邦題:ピアニスト)』に影響されて『Swarm(キラー・ビー)』を製作したということに興味があって一つ論考を書いたのですが、今のメンタルヘルスの問題は二つの作品を繋ぐものです。

『Piano Teacher(邦題:ピアニスト)』は精神的な問題を抱えた一人の女性を描いた作品なんですが、なんというかとても個人的なものなんですね。主人公のエリカは外見上は厳格なピアノの教師で、誰もそれに気づいていない。ここで個人的というのは、全く社会化されていないと言う意味で、彼女も自分の欲望が何かよくわかっていない混乱した状態にある。だからこそ、ちょっと笑ってしまうくらい常軌を逸した、定義できないような性的嗜好を持っているのです。束縛する母親、衰退しつつあるクラッシック音楽の伝統、女性であること、教師であること等、様々なものに抑圧されているんですけれど、その抑圧を自覚化できていないことで、非常に特異な精神状態に陥っているんですね。ドナルド・グローヴァーは『Piano Teacher(邦題:ピアニスト)』のような映画を黒人女性で作りたいと言っていたわけですが、Donnaさんのお話を聞いていて、黒人の女性が置かれた状況と精神状態を、彼は描きたかったんだと思いました。

Donna:わかります。実際「黒人女性は大変だ」という意見もありますが、それは私たちが生きる中で多くの役割を担っていて、様々なステレオタイプを押し付けられているからです。例えば、他の人たちからとてもセクシャルに見られていることもあれば、性別に基づく分業として、家庭内でも、家庭外でも、料理人や掃除人として見られることが多いです。こうしたステレオタイプが賃金の問題にも波及していて、女性は同じ仕事をしても男性より賃金が低く、更に黒人女性は白人女性よりも賃金が低いのです。私たちは、女性であることで10%得をし、黒人女性であることで30%損をするようなものです。こうしたことから、私たち黒人女性の中には怒りのようなものがありますね。

例えばアカデミー賞やオスカー、ゴールデングローブ賞で好成績を収めた映画を考えてみても、黒人女性を奴隷や家政婦として描いている映画が多いです。『それでも夜は明ける』のルピタ・ニョンゴであったり、『マッドバウンド』のメアリー・J・ブライジのことです。『チョコレート』で初めて有色人女性でアカデミー主演賞を獲ったハル・ベリーも、基本的に貧困にあえぐ女性で、抑圧的な状況下で白人男性と恋愛する役でした。現実社会ではついにカマラ・ハリスが副大統領になったわけですが、副大統領の歴史上、最も彼女の発言は公に放映されていません。



ですので、黒人の女性は、外に出せない内面を抱えていることが多いのは間違いがないと思います。女性たちは、たくさんのことを抱え込んでいて、それを乗り越えるための十分な出口を持っていない。ドナルド・グローヴァーはそれを作品にした一人だと言えると思います。

柳澤:外に出せない内面を抱え込んでいて、十分な出口を持っていないというのは、黒人だけではなく、日本人や韓国人に代表されるアジア系の女性の問題でもあると思いますし、私はこうした女性の状況を、ファンダムを題材に描いたドナルド・グローヴァーは本当に鋭いなと感心しているんです。今の消費社会や情報空間は、何かのファンになることが苦しみからの出口だと錯覚するように、女性たち、特に若い女性たちを導いていると思うので。

確かにそれは一つの鎮痛剤なわけですが、そもそも抑えなければいけない痛みがどこから来るのか、なぜ自分はここまで何かに熱狂したり、入れ込んだりするのか考えることができると、また別の展開が生まれてくるんじゃないかなと思うのです。Donnaさん、今日は沢山のことを当事者の視点から、客観的に教えてくださり、本当にありがとうございました。

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2023/05/07
インタビュイー |
Donna Kirkland

大手化粧品会社で国際マーケティング・ビジネス開発担当ディレクターを勤める。ビヨンセの大ファン。

インタビュアー |
柳澤田実

1973年ニューヨーク生まれ。専門は哲学・キリスト教思想。関西学院大学神学部准教授。東京大学21世紀COE研究員、南山大学人文学部准教授を経て、現職。編著書に『ディスポジション──哲学、倫理、生態心理学からアート、建築まで、領域横断的に世界を捉える方法の創出に向けて』(現代企画室、2008)、2017年にThe New School for Social Researchの心理学研究室に留学し、以降Moral Foundation Theoryに基づく質問紙調査を日米で行いながら、宗教などの文化的背景とマインドセットとの関係について、道徳的判断やリスク志向に注目し研究している。

Twitter @tami_yanagisawa

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